信長さんが楽市楽座を実施した目的は何だったのでしょう

信長さんによる楽市楽座の目的

 

織田信長さんがおこなった政策の中で有名なものの中に楽市楽座(らくいちらくざ)というのがあります。この楽市や楽座という政策は信長さんが発明した政策ということではなかったようですけれども、全国統一事業に乗り出した織田さんがおこなった天正5年、西暦1577年の楽市、楽座令が特に歴史では取りあげられているようです。楽市というのは市(いち)と呼ばれる地域に設営された市場で商売をするにあたって従来であれば特定の対象に支払わなければならなかった税を支払わないで商売できるようにする政策でした。楽座というのは座(ざ)、地域の商人の人たちが結成していた組合のことを昔はそのように呼んでいたそうですが、この座という組合を廃止することを意味しているのが楽座だそうです。このような政策を信長さんの居城、安土城周辺の地域などで実施したそうですが、どのような目的でこのようなことを信長さんはしたのでしょう。自分の治めている地域の経済を発展させたかったからといった見方もあるようですし、従来経済的な利益を得ている人たちから権益を奪おうと考えたからといった見方もあるようです。

 

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経済を活性化

 

商売をする人の立場からしますと支払う税金は無いかあるいはより少ないほうがいいと考えることでしょう。従来は市と呼ばれる市場で商売をする場合、その市場を開いている土地を所有していた対象に税金を払っていました。名目は市場で商売をすることを許可するから決められた額のお金を払いなさいという意味の税負担である、市場税、営業税だったようです。楽市はこの税負担を負わなくてもいいよという規則なので商人の経済的な負担が当然減ります。そのような場所で商売をしたほうが儲けは増えますから、出来れば儲けが大きい所で商売をしたいという商人がいろいろな場所から集まってくることになります。また座という組合に入っていなければ商売できないという規制も楽座によって取り払われたのでさらに自由に商売ができるようになりました。これによって楽市楽座をおこなう前に比べて物の売買がおこなわれる頻度が増加することになります。また物の流通も盛んになりますから物資を手に入れやすくなることも期待できるようになります。地域が発展し生活する人々の数が増加していくことになります。領地内の経済が発展することによって地域を治めている統治者は地域で利益を得ることが出来る商人と良い関係を作ることが出来るようになります。戦に勝つためには経済力も必要なので商人の協力を得やすいことは戦国大名にとって都合の良いことでした。

 

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一部の人々から権益を奪う

 

市を開く場所を提供していたのはお寺、神社、公家(貴族勢力)といった立場の人々であることが多かったようです。楽市楽座という規則を作ることによって寺社、公家にこれまで税という形で流れていたお金が行き渡らなくなります。これによって寺社、公家といった立場の人たちの経済力が弱くなっていったと言われています。経済力が弱くなると養うことの出来る人員の数も減ります。天下統一の野望を持っていた信長さんは戦国大名との戦だけではなくたびたび大きな力を持った宗教勢力とも対立し戦を起こしました。影響力のあった比叡山のお寺を攻撃していますし、大坂の本願寺とも長い間戦っています。経済的な力を持ち、武力を保有して政治的な権限を行使しようとする宗教勢力に対し信長さんはあまり妥協する姿勢を持とうとはしなかったようで、そのような勢力の経済基盤を弱めることは支配地域を治めるうえで信長さんにとっては好都合だったようです。

 

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今回は信長さんが実施した政策の一つ、楽市楽座について一部取りあげました。信長さんの権勢が著しかった時代の話を記事にしたかったのですが、彼の有名な政策と言えば楽市楽座が思い浮かびますし、しばらくこの言葉に接していなかったのでどういう政策だったかうろ覚えになっていたこともあり改めて確認したく、目的について一般的にも関心があるようでしたのでこのようなテーマで記事を作ってみました。商人から税金をとらない政策ということはなんとなく覚えていましたが、それだと集まってくる商人から経済的な利益を税という形で得られないので信長さんの手元に入ってくるお金が直接増えるということになりません。利点がわかりにくいなという印象が個人的にはありましたが、特権を持ったお寺などの勢力を弱めたかったというのは目的としては合理的ですよね。ただ、商人の支持を集めるということはいざという時助けになるかもしれません。以前取りあげた本能寺の変に関する話では家康さんが堺近辺から自分の領地に逃げ戻る際、茶屋清延(ちゃやきよのぶ)さんという商人が情報の提供や逃走のための資金を渡すなど非常に貢献したと言われています。商売をする人たちが味方につくということは場合によっては命拾いにつながることもあるわけですし、そうしたことを考えるとたくさんの商人が喜びそうな政策をするということは統治者が政治権力を維持する上で軽視できない点なのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

家康さんのとった政策について触れている話「江戸幕府が江戸という場所で開かれた理由は何なのでしょう」はこちらです。

家康さんのとった宗教政策について触れている話「江戸時代にキリスト教が禁止された理由は何なのでしょう」はこちらです。

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