大名の改易で多かった理由には何があったのでしょう

大名が改易された理由

 

一万石以上の領地を所有する武家、大名。経済的に非常に裕福そうに見えますし、江戸時代は大きな戦乱もないですから戦で敗れて命を落とす恐れもそんなに無さそうにも見えます。とはいっても一生安泰といったお気楽なものではなく、場合によっては江戸幕府から罰則を科せられてしまう危険性もありました。罰則の中でも重いものの一つに改易(かいえき)があります。改易、それは大名の場合、所有している領地や住んでいる家などを没収されてしまうというもので、改易された大名の家臣たちはみんな路頭に迷ってしまうことを意味します。どこかの別の大名が自動的に改易された藩の家臣たちを召し抱えるような、そんな救済策があったわけではもちろんありません。大名にとっては天国から地獄へ突き落されるような非常に恐ろしい仕打ちなわけですが、江戸時代の間で改易された大名は決して少なくはありませんでした。約240もの大名が改易処分を受けているのだそうです。処分を受けた大名の方々は一体どのような理由でそのような厳しい罰を幕府から与えられてしまったのでしょう。さまざまあったようですが、あとを継ぐ方がいないことや、統治する領内での争いごとなどが理由としては多かったようです。他には分別を欠いた行動をしてしまったとか城の改修をきちんとした幕府の許可を得ないでおこなったとか秘密の貿易をして利益を得ていたとか連帯責任をとらされたという場合もありました。

 

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跡継ぎ

 

当時お殿様がお亡くなりになった時にそのあと家を継ぐ方が決められていなかった場合、その藩はお取り潰しにされていました。家を継ぐお子さんのことを嗣子(しし)と言うそうで、また、そういった方がおられないことで家系が絶えることを「無嗣断絶 むしだんぜつ」などと言うそうです。江戸時代この理由で改易されてしまう大名が多く存在しました。領主の健康状態が悪化した際に藩が取り潰されないよう急きょ養子を迎えるという行為も規制されていた時期があり跡継ぎを確保するというのはなかなか難しかったようです。

 

領地内での混乱

 

例えば統治する領内で家来たちが争いごとを起こしてしまった場合、それを理由に取り潰されることもありました。誰が藩主になるかで新たな藩主となった人と家臣の間で対立が生じて揉めてしまい幕府から改易処分されている大名、最上家(もがみけ)の話は有名なようです。前の藩主が急死したのは他殺されたからです、と新しい藩主が幕府に訴え大変問題になりました。藩内での争いごとがあると、領主がうまく領地を治められていないということで幕府から責められてしまうものだったようです。

 

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乱心、乱暴狼藉

 

乱心というのは激しく怒り分別を欠いた行動をするという意味の言葉です。領主たるものきちんとした行動が出来なければならないということで奥さんや付き従う人たちを殺害したり突然取り乱して家臣を殺害しようとしたなどの事例で処分されている人たちもいたようです。また殺害、傷害といったことではなくても、道徳的に見て問題となる乱暴な行為が幕府側に知られ罰を受けるということもあったようです。

 

失政

 

領地内で生活する一般の人々、領民に対して厳しすぎる政治(例えば取り立てる税負担が多すぎるなど)をした場合、領民の人たちがわざわざ幕府に訴え出て幕府がそれを聴き入れて大名を改易するという場合もあったようです。領民にとってはありがたい話ではあります。

 

今回は大名の権利をはく奪される改易について一部取りあげました。藩が取り潰しされるような大事は一体どういった理由で実施されていたのか一般的な関心もあるようですし、個人的にもよくわかっていない所でしたのでこのようなテーマで記事を作ってみました。

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乱暴狼藉で改易というのなら領主に大いに責任があるでしょうけれど、跡継ぎがいないというのは努力してもうまくいかないこともありそうですし、これで取り潰されるというのも気の毒な気がします。また将軍に対し諌める発言をしたことで将軍の怒りを買い改易された大名もいたそうで、そういう場合諌めた内容が妥当であったなら将軍が乱暴な事をしたということになって将軍も罰せられるのが筋である話のようにも感じます。しかし将軍を罰することが出来る存在など当時の国内にはいるはずもなく、時の将軍の裁量次第ということになりますのでその点恐ろしい話ではあります。江戸時代の初期は大名の改易が積極的におこなわれ、それらの領地が幕府の統治下に入り幕府の基盤が強化されたのだそうです。ただ改易のやり過ぎで多くの家臣たちが浪人となり社会不安が強まるといった影響もあったと言われています。浪人となった改易藩の家臣たちから幕府は当然恨みを買う事になったでしょう。また改易対象として譜代大名や外様大名といった区分で差別されることはなかったようです。どちらも120くらいの家柄がおとり潰しとなっているので半々といった状態でした。幕府にとってどちらかというと都合の悪い存在ですし外様大名に対する処分が多そうに感じますが必ずしもそういうわけではなかったんですね。その点は意外でした。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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農作物がとても不作だった時の対応について触れている話「江戸時代には飢饉の対策としてどのような事をしたのでしょう」はこちらです。

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