「植民地」という用語の意味は簡単に言うと何なのでしょう

簡単に言うと植民地という言葉の意味は

日本、世界を問わず、過去の歴史的な出来事に関心を持たれたり、教育機関などで使用される用語の意味を確認したくてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では社会科の歴史分野でも使用されることのある「植民地 しょくみんち」という言葉の意味について、まずは簡単に自分なりに書いてみたいと思います。調べてみて感じることですがこの言葉、意味が複数存在しております。一つ目ですが、本国、自分の国を離れ、その国の人々が移住することによって形作られる共同社会が存在している地域のことを意味しています。それとは別に、ある国が武力によって新しく獲得した領土という意味で使われることもありますし、独立しておらず、何らかの経緯によってある国によって支配されていて、その国に従属、従わなければならない関係にある地域という意味でも使われることがあります。ということで簡単に表現するとなると以上のような内容になるかと思いますし、植民地の意味を挙げるとこのように複数のものが出てくることになるかと思います。移り住んだ先で作られる社会が存在している土地、地域と武力侵攻して得た新しい領土という二者ではやはり同じ意味ということにはならないと思います。武力侵攻した地域に本国から移住し本国のような社会を作るという場合であれば、同じような意味ということにもなるのかもしれませんが。また侵略によって得た新しい領土という意味とある国に支配されていて、その国に従属している地域という意味が必ずしも同じとは言えないと思われましたので敢えて分けております。ある地域が明確な武力侵攻を受けず、つまり戦争、戦闘を経ずに他国の支配下にあるという場合が無いわけではないと思いますので。意味を簡単に表現するというこの記事の目的はこれで一応果たしたと自分では思いますが、さすがにこれでは一つの記事として短すぎますので以下の項目では具体的な例を考えてみます。

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移り住んで集落が出来る

人々が本国から出て他の土地に移り住み、そこで村などといった共同体をつくった場合、その土地がすでにどこかの国のものということでなければ植民地ということになります。移り住んで集落が形成されるまで特に現地に住んでいる先住民と戦闘があるわけではなかったように見える事例としては現在デンマーク王国の領土であるグリーンランドが当てはまるような気がしました。ヨーロッパ系統の人でグリーンランドを最初に発見したのはアイスランドの人物だったそうで、人々に呼びかけてグリーンランドに移り住み集落を作ったようです。ただ集落が形成された後にグリーンランドの先住民族と摩擦、衝突、戦闘が無かったなどとは言い切れません。それを確認する方法も私にはありませんので。アラスカの事例もグリーンランドといくらか似ていると思います。ロシア勢力がアラスカ地域を発見し、上質な毛皮を取ることが出来る地域などということで経済的な理由でロシア人が移り住んでアラスカに集落を形成しました。しかしこの事例ではロシア人が現地で生活、経済活動をする中で先住民族と衝突しロシア側が武力制圧してアラスカを支配したということが明らかとなっていますのでロシアが植民地としてのアラスカを終始一貫して平和裏に獲得したということではありません。先住民に対する武力行使のあるなしにかかわらず本国と異なる地域に移住し集落を形成した場合、その意味で集落のある地域は植民地と言えます。ただ、その地域がすでに他の国の領土となっている地域であれば話は全く別です。植民地ではありません。日本の例で言えば樺太などは和人が移住して日本社会を形成した地域と言えますから植民地の意味に適合すると思います。和人が入る以前、樺太にはすでにアイヌの人々が先住していたそうですが、日本勢が樺太に、つまり樺太に住むアイヌの人々に武力侵攻して一部地域を支配したといった話は今回見かけませんでした。

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武力で獲得、他者による支配

植民地の他の意味、武力を用いて獲得した新しい領土という内容だと具体的にはどのようなものがあるでしょう。日本の場合で考えますと、日清戦争を戦い日本が勝利したことによって、講和条約(下関条約)を締結。台湾は日本の領土となることで日本、清国両国は承認しました。戦争によって獲得した新しい領土なのですからそういった意味では台湾は当時日本の植民地となったと表現出来るでしょう。日本が関係する他の事例としては日露戦争にもあります。日本がロシアとの間で繰り広げた緒戦で勝利することによって有利な状況で戦争を終結させることに成功しました。この戦争も講和条約(ポーツマス条約)が結ばれ、日本は当時ロシア領であった樺太の南半分を獲得しました。武力で新しく得た領土ということで南樺太は当時日本の植民地になったと言えます。東アジアで言えばこのサイトでもたまに扱った出来事、アヘン戦争でも領土の移譲がありました。1840年から二年間、清国とイギリスの間で行われたアヘン戦争。この戦争でイギリスが勝利し講和条約(南京条約)が結ばれます。この条約で清国はイギリスに香港島を譲り渡すことを認めました。これによって香港島はイギリスの新しい領土となったわけで、この事例でも武力によって獲得した新しい領土なわけですから香港島はイギリスの植民地になったと言えます。ある国が武力によって獲得したということではないものの、何らかの経緯で支配しその国に従属している地域という意味で当てはまる事例では、身近な地域ですと第二次世界大戦が終結する以前の朝鮮半島ということになるかと思います。日本は朝鮮半島の国と戦争をおこなって朝鮮半島地域を領土として獲得したのではなく、朝鮮半島の国、大韓帝国の政権と協議の結果韓国を併合することが決定し条約が結ばれることとなりました。その後は朝鮮半島地域の統治は日本政府がおこなっていましたので朝鮮半島は日本に従う関係ということですから先ほどの意味で言う植民地ということになると思います。この日本が統治していた朝鮮半島について植民地と表現することには異論も多くあるようで、植民地というと一部の国が植民地でおこなっていたような現地の人々を奴隷のように扱うといった印象が強烈だからなのかもしれません。しかし統治の仕方が過酷か穏便かにかかわらず別の国が統治し、その国に従属した関係の地域ということを満たしていれば植民地ということになります。

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今回は歴史や国際社会の分野で使われる用語、植民地について取り上げました。戦前の歴史に関する議論や講演に関する動画を見ていると日本による朝鮮半島や台湾での統治について世間の一部で言われているような現地の人々を大変抑圧したなどということは無かったといった主張を耳にすることがあります。場合によっては日本が統治した時代の朝鮮半島について植民地などではなく制度的に差別待遇などなかったといった意見もあるようです。植民地だった、いや植民地ではなかったといった意見の相違が個人的には気になり、結局植民地ってどういうものだったんだろうと考えても思いのほかきちんと説明できない自分に気が付いたため、今回のようなテーマの記事を作り意味を確認してみようと考えた次第です。意味が複数存在するので、どういう意味で植民地という表現を使っているのか補助的に説明をしながらでなければきちんとした議論が成り立たないように感じました。今回の記事では植民地における統治に関してはほとんど触れていません。日本の統治は良心的だったとか某国の植民地支配はすごく残酷だったといった話を耳にすることはありますが、そういったことについて手を広げると、とても一つの記事で収まり切れませんので。日本や東アジアとは異なる地域の歴史を扱う機会があればそういったテーマの記事も作ってみたいと思います。それ以前に日本の歴史を扱うことがこのサイトでは多いので、台湾や朝鮮半島でどういった統治を日本がおこなったかということを確認したほうがいいのかもしれません。学校教育では朝鮮半島については3・1運動のような独立の動きを弾圧したといった出来事が教科書に出ていますが、良心的な統治がおこなわれたといった内容で教育されることは正直無かったように感じます。そのような学校で学んだ見方を修正するべきなのかどうなのか、個人的には今のところ何とも言えません。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事では写真ACで提供されている写真を使用させていただいております。

朝鮮半島の併合について触れている話「韓国併合とは?併合の理由や韓国併合条約の内容についても」はこちらです。

個人的には植民地の定義に当てはまるように思うウイグル地域に関する話題「中国でウイグル民族が差別されている理由は何なのでしょう」はこちらです。

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