信長さんが堺を直轄地にした目的は何だったのでしょう

堺を直轄にした信長さんの目的

 

織田信長さんが堺という都市を直轄地化、統治者(この場合信長さん)が直接支配する地域としたのは永禄(えいろく)12年、西暦1569年頃の話でした。室町幕府の将軍として足利義昭さんを担ぎ京都に上洛した信長さんは、義昭さんから堺など複数の地域の支配を許されたのだそうです。この堺というのは現在の大阪府堺市の堺です。将軍となった足利義昭さんから室町幕府の要職(副将軍や管領など)に就任するよう誘われた信長さんは義昭さんの上洛に大変貢献したことによる報酬とも思われる要職の提案を辞退し、それとは別に堺などの都市の支配を義昭さんに願い出て許可してもらったと言われているようです。許可をもらった信長さんは自分の配下の人間を許可が出た都市に代官として配置します。信長さんにとっては副将軍などの役職よりも欲しかった堺などの都市の支配権。信長さんはどのような目的があって堺などの都市を自分の自由にしたいと考えたのでしょう。信長さんは堺の商人の持つ大きな財力を利用しようという目的があったといったものや、当時特に重要であった武器、鉄砲の生産地であるため支配下に置きたいと考えたといった見方もあるようです。

 

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大きな財力を利用したかった

 

そのころの堺はどのような場所だったのでしょう。当時の堺は中国地方や四国、九州地方といった西日本の様々な地域と海上交通、輸送で結ばれていた要所であり、様々な物資が出入りする場所となっていました。国内だけではなく中国大陸や一部欧州の国々が関わる東南アジア地域との交易もおこなわれていた場所として栄えていたと言われています。中国大陸に存在していた大国、明の商人と日本の間で交易がおこなわれた際、兵庫の港が使われていた時代がありましたが、国内の戦乱で荒れてしまい、代わりの役割を堺が担ったことで大きく発展したそうです。交易による利益は非常に大きかったそうで、織田さんは豊かな堺の商人たちから多額の金を拠出させ軍資金としてそのお金を利用しました。堺を支配下に置く際、信長さんは2万貫(まんがん 貫はカンと読むそうです)という額のお金を堺の商人たちに要求したと言われています。この2万貫は今のお金で何十億円もするくらいの巨額のお金だったとも言われているようです。信長さんから武力制裁を受けたくない堺の商人たちはそのお金を提供しました。このような豊かな人々の財力を利用することが出来るという利点があり信長さんは堺の支配にこだわったという指摘は多いようです。

 

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重要な武器生産の拠点をおさえたかった

 

堺は鉄を作るために必要な原料を船で運び込む重要な場所となっていました。そのため堺には鉄の加工技術を持つ人々がたくさんおられたそうです。刀鍛冶の方々もおられました。天文12年、西暦1543年に日本に鉄砲がやってきます。この新しい武器に堺の職人の人々も注目し、堺の鉄の加工技術に優れた人々は鉄砲を作ることが出来るようになりました。堺は当時非常に貴重だった武器、鉄砲の生産地となります。また堺は刀も生産しますし他国の武器が交易のために集まってくる場所でもあったのだそうです。戦で使われる武器、兵器の生産、流通の拠点という場所でもあった堺をおさえることは、信長さんが鉄砲を効率よく入手するのに非常に役に立ちますし、信長さんに敵対する勢力が支配する地域に鉄砲を流通させづらくするのにも役立ちます。このように重要な兵器の生産、流通に影響力を行使できるという利点も堺を直轄地にした目的としてよく指摘されているようです。

 

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今回は信長さんの政治に関わる出来事、堺の直轄化について一部取りあげました。関西とは異なる地域に住んでいる私からすると、堺は大阪の有名な都市という印象以外あまり頭に浮かぶものが無かったこともあって、信長さんがこの都市をあえて直轄領にした理由というのがよくわかりませんでした。教科書でも自治都市だった堺を直轄領にすることが畿内の経済力を自分の影響下に置く典型的な例として挙げられてはいるのですがはっきりと意義が見えてこないこともあって調べてみたく、このようなテーマの記事を作っています。今回調べていて金属加工の高い技術を持った人たちが集まっている場所だったということ、直轄化に鉄砲の生産が非常に大きく関係しているという見方が存在することを初めて知ることが出来ました。重要な武器を生産できる地域を自分の支配下に置けば、戦の時にはお金だけではなく武器の拠出も求めることが出来ますし統治者としてはありがたいでしょうね。また金属加工の技術がその後も受け継がれ自転車部品の製造で他の地域に比べ優位性があったようで、堺は自転車生産が大変に盛んな地域となっていきます。室町、戦国時代の出来事というのは今の時代と隔絶して、少し他人事のように感じてしまう場合が私などはあるのですけれど、そうしたこと(堺で自転車生産が盛ん)を知って、歴史は現在の世の中とつながっているのだなぁと改めて感じる機会になりました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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