日本国の国連加盟が実現した理由は何だったのでしょう

日本が国連加盟できた理由は

 

日本国は西暦1956年(昭和31年)の12月に国連、国際連合に加盟、一員となることが出来ました。加盟した順番は80番目だったのだそうです。終戦から11年経過しています。日本がこの時国際連合に参加することが出来たのは、国連の当時の安全保障理事会(あんぜんほしょうりじかい)で日本が新たに国連に加盟することについて反対する常任理事国がいなかったからです。国連の安全保障理事会というのは国連の中で大きな権限を持っている会合です。1956年当時この安全保障理事会で常任理事国という立場の国だったのはアメリカとイギリスとフランスとソビエト連邦と中華民国の5カ国でした。今と違い、ロシア連邦ではありませんでしたし中華人民共和国でもありませんでした。この5カ国は拒否権を持っていて会議で多くの国が賛成している議題であっても拒否権を持っている国、一国だけでも反対するのならその議題は拒否権を行使して反対した国の意見が通るような仕組みとなっていました。具体例で言えば日本の国連加盟を認めるかどうかという議題について会議に参加している大半の国が賛成であっても、拒否権を持っている国が一カ国だけでも日本の国連加盟に反対するのなら会議の結論は日本の国連加盟は認めないということになってしまうような、そんな仕組みだったわけです。拒否権というのはそれくらい大きな権限です。

 

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ソ連の拒否権

 

1956年に加盟が認められる以前にも日本は国連への加盟を申し込んだことがありました。しかしその時は常任理事国の一国、ソビエト連邦が日本の国連加盟に反対していたため、国連は日本の加盟を認めなかったのです。ソビエト連邦は1951年に多くの国によって調印されているサンフランシスコ講和条約に賛成せず調印していませんでした。日本国とソビエト連邦の間で戦争を終わらせるための条約、講和条約が結ばれていないため、日本とソ連は戦争状態のままとなっていました。第二次世界大戦が1945年8月に終了はしていたものの、あれは戦闘が終わったということであって、最終的な戦争の終了というのは講和条約が締結されることによって初めて成立するもののようです。ソ連としては戦争状態のままである日本国を国連に加盟させたくはないということで日本の加盟に反対していました。日本が独立を回復した1952年にすぐ国連に加盟できなかったのはソ連が反対していたからです。

 

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日ソ国交回復

 

日本としては出来るだけ早く国連に加盟したいもののソ連が邪魔をする。このままでは加盟できない。ということでソ連との関係を改善させるために日本は動くことにしました。当時の日本の政権は鳩山一郎という人が首相を務める鳩山内閣でした。鳩山さんはソ連と国交を回復させるために交渉をおこない1956年の10月に日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)という約束をソ連と交わすことに成功します。この約束は「~条約」、「~講和条約」といった名称になってはいませんが日本とソ連が国交を再び開くことや日本とソ連が戦争している状態を終わらせるという重要な内容が含まれている取り決めでした。ソ連とこのような約束を結ぶことが出来たことでソ連も日本の国連加盟に反対しなくなり、当時の常任理事国五か国のどの国も日本の国連加盟に賛成したため1956年12月に日本は加盟することが出来ました。鳩山政権の外交努力によって日本は国連に入ることが出来たということになります。国連に加盟した日本はその後各地域の国連加盟国の選挙で選ばれる安全保障理事会の非常任理事国にたびたび選ばれるようにもなり、加盟している各国が国連運営のために支払う費用についても加盟国の数を考えるとかなりの額を負担している状態(近年日本は全加盟国合計額の9~10%にあたる金額を支払っているようです)です。国連に対する経済的な貢献度はかなり大きく、確認した中では(2015~2017年)支払額の大きさがアメリカに次いで日本が2番目となっていました。

 

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今回は日本の国連加盟について一部取りあげました。歴史の授業でソ連と国交を再開することが出来たから国連に加盟できたという話はやっているらしいのですが、ここらあたりの話は個人的に全然覚えていない、あるいは知らないことだったので確認のため調べてみた次第です。1956年に締結された日ソ共同宣言の前であっても日本が加盟することは出来ていたかもしれないといった話もあるようです。当時共産主義陣営の国だったモンゴル人民共和国(現在はモンゴル国という名前になっています)が国連加盟を申請した時に常任理事国の中華民国がそれに反対したことでソ連が報復として自由主義陣営の日本の加盟に反対したそうです。1955年にあった出来事でした。もしかしたら中華民国がモンゴルの加盟に反値しなければ日本の加盟にソ連は反対しなかったかも、そういう「たられば」、仮定の話です。当時は国連の中で自由主義陣営と共産主義陣営の対立が激しくアメリカやソ連は出来るだけ自分たちの陣営の国がたくさん国連に加盟できるよう画策していました。日本はそういった構造に巻き込まれて加盟が遅れたという事情もあったようです。今回のことを調べていて国連安全保障理事会の常任理事国が保有する「拒否権」という権限の強さを垣間見ることになりました。日本政府は国連加盟後、常任理事国になることを望んで外交活動をしているようですが、確かに常任理事国の立場というのは現在の国連の仕組みでは非常に有利ですからそうするのもわかる気はします。日本が常任理事国入りすることに明確に反対しているのは中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国で、日本の常任理事国入りに反対という理由ではなく、常任理事国をさらに増やすことに反対しているのはイタリア、スペイン、パキスタン、メキシコ、韓国といった国々だそうです。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回のような国際機関加盟とは真逆な出来事について触れている話「日本の国際連盟脱退とは?脱退した理由や首席全権についても」はこちらです。

国交を再開した相手の大戦末期の行為について触れている話「ソ連が連合国側として参戦した理由は何だったのでしょう」はこちらです。

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