日本のさつまいも普及の歴史はどの様なものだったのでしょう

日本でのさつまいも普及の歴史

食材の歴史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに普段からお世話になっている食材の一つ、さつまいもの国内普及に関する歴史について書いてみたいと思います。さつまいもは温暖な地域で生育しやすいという特徴を持った植物ですから日本国内で最初に伝わった地域というのも温暖な地域、南西諸島でした。安土桃山時代の末期、江戸時代初頭に中国大陸から宮古島や沖縄などに伝わったのが始まりとされています。その後沖縄地方から薩摩藩に伝わり、薩摩藩から国内の様々な地域にさつまいもは広まっていくことになります。さつまいもはその後寒冷な地域にも普及し19世紀には東北地方でも栽培されるようになりました。国内への伝来から日本国内の多くの地域に広まり、東北地方で栽培されるようになるまで200年以上経過しているようです。

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宮古島や琉球に

長真氏旨屋(ちょうしんうじしおく)という名前のかたが航海中に遭難して中国大陸に漂着し、そこでさつまいもに出会います。彼が帰国の際にさつまいもの苗を携帯して島にさつまいもがやってきました。1590年代の話だそうです。宮古島に伝わったさつまいもが各地に広まったという話ではないそうですが、島内で普及することになりました。琉球(今の沖縄にあたる地域)では中国大陸の国、明との交易に関わっていた琉球のお役人さんが西暦1605年に琉球に戻ってきた際に明からさつまいもの苗を鉢植えの状態にして持ってきたのだそうです。苗からの栽培に成功し、儀間真常(ぎましんじょう)さんというお役人のかたはその一部を譲ってもらい栽培方法を研究されたそうです。食料不足の改善に役立ったため、さつまいもが琉球全体に広まることとなりました。

薩摩藩に

さつまいもの名前にも含まれる国、薩摩(さつま)にさつまいもが伝わった時期というのは琉球にさつまいもが伝わった時期とあまり差はないようです。薩摩藩が琉球を攻撃した時に薩摩藩の兵が琉球から薩摩に持ち帰ったのは1611年だという話があります。しかし栽培という点でさつまいもが薩摩藩で普及したのはもっと後の話で、1698年に琉球の王様がさつまいもを薩摩藩の家臣にあたる人物、種子島久基(たねがしまひさもと)さんに贈り、それを栽培したことにより薩摩藩でさつまいもが広まることになったようです。琉球にさつまいもが伝わってから薩摩藩でさつまいもが広まるまで90年以上経過しました。

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薩摩藩から各地へ

薩摩藩の意志として積極的に日本の他の地域にさつまいもを普及させたということではないようです。藩の重要な特産物として経済的にさつまいもが貢献していたので様々な地域でさつまいもが作られるようになると薩摩藩が損をしてしまうため藩の外に流出させることは規制されていました。しかし他の地域の人々は薩摩からさつまいもを何とか手に入れ各地で栽培に成功させていきます。九州北部の対馬、瀬戸内地方、島根などといった地域に伝わりました。それとは別に幕府のお役人をされていた学者の青木昆陽(あおきこんよう)さんの場合は幕府の意向もありますので薩摩藩も断れるはずもなく、薩摩からさつまいもを取り寄せ、幕府の政策として飢饉対策の意味でさつまいもの栽培を奨励することで関東地方にさつまいもが広まるきっかけを作ることになりました。青木さんがさつまいもの栽培を奨励する本を出したのは享保(きょうほう きょうほ)二十年、西暦1735年のことでした。本州北部の地域にさつまいもが伝わったのは19世紀、西暦1800年代に入ってからだったようです。宮城は1820年代、山形は1850年代、岩手県では明治維新以降に栽培が試みられるようになりました。

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今回は日本国内でのさつまいもの普及の歴史について一部取りあげました。さつまいもも黒砂糖と同様、江戸時代の誕生した特産品を眺めていて、いつさつまいもが日本に伝わったのだろうと疑問に感じ今回のようなテーマで記事を作ってみようと思いました。サトウキビのようにさつまいもも中国大陸経由で広まることになったようです。ただ広まる原因になったのはお米が育たないような天候、気候が恵まれない状況でも生育が期待できるという食料問題が背景にあったようです。地域にもよりますが稲の生産がよくない年でもさつまいもが栽培できたおかげで餓死せずに済んだという場合もあったと言われています。意外に日本に伝わってそれ程時代が経過していない食材であったことを知る結果となりましたが、江戸時代以降の多くの日本人を飢えから救ってきた非常に頼もしい存在だったようです。戦後食料事情が改善したことでさつまいもの生産量もかなり減少したそうですが今後何らかの事情で食料を国外から輸入しづらくなるようなことがあればさつまいもの価値がまた見直されるようなことになるのかもしれません。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではクローバーうさぎさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

現代の砂糖生産でも重要な作物であるサトウキビについて触れている話「サトウキビ栽培は日本の場合どのような歴史があるのでしょう」はこちらです。

縄文時代よく消費されていたどんぐりについて触れている話「どんぐりの食べ方は縄文の頃だとどのようにしたのでしょう」はこちらです。

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