元寇によって日本にはどのような影響があったのでしょう

元寇による日本への影響

 

中国大陸でモンゴル民族が勢力を拡大し帝国を築いた後、周辺諸国に従属国となるよう要求する姿勢を見せるようになります。途中から帝国を元と名乗るようになりました。中国大陸に近い我が国、日本も覇権を拡大する元から見ると支配下としたい対象となり朝貢国(ちょうこうこく)、属国となるよう使者が派遣されてくることもありました。この頃日本国内の政治を仕切っていたのは鎌倉幕府であり、幕府の指導者は元の要求を拒否します。日本の反応をよしとしない元は日本を侵略し領土を奪おうと攻撃してきました。この元による日本への侵略行為が元寇(げんこう)と呼ばれています。合計2回、元は日本に侵攻してきました。文永(ぶんえい)十一年、西暦1274年の文永の役と弘安(こうあん)四年、西暦1281年の弘安の役です。結果的には暴風雨にも助けられ元側の兵員が多数犠牲になり、元の軍勢は引き上げていき侵攻は失敗に終わります。この元の侵略行為、元寇によって日本の社会に影響が出たと言われています。幕府の権限が強化されたといったことや、幕府に対する武士階級の人々の不満が強まったということがよく挙げられています。

 

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鎌倉幕府の権限が強まりました

 

他国から侵略を受けるという事態は当然大変なことで、もし日本側が敗れてしまうと日本に住む人々が元の奴隷にされてしまうかもしれませんし、領土も奪われてしまうことになりかねません。日本国内のどの勢力にとってもそんなことは回避したい状況です。元と戦う場合まず幕府に所属する武士、御家人(ごけにん)の人たちを元と戦ってもらうために動員することが検討されるのは自然なことです。しかしこの元寇のときには幕府に所属しない立場の武士の人々に対しても、幕府は指示を出し戦に動員できる権限を得ることができるようになったそうです。出来るだけ多くの兵員をかき集めたということですね。また幕府ではない勢力が所有している土地から食料などを徴収することが許可されるようになりました。人員と物資の面で国内がまとまって幕府に協力する体制が作られていったようです。戦時体制ということで幕府の権限が平時に比べ強まっていきました。

 

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不満が強まりました

 

元の侵攻を2度にわたって撃退することに成功した後、実際に戦った武士の方々の間で不満が強まりました。はたらきに見合った経済的な報酬が得られず、お金が無くなり生活していくのがとても苦しくなったからです。幕府の命令で九州北部におもむいて武士の方々は元の軍勢と戦ったわけですが、戦のための費用は自分たちでまかなわなければなりませんでした。もともと幕府に所属している武士、御家人の方々は幕府から与えられた領地があります。その領地で収穫された農作物の一定割合を税として徴収し、それをお金に換えて御家人の方々は生活します。元を迎え撃つための軍事行動に参加しろと幕府から命令されてもそのための費用が特別に幕府から支給されたのではなく、自分の領地から得られる通常の収益の中から負担しなければなりませんでしたので元が攻めてくる以前の生活に比べ当然出費がかさみ経済的に苦しくなりました。おまけに元を撃退するのに貢献しても幕府から領地を更に与えられた武士は限られていました。多くの武士は元に勝利しても経済的な恩恵を受けることが出来なかったのです。自分の領地から得られる収入で生活することができず金貸しから借金するような武士の方々がたくさん出てくるようなことになったそうです。せっかく幕府の命令に従って働いても苦しい生活を余儀なくされたことで鎌倉幕府の統治に対し不満を持つ武士の人々が増えていきました。

 

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今回は元寇による影響について取り上げました。鎌倉幕府が滅亡した原因の一つとして武士の不満が強まっていたことがよく挙げられるようですが、そのきっかけとして元寇が関係しているという見方が多く、このようなテーマで記事を作ってみようと思った次第です。ただでさえ御家人の一族が増えることで領土を分割相続していくため一人の御家人の所有する領地が狭くなり収入が少なくなり苦しくなる中、軍事行動に参加するよう命令されてその費用を自分でまかなわなければならないというのでは更に経済的に苦しくなるのも無理はありませんよね。領地を元から奪ったわけではないので貢献した武士の人々に領地を与えることは出来ないのは仕方ないとしても、幕府のお金を戦ってくれた武士の方々に支給するというやり方で、はたらきに報いるというやり方は出来たのかもしれません。幕府にお金があれば。報酬が領地という当時の仕組みはこういった時不便ですね。他国からの侵攻というのは例え領土を奪われずに済んだとしても統治する組織の土台を大きく揺るがすような打撃を与えるものだということを今回知ることが出来ました。秀吉さんの朝鮮出兵で日本軍と戦ったことにより当時の中国大陸の大国、明国の力が弱まり女真族という民族に国を滅ぼされる要因にもなったと言われているそうです。これも戦争をすること自体が統治する体制を弱めるということを示す一例なのでしょう。攻められるときは攻められてしまうものなのでしょうが、他国に侵略の意図を持たせないくらい、しっかり軍備を整えるというのが現実的な予防策なのかなという気がします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

元・高麗による攻勢を撃退した鎌倉幕府の滅亡について触れている話「鎌倉幕府が滅亡した時期はいつ頃だったのでしょう」はこちらです。

別の時代の大陸勢力との戦いについて触れている話「秀吉さんが命じた朝鮮出兵はどんな結果になったのでしょう」はこちらです。

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