文禄の役と慶長の役とではどのような違いがあるのでしょうか

文禄の役と慶長の役の違い

 

豊臣秀吉さんが国内を統一してからあまり期間を置かずに着手することになった、当初は明を支配下に置くための軍事行動だった朝鮮出兵。朝鮮出兵は大きく分けて文禄(ぶんろく)元年、西暦1592年に出兵した文禄の役(ぶんろくのえき)と慶長(けいちょう)2年、西暦1597年に出兵した慶長の役(けいちょうのえき)があります。秀吉さんはわざわざ2度も大規模な出兵を朝鮮侵攻のためにしたわけですがどちらでも朝鮮半島、当時の中国大陸の大国、明国の領土を獲得することは出来ませんでした。この点では文禄の役も慶長の役も共通していますが、この2度の軍事行動を比較して何か違いというのはあったのでしょうか。日本から出兵した直接的な理由や朝鮮半島内での戦闘がおこなわれた地域、停戦となった事情、明国・朝鮮国と日本の間での交渉といった点で違いがあったようです。

 

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出兵の直接的な理由

 

最初の軍事行動、文禄の役の場合の朝鮮出兵の直接的な理由は日本側の要求に対する朝鮮国側の拒否でした。上でも少し触れましたが秀吉さんは朝鮮そのものを支配下に置くことを目的としたわけではなく大国の明を支配下に置くことを目的としていました。明にとどまらずインド地域をも支配下に置くことを構想していたとも言われています。明の領地にたどり着くためには朝鮮半島を経由するのが当時の日本の技術では合理的だったようで、朝鮮国側に明にいたるまでの道案内をするよう秀吉さんは求めたわけです。明の従属国である朝鮮国側は日本側の要請を拒否したため文禄の役の出兵ということになりました。慶長の役の場合は明国との交渉の過程で日本側が求めた要求、朝鮮半島の一部を日本の支配下に置くことや明国の皇帝の娘、皇女を日本の天皇の妻とすることや日本と明国との間で貿易をおこなうことなどが明側に一切認められなかったことが理由となったようです。最初の出兵は朝鮮側の拒否、2回目の出兵は明側の拒否が直接の理由ということのようです。

 

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戦闘がおこなわれた地域

 

最初の文禄の役の時には日本側の軍勢は朝鮮半島の奥深くまで進軍していたようです。朝鮮半島北部の重要拠点、平壌や現在の朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国の国境に面した地域である会寧まで一時期は日本勢も到達しました。しかし2度目の出兵、慶長の役では戦った地域の領土獲得が主眼となったのでしょうか、戦闘の舞台となったのは朝鮮半島の南部だったようです。

 

停戦となった事情

 

文禄の役の場合は当初日本側が半島内で勝利する戦が多かったようですけれど、現地の住民の人々の抵抗や危機感を持った明側からの派遣軍の参戦、日本本土からの物資補給の停滞もあり、日本側が思ったように支配地域を広げることが出来なくなったために戦の状況を大きく動かせられなくなったことが理由となりました。慶長の役の場合は朝鮮出兵の中心人物である秀吉さんがお亡くなりになったことが大きな要因となっているようです。

 

停戦後の交渉

 

文禄の役が停戦となったあと日本と明との間で担当者による交渉がおこなわれました。上の項目でも触れましたように結果的に日本側の要求を明が退けることとなるのですが、明側も交渉自体を拒否するというわけではなかったようです。しかし慶長の役が停戦となった後、日本との交渉の主な相手は朝鮮国だったようです。この交渉により捕虜として日本に渡った朝鮮半島の人々が半島に戻され、日本と朝鮮国との間での交流がおこなわれることになりました。この当時の交渉の日本側当事者は徳川家康さんで、家康さんは明国との間の国交も模索したようですが双方間で和解、交流の実現にはいたりませんでした。

 

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今回は朝鮮出兵である文禄の役と慶長の役について自分が感じた相違点を取りあげました。1度目の軍事行動がうまくいかなかったのにわざわざまた出兵した理由は何なのかよくわからず、調べてみたいと思ったのですが、文禄の役と慶長の役の違いに関して一般的に関心もあるようでしたのでこのようなテーマの記事にしてみました。以前の記事で秀吉さんの朝鮮出兵の目的として、スペインを脅威に感じスペインが明を支配していないうちに日本が中国大陸を支配してスペインの日本侵略を防止しようとしたといった見方があることに触れましたが、文禄の役の停戦後の交渉で日本側は領土的な要求を朝鮮半島南部に限定しておこなっていたようです。まずはこれくらいの領地を半島内で獲得し、スペインのような大国の日本侵略を朝鮮半島で食い止めようとした、ということなんでしょうか。第二次世界大戦後の自由主義勢力と共産主義勢力の対立によって生まれた勢力の境界線も朝鮮半島を二分した位置でしたし、大陸の勢力をけん制しようと他の勢力が望もうとすると、どうしても朝鮮半島の南側が少なくとも必要な地域と見なされがちなようです。そういったことを考えると朝鮮半島というのは諸勢力が衝突しやすい、戦乱が発生しやすい地域だということなのかもしれません。朝鮮半島で生活を営んでいる方々にとっては本当に迷惑な話です。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

朝鮮出兵について触れている他の話「豊臣秀吉さんが朝鮮出兵を実行した目的は何だったのでしょう」はこちらです。

江戸時代の明や清との関わりについて触れている話「江戸時代の日本は中国大陸の国とどんな関係だったのでしょう」はこちらです。

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