自衛隊が発足するまでにはどのような経緯があったのでしょう
自衛隊が発足するまでの簡単な経緯は
第二次世界大戦の戦闘は西暦1945年(昭和20年)8月で終わり、日本が敗れました。連合国側の要求であるポツダム宣言を受け入れることによって終戦となったため、日本はポツダム宣言の中にある要求通り、日本軍を武装解除し軍組織をなくしてしまいます。日本国内は終戦後、日本の警察組織と連合国側の占領軍によって治安が維持されることになりました。1945年の8月以降そのような状態が続きましたが、1950年7月に日本政府はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から警察機能の強化を目的として警察予備隊(けいさつよびたい)という陸上部隊を設立するよう指示されます(GHQからの文書には設立を許可するとあります)。指示があった翌月1950年8月に警察予備隊が誕生しました。それからあまり期間が経過していませんが、1952年には警察予備隊は保安隊(ほあんたい)という陸上部隊組織に新たに変えられることになります。また同じ頃、海上警備のために海上保安庁とは別の組織、警備隊(けいびたい)が新たに作られることになりました。更に、保安隊、警備隊が誕生した2年後の1954年7月にまた新たな組織に作り変えられます。保安隊は陸上自衛隊に、警備隊は海上自衛隊になりました。ここで新たに航空自衛隊が誕生し、自衛隊組織の一部として加わることになります。終戦(1945年)後の日本軍の武装解除、日本軍の解体から約9年後、1954年7月に自衛隊が発足するまでの経緯は簡単に追うと以上のような内容となります。
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警察予備隊設立の目的
警察予備隊の設立は上で書いた通りGHQからのはたらきかけがきっかけでした。別の記事でも書きましたが、GHQから日本の首相(当時は吉田茂さんでした)にあてた文書には日本国内の治安は良い状態であり、これを維持して、一部勢力が法に違反したり平和を乱したりするのを防ぐため警察機能を強化するべきだといった内容が書かれています。また日本側の警察予備隊に関連する法令、警察予備隊令には平和や秩序を維持することや公共の福祉を保証することを目的としていることがうたわれています。以上のような公的な理由の他にも朝鮮戦争が理由となったと指摘されることが多いです。1950年6月に勃発した朝鮮戦争に日本国内の(主にアメリカ軍からなる)占領軍が駆り出されたため、日本国内の治安維持を担当していた強力な存在がすっぽりと抜けてしまい、それを補うために警察予備隊を設立せざるを得なかった。そんな事情もあったようです。この時同時に海上保安庁の要員を増やすこともGHQから指示されています。
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保安隊、警備隊設立の目的
1952年4月になり日本が第二次世界大戦を戦った大半の国々との間で結んだサンフランシスコ講和条約(1951年調印)が発効しました。条約内容が効力を持つようになりました。日本国が連合国による占領状態から独立を回復します。サンフランシスコ講和条約調印と同時に日米安全保障条約が日本とアメリカとの間で調印されています。日本はアメリカと安全保障条約を結ぶことによって、直接的、間接的な他国の侵略から日本を守るために、日本が自分でより多くの責任を果たすよう(アメリカは)期待するといった内容の安全保障条約の文言を日本側が実行に移す必要が出てきました。このような事情から警察予備隊は保安隊に変えられ、海上警備のために警備隊が設立されることになります。保安隊や警備隊を管理する役所、保安庁(ほあんちょう)の設置について、日本政府からは独立を回復し国力に合うよう行政の仕組みを改革する必要があり、警察予備隊と海上の警備機能を合わせて一緒に運営出来るようにして治安の確保に努めたいといった内容の説明が議会に向けてされていたようです。保安庁法という法律の中では警察予備隊令の内容と同じように日本の平和と秩序を維持することや人命、財産の保護もうたわれています。
自衛隊設立の目的
保安隊、警備隊設立の二年後に新たに自衛隊を発足させることになったのは1954年に効力が発生した日米間の協定、日米相互防衛援助協定(にちべいそうごぼうえいえんじょきょうてい)が関係しているようです。この協定はアメリカ政府の他国への経済援助方針が変化したことによって日米間で新たに結ばれた約束です。アメリカが日本に経済支援をする代わりに日本は自国の今までの状態から更に軍事力を増強するという義務を負うことになりました。このようなアメリカとの約束を果たすために日本側は国内の治安維持を主な目的にしていた保安隊や警備隊といった組織を自衛隊に変えることになります。制定当時の自衛隊法では公共の秩序の維持については必要に応じあたるものの、自衛隊の主たる任務を直接侵略、間接侵略から国を防衛することと位置付けています。警察予備隊令、保安庁法にある内容と比べて国防を主目的としているところが大きく変化した点と言えます。
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今回は自衛隊発足までの経緯について一部取りあげました。二年ごとに組織が変わっていることについて妙な感じがしましたし、警察予備隊設立の記事と多少内容が重なっているのですが、保安隊や警備隊、その後の自衛隊が作られる理由を今までよく知らなかったということもありますので今回のテーマで調べてみることにしました。今回調べてみて警察予備隊も、保安隊・警備隊も、自衛隊も、どの組織もアメリカ側の意向がきっかけになって誕生しているということを知ることが出来ました。アメリカがそのように日本にはたらきかけたのは共産主義勢力との対立が深まっていたから、アメリカの軍事関係の経済的負担を軽くしたかったからということでもあるようです。長らく占領状態にあったのですから日本が軍備に関して受け身となるのは仕方のないことではあったのでしょう。また自国の軍事力を整備するのは必要なのでしょうから、こういった動き自体が誤りだというようには個人的には感じません。ただ、欲を言えば、本当はこういった軍事組織の整備というものを自主的に、自前で判断しおこなっていくべきなのだろうなとも感じます。1952年に独立を回復してから今年(2018年)で66年経過することになります。自国、自国民を守るために日本政府が自衛隊発足当時の1954年と比べ、主体性を強めていてほしいものです。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
警察予備隊について触れている話「朝鮮戦争の頃日本に警察予備隊がなぜ作られたのでしょう」はこちらです。
日本に再軍備させようと考えるようになったアメリカの話「米国がGHQに占領政策を転換させようと動きます。なぜ?」はこちらです。
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