桂内閣の時代に定められた工場法とは?その背景についても

工場法とは

 

工場法(こうじょうほう)とは西暦1911年(明治44年)に日本で定められた、工場で働く労働者を保護することを目的とした法律です。日本国において労働者を保護するための法律が定められたのはこれが最初となりました。

イギリスなど他の国でもそれ以前に工場法という名前の労働者を保護する法律が制定されたようです。イギリスの場合、最初に制定されたのは1833年でした。同様の目的で日本において法律が定められる78年前ということになります。

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日本の最初に定められた工場法(後に改正されます)では具体的には公的機関の許可があるような例外を除いて基本的には12歳に満たない人に仕事をさせることを禁止しました。

基本的に15歳に満たない人や女性は一日12時間以上働かせること、深夜(午後10時から午前4時の間)に働かせること、危険な業務、有害な業務をさせることが禁止されました。

仕事をしていることが理由で病気や怪我をしたり、お亡くなりになった場合に、雇い主が本人あるいは遺族へ経済的な支援をする義務があると定めました。

ただしこのような規則は小規模の工場、14人以下の労働者が務める工場、後の法律改正された場合ですと、9人以下の労働者が務める工場のような場合には当てはめられませんでした。

また経営者側、財界側からの圧力もあり、この法律で定められた規則は法律が定められた1911年にすぐ守らなくてもよい仕組みになっていました。法律を守らないと罰せられる状態、法律が施行される状態となったのは5年も経過した1916年のことです。

そして深夜業の禁止に関しては1926年までの15年間守れなくても雇用者が罰せられない仕組みにもなっており、労働者を保護するという点では不十分な内容の法律だったという指摘もあります。

 

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工場法が制定された背景

 

当時の日本全国の労働者がみんな守られ健康的に働くことが出来ていたのなら、このような労働者保護目的の法律を作ろうという機運は生じなかったでしょう。

当時の一部工場労働者は非常に厳しい労働環境にさらされていました。その状況は当時の国会や政府から見ても目に余るものだったため、工場法が定められる結果となったわけです。

余りに過酷な労働内容だという噂が働き手を供給する農村にも広まり、工場で働こうという人が減少したという事情も法律制定に影響したという指摘もあるようです。

住み込みで働くために家を離れた女性が、工場で酷使された結果、通常の生活を送ることが出来ないような状態になって故郷に返された話や当時治療することの出来ない病気にかかり故郷に戻ってきた女性労働者の話が広まれば、家族をそんな恐ろしい所(工場)へ行かせたくないと農村の人たちが考えるのも無理はありません。

労働者保護のための法案はそれまでも国会や政府内で実現させようという動きがあったようですが、財界の反発や戦争、法律を制定しようとした政権の退陣などによって、法律制定が見送られていたという事実があります。

 

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今回は明治時代の末に定められた工場法について取りあげてみました。この工場法の話は第2次桂太郎内閣の時代の出来事として大変有名だそうなので調べてみることにしたのです。

調べていて当時日本の主要輸出品である絹の糸を作る業種、製糸業で働く女性の厳しい環境を少し知ることとなりました。12時間近くほとんど休みなく働くことを強制され欠勤が出た場合には連続勤務をしなければならなくなるようなこともあったとか、深夜の勤務があまりにも過酷なため、一日も早く昼の時間帯に仕事をする担当になることが出来るよう祈る毎日だとか、あまりに酷使され日常の行為もおっくうとなり出来なくなっていくなどといった話は何も珍しくなかったようです。

労働する人たちを保護する決まりが無ければ雇用者は自己裁量で労働者を働かせることになりますが、その結果多くの問題が生じる結果となりました。

ということを考えると働く人たちの心身の健康が維持出来る範囲で働いてもらうということよりも会社の利益を優先させる価値観が一部の経営者側にあったということになります。恐ろしい話ですが事実なんですね。

経営者の立場にたつと会社が傾いたら大変なことになるという強いプレッシャーがかかってしまうものなのでしょう。そうなると労働者を酷使することを正当化してしまう人が出てくるものなのかもしれません。

規制無しの状態で経営者に任せることによって労働者が大変な目に遭ったという歴史的な事実がある以上、労働者を保護する規制、法律は世の中に必要不可欠なものなのだなとこの記事を作っていて強く感じる結果となりました。

社会主義、共産主義などのイデオロギーを信奉する立場の人たちはもともとこの分野に熱心でしょうが、そういった立場の人に限らずこのような件については世の中の動きを十分注視する必要があるのではないかという気がします。今の時代においても過酷な労働環境が理由で亡くなられた方のニュースは時々目にします。本当にいたましい話です。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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