地下鉄サリン事件で被害者となられた方々の人数は

地下鉄サリン事件で被害者となられた方々の人数

 

西暦1995年(平成7年)の3月20日、オウム真理教(おうむしんりきょう)という宗教団体が東京都内でサリンと呼ばれる毒性の非常に強い化学物質を使用して地下鉄を利用していた人々を無差別に襲撃するという凶悪な破壊活動をおこないました。「地下鉄サリン事件」と呼ばれている出来事です。事件が発生した当時まで、政治目的の破壊活動、いわゆる「テロ」でサリンのような化学兵器として利用される物質が地下鉄のような公共性の高い輸送施設で使われた事例は無く、国内だけではなく他国にもこの出来事は大きな衝撃を与えたようです。この地下鉄サリン事件と呼ばれている出来事で被害者となった方々の数は非常に多く、お亡くなりになった方々の人数は13名、負傷した方々の人数は6000名以上になると言われています。公安調査庁や警察庁など日本の治安を守るために活動している組織は負傷者の数として5800人以上という数字を挙げています。後にオウム真理教による破壊活動で被害を受けた方々を支援する法律が作られることになるのですが、その法律による給付金を支給されている被害者の方々の人数が5800人以上という数字なのだそうで、先ほどのような組織はこの出来事での負傷した被害者の数字として示しているようです。公的な組織の挙げているこのような数字の他にも負傷者が約6000名以上にのぼったとしている指摘もあります。ある被害者支援団体では約6500名の方々がこの事件で負傷したと認識しているようです。負傷された方々の人数に関してはこのようにやや幅があるのですが、複数の指摘を確認してみても6000名ほどという数字がよく取り上げられています。負傷された方々の中ではその後も症状が残っておられる方々もおられるそうで、オウム真理教犯罪被害者支援機構の調査によりますと、被害を受けた方々の3割ほどの方々には心的外傷後ストレス障害を疑う症状が、8割ほどの方々には目がかすむなど目に関する症状が残っているという結果になったそうです。地下鉄サリン事件は20年以上前に発生した事件ではありますが、このように現在でも苦しまれている方々がたくさんおられるわけです。

 

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オウム真理教はその前に似たような破壊活動をおこなっていました

 

地下鉄のような施設で毒物を使用した破壊活動がおこなわれたのは地下鉄サリン事件まで例がなかったことだったようですが、一般市民に被害が及ぶ毒物を使用した破壊活動はすでにオウム真理教によっておこなわれていました。事件発生当時は何者による犯行だったのか判明していなかったのですが、前年の1994年の6月に長野県の松本市という地域の中心都市ではあるものの、県庁所在地ではない地域で地下鉄の事件と同様、サリンを使用した破壊活動がおこなわれていました。「松本サリン事件」と呼ばれている出来事です。この事件でも8名もの方々が亡くなられており、警察庁の情報では負傷者が約140名、一部では負傷者が約660名にものぼったという指摘もあるようです。地下鉄サリン事件という大規模な破壊活動の9か月ほど前に既にこのように多くの方々が被害に遭われていました。この松本サリン事件がオウム真理教による犯行だったことが判明したのは松本サリン事件が発生した11か月後、地下鉄サリン事件が発生した2か月後の1995年5月のことでした。

 

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なぜこのようなことを実行したのでしょう

 

このような事件を引き起こした宗教団体の指導者、松本智津夫(まつもとちづお)という人物が地下鉄サリン事件をなぜ引き起こしたのかについて明確な証言をしているわけではなく、犯行を追及する立場の検察などの指摘ではあるのですが、地下鉄サリン事件より前に実行していた様々な破壊活動に関して警察などの捜査の手がオウム真理教に近付いて来ていたため、捜査当局の注意をオウム真理教からそらすことを目的に地下鉄サリン事件を実行したと見られているようです。また一部にはオウム真理教が国家の転覆(既に存在している政治権力を倒し、自らが権力を握ること)を計画していたという指摘もあります。

 

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今回は1990年代半ばに発生した出来事、地下鉄サリン事件について一部取りあげました。現在も宗教団体の中心人物から詳細な話を聞き出すことが出来ていないらしく、オウム真理教が関係する事件についてはわかっていないことも多いようです。この宗教団体は上空から毒物を散布して無差別に一般市民を襲撃するなどという計画も持っていたことが後に判明することになります。そうなった場合の被害者は松本サリン事件、地下鉄サリン事件と比較にならない程の数にのぼっていたであろうことが十分考えられたらしく、どうしてこのような団体が国内で一定期間であっても活動することが可能だったのか、非常に不思議に感じました。一般的な常識とかけ離れた教義や政治的主義によって破壊活動を正当化するような勢力がまぎれもなく存在するということをこの出来事は示しています。どのようにしたら罪の無い一般市民をそのような勢力から守ることが出来るのか、政府は当然考えることでしょう。しかしこのような団体に対して当然適用されるであろう破壊活動防止法は地下鉄サリン事件が発生したにもかかわらずオウム真理教に対して適用されることがありませんでした。自由や人権を守るというのはとても大切だという主張はもっともな話だと思いますが、その自由や人権を守るために機能している現状の国家権力を武力で倒して自分が権力を奪い取ろうとするような勢力が天下を取ってしまったら、そのような世の中で自由や人権は果たして守られるのでしょうか。そういったたぐいの勢力が国民の自由や人権を守るとは個人的には到底思えません。当時の政権の法律の運用の仕方についてはこの出来事を調べていてとても疑問を感じました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

治安を守るために存在していた戦前の法律について触れている話「治安維持法とは?この法律が制定された理由や影響について」はこちらです。

自衛隊設立の目的について触れている話「自衛隊が発足するまでにはどのような経緯があったのでしょう」はこちらです。

 

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