ロシア革命後に発生した干渉戦争とは?理由についても

ロシア革命後の干渉戦争とは

 

ロシア革命後の干渉戦争(かんしょうせんそう)とは西暦1918年の3月以降イギリス、フランス、アメリカ、日本といった国がロシア国内で革命に対し反対する勢力を支援するため軍を派遣し革命勢力側を討伐しようとした戦いのことです。1917年にマルクス主義を信奉する政治勢力ボリシェヴィキがロシア国内で権力を手にする結果となりました。とはいってもこのロシア国内の政治の動きに反発する勢力もまだロシア国内には存在していたので、そのような反革命勢力を支援してボリシェヴィキ勢力を権力の座から引き摺り下ろし社会主義革命を失敗させようと干渉戦争に参加した国々は考えました。マルクス主義は社会主義思想の一つで生産手段の設備、工場、お金などを社会全体の財産とし、これまでの世の中では当然認められていた個人所有を否定して、階級の無い社会を目指すという考えです。革命を失敗させるために軍を派遣したイギリス、フランス、アメリカ、日本ですがロシア国内の革命に反対する勢力がボリシェビキ側の武装勢力に制圧されてしまい、1920年にはほとんどの国がロシア革命に干渉することを断念する結果となりました。日本は樺太の部隊を除いて1922年まで出兵を続けたそうです。

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1918年の3月にロシアの北西部にあるムルマンスクという地域にイギリス、フランスの軍隊が侵入します。ムルマンスクはフィンランド北部の東隣あたりですね。イギリスやフランスの支援もあってこの地域の主導権を革命勢力から一時奪うことに成功していましたが、1919年にはイギリス、フランスは撤退してしまうこととなります。1920年には再び革命勢力が支配することとなりました。1918年の7月にはムルマンスクの東の地域、ロシアの北西部にあるアルハンゲリスクにもイギリス、フランス、アメリカが侵入しました。しかし現地の人たちは革命勢力の側を支持していたことや各国の軍の中で暴動が発生する懸念が高まったこともあり、反革命勢力を支援する機運は次第に薄れていきました。侵入した各国はこの地域でも1919年に撤退してしまうこととなります。ロシアの東側の都市ウラジオストクには日本やアメリカ、イギリスが侵入しましたが、ロシア帝国の捕虜となり、革命後国外に出ることが出来ていなかったチェコスロバキアの人たちを救出するという目的を完了したことで、この地域の各国の軍も日本を除き1920年に入り撤退することとなります。日本はその後も出兵を続けましたが、この出兵継続が他の国から領土的野心があるのではないかと批判され、アメリカの圧力もあって1922年に撤退しています。

 

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干渉戦争を行った理由

 

ロシア国内の革命にイギリス、フランス、アメリカ、日本などの国が干渉した理由については様々な指摘があるようです。一つにはボリシェヴィキ勢力が支持するマルクス主義が他の国にも影響を与え、他の国でもロシアと同じような社会主義革命が発生してしまうとまずいということ、二つ目には革命後のロシアの政権とドイツ帝国が講和を結んでしまうとドイツがロシアと戦争しなくなり、ヨーロッパの東側でドイツ帝国やオーストリア帝国が戦う必要が無くなり、その兵力をイギリスやフランスとの戦闘にまわすことが出来るようになってしまうため、イギリスやフランスの負担が大きくなってしまうということ、三つ目にはロシア帝国時代にオーストリア=ハンガリー帝国の兵として戦いロシア帝国の捕虜となっていたチェコスロバキアの人たちが革命勢力の意向で国外に出ることが出来なくなっているため救出しなければならなかったということ、四つ目にはロシア帝国時代に各国との付き合いでロシア国内に存在していた外国の資産を守る必要があったということ、以上のような理由で各国はロシアの革命に干渉したということのようです。

 

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今回はロシア革命に対する干渉戦争について取りあげてみました。日本政府がシベリア出兵を行うのはこの干渉戦争の一環でもありますし他の国の革命に対する関わり方を見ておきたいなと思い調べてみました。ロシア国内の反革命勢力があまり国民に支持されず、勢いを強めることが出来ないという流れになって結局それぞれの国がこれ以上反革命勢力を支援してもうまくいかないということで干渉を断念していくことになります。当時のロシア国民にとってボリシェヴィキ勢力が主張していた政治宣伝はそんなに魅力的に映ったのでしょうかね。貧しい国民がたくさんいる中、階級の無い、皆が協力して支える社会というのは素晴らしいものに違いないと思ったのかもしれません。まだどこの国も社会主義の国になっていませんし、そのような体制になったら国民がどういう目に遭うか誰も体験していませんから、たくさんの国民が支持してしまうのも無理もないというところでしょうか。干渉戦争に参加した国の振る舞いを見て感じましたが、倒そうとしている政治勢力が国内の多くの国民の支持する勢力である場合、いくら干渉している国が強国であってもその企てを断念するという場合もあるものなのですね。いつもそういう結果になるとは限らないかもしれませんが。多くの国民が一丸となるということはそれくらい強力なもののようです。この点は国の独立を維持したいと考える日本国民にとって注目したほうがいいところなのかなと感じました。当時の多くのロシア国民が支持した思想は別ですが。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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