日米戦争以前にアメリカが日本におこなった石油禁輸とは

アメリカが日本にとった石油禁輸措置

 

戦前、この戦前というのは西暦1941年(昭和16年)12月にアメリカとの戦争が始まりますが、その前の時期ということです。戦前に米国は日本に対し石油輸出禁止という経済制裁をおこないました。石油輸出禁止という制裁は1941年の8月1日におこなわれます。この石油輸出禁止という対応は侵略国に対しおこなうと米国は表明するのですが、このアメリカが侵略国と見なす国の中に日本国も入っていました。それまでにも米国は日本に対し経済制裁をしています。この石油の輸出を禁止する前には米国内に存在する日本の資産を日本が自由に処理することが出来ないようにしました。在米日本資産の凍結です。7月25日に凍結されています。また前年1940年の10月には日本に対するくず鉄の輸出を禁止しました。これは1940年の9月に日本がドイツやイタリアと日独伊三国同盟という軍事同盟を結んだことや日本がインドシナ半島のフランスが領土としていた一部地域に駐留したことが関係していました。米国の意向に反する行動を日本がとるたびに米国は日本に対し経済制裁をしていたわけです。

 

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当時の日本の石油輸入相手

 

第二次世界大戦がおこなわれていた時代も石油は大変重要なエネルギーでした。日本は石油の産出が全くないということではないものの(秋田や新潟で産出されていました。現在もされています。少ないとはいえありがたい話です。)、産出量は必要量に比べればかなり少ないため、日本国が必要とする石油の多くを輸入していました。1940年の日本国内石油生産量は331キロリットルで同年の石油輸入量は2292キロリットルでした。国内生産量は全体の12%位にしかなりません。必要な石油の大半を輸入に頼っているというのは現在の状況と同じです。ただ現在と輸入相手がだいぶ異なっていました。当時の日本が一番石油で頼っていた国は米国でした。その次に多かった輸入相手先がオランダでした。米国はアメリカ大陸本土で石油がたくさん取れていました。またオランダは当時東南アジアに自国領を持っていました。植民地ですね。その植民地となっていた地域では石油が産出されており東南アジアのオランダ植民地からも日本は石油を売ってもらっていました。1939年に日本が石油を輸入した量の約8割をアメリカが占め、オランダは約14パーセントでした。圧倒的にアメリカからの輸入に頼っていたことがわかります。

 

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石油輸出禁止の原因

 

米国が特定の国(米国の言う侵略国家)に石油輸出を禁止するといっても時期から見て一般的には日本に対する制裁であると見られていたようです。米国が8月1日に石油輸出禁止をおこなう前の月、7月には米国が反対する考えを示していたフランス領インドシナの南部へ日本軍がフランス政府の了解のもとで進駐をおこなっています。アメリカに駐在している日本大使の野村吉三郎さんから今後日本軍が仏領インドシナ南部に進駐することに関して米国政府に説明をした際に、アメリカ政府の高官は日本に対し南部仏印への進駐をした場合は石油の輸出を禁止する可能性があることを野村大使側に伝えました。日本軍の南部仏印進駐とアメリカによる石油輸出の禁止は直結していたようです。アメリカが8月に入ってこのような制裁をおこないましたが、オランダはそれよりも早く7月28日に日本とオランダとの間で結ばれていた石油民間協定を停止するという行動に出ています。この28日は日本軍が南部仏印に進駐した日でした。オランダも日本への石油輸出にブレーキをかけたこととなるわけで対日石油輸出相手として規模の大きさで1位(米国)と2位(オランダ)の国々から制裁を受けることとなって日本は大変つらい状況になります。

 

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今回は1941年の石油輸出禁止について取りあげました。アメリカのこの制裁が日本を対米開戦に向けさせたと言われているそうなので当時の日本にとってどれほどの痛手だったのか確認したく調べてみることにしました。石油全輸入量の8割を占めるアメリカが輸出してくれなくなることは日本社会にとって死活問題だったと言ってよいのではないでしょうか。日本国内の石油産出量が石油輸入量と合計した量の大半を占める状況であれば日本はそれほど困らなかったでしょうが、実際のところ日本が自前で産出する石油量は必要量の約12パーセントにすぎなかったわけですから。首をかしげたくなるのは南部仏印進駐を実施する前にアメリカから野村駐米大使に石油輸出禁止の具体的な警告が出されていたにもかかわらず日本政府が方針を修正しなかった点です。アメリカからの石油輸出が禁止されたらどういうことになるか内閣の大臣たちがわかっていたのなら南部仏印進駐を何故強行するのでしょう。石油が輸出されなくなるのも当然困りますが、日米交渉も更にうまくいかなくなってしまいそうなのは簡単に予想出来そうなものです。合理的な対応が全然出来ていないように見えてしまうのは現在から歴史を眺めているからなのでしょうか。でも野村大使は進駐実施以前から南部仏印進駐によって日米関係が国交断絶するほど悪化することを懸念していたようです。当時でも見える人には十分見えていたということになります。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

 

参考文献 戦争と石油(1)~太平洋戦争編~ 岩間 敏 独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)石油・天然ガスレビュー 2006年1月20日刊行内 45頁-64頁

対日経済制裁と関係する日本の行動について触れている話「日本軍による北部仏印進駐とは?進駐した理由についても」はこちらです。

石油禁輸の引き金とも言われる日本の動きについての話「北部仏印進駐の翌年に行った南部仏印進駐とは?進駐の理由も」はこちらです。

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