ブレストリトフスク条約とは?締結された場所や内容についても

ブレストリトフスク条約とは

 

ブレストリトフスク条約(ぶれすとりとふすくじょうやく)とは西暦1918年の3月にドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国等の第一次世界大戦を戦っていたいわゆる同盟国側とボリシェヴィキ勢力が支配していたロシアやウクライナとの間で締結された講和条約です。ボリシェヴィキというのは社会主義の一つであるマルクス主義を信奉する政治勢力で当時ロシアの政治権力を手に入れていました。マルクス主義というのはこれまで個人が所有していた資本(事業を起こすためのお金や設備、工場など)を社会全体のものと位置づけ、個人所有を否定し、階級社会を良くないものと考え、皆同じ立場の格差の無い社会を目指すという思想です。講和条約というのは参戦国同士の間で合意して戦争を終了させるために結ばれる条約のことです。この条約を結ぶことでボリシェヴィキ勢力が支配していたロシアは第一次世界大戦から手を引くこととなりました。もう一方の当事者ドイツ、オーストリア=ハンガリーなどの国はロシアとの戦争を終了させることになりましたが、フランス、イギリスなど連合国側との戦争は継続している状態です。(第一次世界大戦が休戦するのはこの年の11月になります。第一次大戦全体の講和条約ヴェルサイユ条約は1919年6月に調印されました。)

 

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ブレストリトフスク条約が締結された場所

 

この条約が締結された場所はこの条約の名前にもなっているブレスト=リトフスクという所でした。現在このブレスト=リトフスクはロシア連邦に隣接した国、ベラルーシ共和国の中に存在しています。現在の地名は「ブレスト」となっています。ベラルーシ共和国の南西にある都市で、ベラルーシの西に隣接する国、ポーランドとの国境に非常に近い場所になります。条約が結ばれた当時このブレスト=リトフスクはドイツ帝国に占領されていたそうです。元々はロシア帝国の領土だったようですが、1915年にドイツに占領されました。1919年以降はポーランド領になっていた時期もありましたが、1939年、ナチスドイツとソ連がポーランドを分割した時にソ連領となり、ソ連という枠組みが無くなった後ソ連はたくさんの共和国に分かれ、ブレストリトフスクは分かれた共和国の内の一つ、ベラルーシ共和国の領土に入ることとなりました。

 

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ブレストリトフスク条約の内容

 

講和条約の本来の目的であるロシアとドイツ、オーストリア=ハンガリーなど同盟国の間の戦争の終了や様々な地域をロシア側が放棄し、ドイツやトルコに譲り渡すことが合意されています。この合意によってポーランドや、北欧の地中海であるバルト海の東側にあるいわゆるバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の地域、スカンジナビア半島のすぐ近くにあるフィンランド、現在のグルジアやアルメニア、アゼルバイジャンなどがある地域、ザカフカースの一部などからロシアは手を引いています。ザカフカースの一部についてはトルコ帝国に譲ることとなり、他の地域についてはドイツ帝国に譲り渡されました。このドイツに譲り渡された地域から後に様々な国が独立することとなります。

 

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今回はブレストリトフスク条約を取りあげてみました。この、名前が複雑で覚えにくい条約をわざわざ取り上げたのは、大国であるロシアが第一次世界大戦から手を引いたという歴史上重要な出来事を約束することとなった条約だからです。上記の通りボリシェヴィキが率いるロシアは大変広い範囲の領土を手放すこととなり政権内でも大変な反発が出たそうです。ボリシェヴィキのロシアは第一次世界大戦参戦国に向けた「平和に関する布告」で無賠償、無併合、民族自決を提案しましたが現実を見るとこのように領土を譲り渡さなければドイツ、オーストリア=ハンガリーなどとの戦闘を終了できなかったようです。ボリシェヴィキのロシアが提案した理想と現実は全く異なるということがこういう事からもわかりますね。元々第一次世界大戦が始まったのにはセルビア人がオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子の方を暗殺してオーストリアがセルビア王国を攻撃するという情勢になり、セルビア王国を守ろうという意図でロシア帝国が動いたことも大きく関わっています。その結果がこのような広大な領地を手放す結果となるとは、戦争参加した時のロシアの為政者たちは全然考えていなかったでしょうね。この大戦に参加した過程でロシアの皇室は倒れてしまいましたし、戦争というものは一つの国を大きく変化させてしまう本当に恐ろしいものだということを改めて感じました。自国が侵攻されたことに対抗するという理由であれば戦争するしかないでしょうけれども。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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