昔の日本の封建制度とは、簡単に言うと何なのでしょう

日本の封建制度とは?簡単に説明すると

日本の歴史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに昔の日本に存在した封建制度(ほうけんせいど)について出来るだけ簡単に書いてみたいと思います。封建制度というものはここで扱おうとしている日本の事例の他にも中世のヨーロッパや古代の中国大陸の国で存在した制度だと言われています。そうした他の国の封建制度は日本の制度と重なる点はもちろんあるものの同じ仕組みだったというわけではありませんので、分かりやすさを尊重し日本の封建制度についてこの記事では説明します。日本の封建制度を説明するために二つの立場の意味を書いてみます。一つは主君(しゅくん)。これは何となく漠然とご主人様と言いますか、大勢の人を従わせるいわゆる「偉い人」という印象が浮かぶかもしれません。しかし封建制度で説明される主君は自分が支配する、自由にできる土地、領地をいっぱい持っているという特徴があります。自由にできる領地を持っていないけれど偉い人という立場のかたはここでの主君に当てはまりません。もう一つの立場は家臣(かしん)。家臣は先ほど出てきた主君に従う家来の立場のかたです。ただ主君に従っているかたがた、みんなが家臣とは言えません。家臣となるかたは武力を行使できる必要があります。いくさで戦えるような人です。この主君と家臣の関係を成り立たせることによって主君が支配地域を治める仕組み、それが封建制度です。主君と家臣の関係について簡単に主君の立場で表現すると、「お前にわしが支配する地域の中のAという土地の権利を与える。このAという土地の民が収穫する農産物の中から税をとりたててお前の収入にするがよい。そのかわり家臣よ、おまえはわしに忠実に従い、他の勢力といくさになった時にはわしの軍の一員としてしっかり戦い、戦のない時にはわしの指示する役目を果たせ。」といったことになるかと思います。

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分かりにくかったでしょうか(汗)。つまり主君は家臣に対し自分の支配している地域の中の一部から土地を与えます。その土地が家臣の収入源となり家臣はその収入で生活します。今の時代のようなお給料、お金ではなく土地を与えるのです。主君から土地をもらった家臣は土地を与えてもらったかわりに戦となれば主君のために命がけで戦います。いくさが無いような時期は主君から指示された仕事、例えば重要な施設の警備のようなことなどを担当して主君に奉仕します。主君と家臣の間にはこのような主君から家臣への土地の権利の授与(じゅよ)、授け(さずけ)与えることと家臣から主君への従軍を中心とした奉仕が存在していました。主君と家臣の関係を説明するとこういった内容になるかと思います。主君は多くの家臣とこのような関係を成り立たせて支配地域を治めたのですが、こういった治めかたの仕組みのことを封建制度と言います。私なりに封建制度を簡単に説明しますとこうなりますが以下の項目では少し補足してみたいと思います。

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御恩、奉公など

歴史に出てくる特有の言い回しについては意識的に避けて上の項目で説明してみました。御恩(ごおん)、奉公(ほうこう)といった表現は鎌倉時代の説明で出てくるようですが、結局御恩というのは主君が家臣に土地の領有を認めたり、家臣がいい働きをした場合に新たに別の土地も授けるといったことを意味しています。奉公というのは家臣が主君のためにいくさで戦ったり主君から指示されたお役目を担当することを意味しています。鎌倉幕府の場合は時代によって実質的な主君が将軍というよりも執権の北条家だったのかもしれませんが、そういった人たちが土地の権利を家臣が保有することを認めたり報酬として新しい土地を与え、家臣である御家人(ごけにん)という幕府に従う武士は幕府のためにいくさを戦ったり幕府から指示された仕事を担当しました。

いつまで続いたのでしょう

こういった封建制度という仕組みは江戸時代の終わりまで続くこととなりました。江戸時代の場合は主君が江戸幕府の将軍であったり、各領地を治める大名だったりします。将軍や大名が家臣として従う武士に土地の権利を与えます。家臣側は将軍や大名(お殿様ということですね)のために忠誠を誓い、いくさになれば戦い、平時には言いつけられた仕事を担当しました。明治の時代になってお殿様たちは天皇に土地とその土地で生活する領民を返上しました。お殿様たちは付き従う者に土地を与える関係ではなくなります。お殿様たちから土地を返上された天皇、明治政府は政府に従う者に対し土地を与えて奉仕させるようなことはしません。お金の支払いで働きに報いることとなります。報酬として土地の権利を与える仕組みはこうして明治政府が政治をおこなうようになってから終わることとなりました。

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今回は日本の封建制度について一部取りあげました。教科書の鎌倉時代のあたりを読んでいると封建制度という表現が出てきます。封建制度という表現はこれまでも耳にすることがありましたが、どういう意味?と問われたとしたら何と説明していいのか考え込んでしまいました。自分なりにどういう制度なのか理解してみたくて今回のようなテーマの記事を作ってみた次第です。土地の提供と軍事的な奉仕で結びついた関係が基本となる仕組みのようです。でもこういった制度っていつまでも続けられる仕組みではないですよね。土地の広さには限りがありますし、倒す敵がいなくなって領土を拡大することが出来なくなってしまったら新たにいい働きをした家臣に土地を与えることが出来なくなってしまいます。江戸幕府が跡継ぎのいないことを理由に大名を改易(かいえき)、領地没収したのは幕府の直轄する地域を広げたかったということもあるのかもしれませんけれど、幕府に対して貢献した者にちゃんと報酬としての土地を提供する余力を確保するためだったのかなぁなどと感じました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

この記事で言う家臣の不満が強まった出来事に触れている話「元寇によって日本にはどのような影響があったのでしょう」はこちらです。

江戸時代におこなわれた領地没収について触れている話「大名の改易で多かった理由には何があったのでしょう」はこちらです。

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