日本の第一次世界大戦参戦理由と宣戦布告した相手について

第一次世界大戦で日本が参戦した理由

 

西暦1914年(大正3年)に第一次世界大戦が始まりました。ヨーロッパではイギリスが戦争に参加することとなります。当時日本は英国との間で第三次日英同盟協約(にちえいどうめいきょうやく)を結んでいました。第三次日英同盟協約は1911年に結ばれています。この協約では同盟を結んでいる相手(Aとします)が挑発することなく一カ国か複数の国によって攻撃された場合や東アジアおよびインドでの日本、英国両国の領土、権益を守るために戦う場合は攻撃や侵略的行為を受けた場所が地球上のどの地であったとしてももう一方の同盟国(Bとします)はAに援助しAと協同して戦うこととなっていました。英国とこのような約束を交わしていたこともあり、英国から日本に対し今回の戦争に英国側に立って参加してほしいという要請が来ました。同盟協約の内容に照らし合わせると、今回第一次世界大戦に英国は参戦しましたが英国自体は侵略も受けていませんし、英国の権益が危険にさらされるようなことも起きていません。ただベルギーと英国が条約を結んでおり、ベルギーにドイツが侵攻したという理由で英国が参戦することとなりました。しかし日本と英国が同盟関係である以上冷たい態度もとりたくはありません。仲間から助けてくれと言われているわけですから。当時の日本の政府は大隈重信(おおくましげのぶ)さんの内閣、第2次大隈内閣が動かしていました。大隈内閣は英国からの要請もあり緊急の会議を開いて本来ならば天皇ご臨席の会議、御前会議(ごぜんかいぎ)、軍部との意見交換を行うものなのだそうですが、それも行わずに参戦を決定したのだそうです。以上のように建前的には英国との良好な関係を守るために英国の要請によって戦争に参加したということになります。他にも日本の国際的な地位を高める機会であるからという思惑や、一方で本音としてこの戦争に参加することを利用してアジア地域での日本国の利権、権益を確立する、拡大するという思惑があった、そのような指摘もあるようです。

 

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第一次世界大戦で日本が宣戦布告した相手国

 

1914年の戦争で日本がまず宣戦布告した相手国はドイツ帝国でした。1914年の8月15日にドイツに対して中国大陸に当時存在していたドイツの艦隊を撤退させることや当時ドイツが中華民国(当時清国はもう亡んでいました)から租借、借りている膠州湾(中国大陸沿岸の北側に存在する山東省という地域があります。山東省には山東半島という大きな半島があり遼東半島と向かい合っています。この山東半島の南側の湾を膠州湾こうしゅうわんと呼びます。)を中華民国に返還するという前提でドイツが日本に明け渡すこと。このような条件をドイツ帝国側に伝えました。ドイツ帝国側からは日本の伝えた内容に対する返事が無く、その結果8月23日にドイツ帝国に対し日本は宣戦布告しました。そしてその二日後の8月25日にドイツと同盟関係にあり第一次世界大戦を戦っていたオーストリア=ハンガリー帝国に対しても日本は宣戦布告を行いました。調べた範囲で確認できた日本の宣戦布告相手国は、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の二カ国でした。

 

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第一次世界大戦の発生理由と英国の参戦

 

ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国は三国同盟と呼ばれる軍事同盟を1882年に結び、それ以降もこの関係を維持していました。それに対しロシアとフランスが同盟関係にありました。露仏同盟(ろふつどうめい)と言います。このロシアとフランスに対し英国は英仏協商、英露協商という協調する外交関係を形成していました。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人に暗殺されたことでオーストリアがセルビア王国を結果的に攻撃することとなり、この状況に対してロシア帝国がセルビア王国を保護するために軍を動かします。ロシアとセルビアは同じスラブ系の民族です。この二カ国は当時関係が強かったようですね。オーストリアとロシアの戦いになることをドイツは嫌がってロシアに軍を動かさないよう伝えましたがロシアは受け入れず、オーストリアと同盟関係にあったドイツがロシアに宣戦布告しました。ロシアとフランスが同盟を結んでいることもあって、ドイツはフランスに対しても宣戦布告します。ドイツにとってフランスを攻略するのにベルギーという国が存在する地域は重要なようで、ドイツはベルギーにも宣戦布告しました。英国はベルギーとの間で条約を結んでおり、英国がベルギーの独立と永世中立を保つことを認めていました。そのベルギーにドイツが侵攻したことで英国はドイツ帝国に宣戦布告することとなります。このような経過をたどり英国もこの戦争に関わっていくこととなりました。

 

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今回は日本が第一次世界大戦に関与していく理由や対戦相手、英国が大戦に関わるまでの内容について取りあげてみました。英国が日本に対し参戦の要請をしたのは上記の通りですがこのことについて米国は英国に対し反発したのだそうで、その結果英国は日本に対する参戦の要請をいったんは引き下げたそうです。アメリカは日本が参戦することで中国大陸での権益をさらに増やそうとするだろうと見ていたということなのでしょうね。その後実際に日本はアメリカの見立て通り当時の中華民国に対し様々な要求をすることになります。英国との同盟関係がある以上は英国が戦っている中参戦しないということだと約束を守らない国、裏切った国と見なされて国際社会で信用を得られなくなるでしょうから、同盟を結んでいる以上参戦するのはやむを得ないのだろうなとは思います。しかし当時政治的発言力のあった元老という立場の人の中にはこの欧州の大戦を日本が力を伸ばすための天の助け(天佑てんゆう)だというような内容を言った人もいるのだそうです。とんでもない大きな規模の戦争がヨーロッパで起きて、多くの人が殺し合う出来事を「天の助け」と受け止める感覚にはついて行けませんが、このような考えが現実の政治家の考えというものなのでしょうかね。冷酷な感じがしてしまいます。これくらいの考えをするようでないと国の指導者ってなれないものなのでしょうかね。どの政治家も皆そう考えるというわけでは当然ないでしょうけれど。第一次世界大戦の始まりを調べていて、ある国の皇族に対する暗殺事件がこのような大きな戦争に結びついてしまうという事実には本当に驚いてしまいます。オーストリアとセルビアの戦いがロシア、ドイツ、フランス、イギリスを巻き込んでいく経過は何かドミノ倒しのように感じました。様々な国の間で同盟関係、協力関係を結んでいると戦争の規模が一気に拡大するものなのですね。かといってじゃあ中立が良いかというと、ベルギーのように中立を宣言している国に戦略上の理由で攻めてくる国(ドイツのことです)も出てきますから、そういう問題でもないようです。中立でも駄目なら同盟を組んでおいた方が安心ということになるでしょうか。状況にもよるんでしょうかね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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