薩長同盟とは?盟約の内容や盟約が結ばれた場所について
薩長同盟とは
1866年の1月に薩摩藩と長州藩の間で約束が交わされた協力体制です。この頃長州藩は幕府を中心とした勢力にいつ攻められるかわからない状態でした。第二次長州征討が実際に開始されたのは1866年の6月になりますが、江戸幕府の徳川家茂(いえもち)公が江戸を出発したのは1865年の5月でした。その間家茂公は大坂に滞在していたそうですが状況によっては大阪から中国地方に進軍するおそれもあったわけです。
幕府を中心とした大軍を相手に長州藩単独で迎え撃つのは大変厳しく、長州藩が滅びる危険性もありました。
土佐藩を脱藩した坂本龍馬、中岡慎太郎らは長州藩が存続することを望み、当時関係が悪かった薩摩藩と長州藩が手を結ぶよう活動しました。薩摩藩名義で武器を購入し、外国との武器の取引を幕府から禁じられ入手困難となっていた長州藩に輸送したり、薩摩藩で米が欠乏していたため、長州で生産された米を輸送するといった実績を作り両藩の関係修復に貢献しています。
1865年9月には薩摩藩は幕府や朝廷から長州討伐の協力を求められても従わないと長州側に伝えました。このような流れで1866年1月に協議の末薩摩藩と長州藩は盟約を結ぶこととなります。
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盟約の内容は
桂小五郎さんが当時の盟約内容を手紙に書いたものが宮内庁に保管されているそうです。手紙には六つの項目が書かれていました。現在の言葉で表現すると以下の内容になるかと思います。
幕府が長州を攻撃した場合はすぐ二千人ほどの兵を京に向かわせ大坂にも千人ほどの兵を配置し京都と大坂での体制を強化します。
長州側が勝利した場合、薩摩藩は朝廷に申し上げ長州藩に対する処遇を改善するよう力を尽くします。
万が一長州藩が劣勢になったとしても半年や一年で長州藩が壊滅するようなことは無いでしょうが、長州が戦っている期間中薩摩藩は力を尽くして長州藩に協力します。
幕府との戦闘が終わり、幕府軍が引き返す時には薩摩藩は朝廷にすぐに申し上げて長州藩の冤罪を朝廷がお許しになるよう力を尽くします。
薩摩藩の兵を京に上らせた時に一橋慶喜(よしのぶ)や会津藩、桑名藩などの勢力が現在のように朝廷の権威を利用し我らの正しい行為を妨害するようなことがあれば、その場合、薩摩藩は彼らと戦うしかありません。
長州藩に着せられた冤罪が朝廷から許されたのならば、長州と薩摩両藩は一致協力して日本のため、朝廷の御威光を回復させるために必ず誠心誠意力を尽くします。
以上は私なりに現在の表現にした内容です。忠実な現代語訳になっていない箇所もあるかと思いますが、ご了承ください。
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薩長の盟約が結ばれた場所
薩長同盟の会談が行われた場所は京都に当時存在した薩摩藩邸や薩摩藩家老である小松清廉(きよかど)さんの邸宅でした。※小松帯刀(たてわき)という呼び名の方が有名な方かもしれません。
薩摩藩邸は現在の京都市上京区にありました。今は薩摩藩邸だった建物は存在しておらず、近くに薩摩藩邸が存在していたことを示す立て札や小さめの石碑があります。薩摩藩邸が建っていた土地は現在同志社大学の敷地となっています。薩摩藩邸跡の住所は「京都市上京区烏丸通今出川上る」でした。
小松さんの邸宅は現在の京都市上京区にあったそうですが詳細な場所は必ずしもはっきりとしていなかったようです。「参考地」という断りを入れた上で邸宅があったであろう場所の近くに石碑が建っています。住所は京都市上京区松之下町53-13となるそうです。※歴史研究家の方が上京区森之木町に邸宅が存在していたことを発見したそうです。2016年に判明したそうです。
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今回は時代劇でもよく取り扱われる薩長同盟について調べてみました。やはり当時の手紙の内容は昔の言葉なので読んでみてもすぐには意味がわかりませんでした(汗)。
この薩長の盟約に至るまでには下関で行われる予定だった長州との会談の約束を西郷さんの事情ですっぽかしたこともあってスムーズに運んだわけではないそうです。そもそも長州と薩摩は禁門の変などで武力衝突している関係ですから仲は険悪でした。
盟約にこぎつけた際には仲介者がいましたし、盟約の前には長州の為に薩摩が武器購入の支援をしたこと、長州の米を薩摩に提供したというような出来事がありました。仲が悪い二者であれば、同盟、盟約の前にはなおさらこのような根回しが必要ということなんでしょうかね。
「禁門の変」の後に立ち上げられた朝廷での「参与会議」が一橋慶喜公と島津久光さんの協力によって順調に運営されていたらこのような展開にはならなかったかもしれません。長州を巡って今後幕府と薩摩は対立を深めていきます。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
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