勘解由使と検非違使の違いとは何なのでしょう
勘解由使と検非違使の違い
平安時代の歴史に関心を持たれてこのページに来られた皆さんこんにちは!この記事では歴史に出てくる言葉、勘解由使と検非違使の違いについて私なりに書いてみたいと思います。ふりがなを付けておりませんでしたが、勘解由使は「かげゆし」と読むことが多いかと思いますけれど「かんげゆし」と読まれることもあります。検非違使は「けびいし」と読むことが多いと思います。他の読み方としては「けんびいし」があります。我々の普段の生活では聞くことのない言葉ですが、これは平安時代、政治をおこなっていた朝廷が設けた役職の名前です。この平安時代に新たに設けられた役職、勘解由使と検非違使にはどういった違いがあったのでしょう。役職が新たに設けられた時期が異なっているようで、そのために設けられた時に皇位にあった人物も違っています。仕事の内容も異なっていまして勘解由使を担当する人たちはお役人さんを対象とした仕事をしていたそうですし、検非違使を担当する人たちは治安や裁判に関係する仕事をしていたそうです。
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設けられた時期が違います
勘解由使という役職が作られた時期は詳しくは判明していないようなのですが平安時代初期だと言われています。延暦(えんりゃく)十六年、西暦797年に作られたという見方が多いようです。平安時代は延暦十三年、西暦794年に都を平安京に移したことを境に始まっている時代ですので確かに797年であるなら平安時代が始まって間もない頃ということになります。この頃皇位にあったかたは桓武天皇(かんむてんのう)でした。検非違使もいつ作られた役職なのか明らかになっているわけではありませんが、この役職も平安時代の初期、ただし弘仁(こうにん)元年、西暦810年以降の時期に作られた役職だと見られているようです。弘仁の元号は弘仁十五年、西暦824年まで続くのですが、この弘仁という元号の時代の中ごろに検非違使が作られたのだろうという見方が多いようです。勘解由使が作られた時代よりも少しあとということになります。その頃皇位にあったかたは嵯峨天皇(さがてんのう)でした。どの天皇の時に勘解由使や検非違使が作られたのか歴史科目の試験で問われることがあるのかゴロ合わせを見かけることがありました。勘解由使と検非違使の作られた順番で言えば頭文字のひらがなの五十音順でどちらが先に作られたのか憶えればいいのでしょうけれど(かげゆし、けびいし。「か」と「け」だと「か」の方が五十音順では先になるから勘解由使が先!)、天皇の名前はどうしたらいいのでしょうね。桓武天皇と嵯峨天皇の名前はとりあえず憶えて天皇の名前の頭文字のひらがなを五十音順の序列にしたらどちらが先に天皇になったか憶えやすいかもしれません(かんむとさが。五十音順だと「か」が「さ」よりも先なので桓武天皇のほうが先に天皇になった人)。使えない方法でしたら申し訳ありません。
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仕事の内容も違います
勘解由使と検非違使とでは仕事の内容も違っていまして、勘解由使の場合はお役人さんの任期が終了して新任者に交代する時にちゃんと引継ぎがおこなわれたのかどうか監査するという役目を持っていました。もう一方の検非違使は作られた当初、都の中や都周辺の警備、見廻りといったことや強盗や殺人などの犯罪者の逮捕などをしていたそうです。警察業務をしていたんですね。その後には裁判する権限も与えられたのだそうです。ということで簡単に言うと勘解由使は人事交代をチェックする政府のお役人で検非違使は警察官と裁判官が合わさったようなものということになります。また都だけではなく地方にも検非違使が設置されるようになっていったと言われています。ということでひらがなにすると同じ四文字の役職、「かげゆし」、「けびいし」もこうしてみるとだいぶ毛色の違う仕事をしていたことがわかります。
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今回は平安時代に作られた役職、勘解由使と検非違使の違いについて取り上げました。平安時代に入ってからの政治の箇所を教科書で見ていたのですが勘解由使という役職、聞いたことがあるものの具体的にどういった仕事をしていたのかよくわからず確認してみたくなりました。この勘解由使と検非違使の違いについて関心を持たれている方がそれなりにおられるようですので今回のようなテーマの記事にしてみた次第です。どちらの役職も大宝元年、西暦701年に完成した朝廷の規則、大宝律令の中には設けられていない役職、律令の令(りょう)、行政の仕組みを定めた規則の中に存在していない新たな役職ということで令外官(りょうげのかん)という分類になる役職でした。わざわざ最初の決まりの中で作られていなかった役職を新たに作るのには、それなりの理由があったわけで勘解由使の場合は主に地方の政治を担当していた国司(こくし)の役人が税を多く民から取ってその税を横領していたとか、任期が切れて国司が新任者に交代になる時に新任者に金品を提供して自分のやった不正行為に目をつぶってもらおうとするような中央政府から見ると好ましくない行為が横行していたから新設した、そのような事情があったようです。検非違使が新設される前には都で元の天皇と在職中の天皇との間で対立が強まり元の天皇と近い人物が反乱を企てようとした出来事がありました。反乱は未遂の時点で鎮圧されたのですが、そういったこともあり都の治安をしっかり守る必要性が強まったということで検非違使新設につながるようです。勘解由使の仕事ですが、一部の国司の方々の振る舞いを知って、やっぱりお役人の仕事というのは不正をしてしまいたくなる誘惑が身近にある仕事ということなのかなぁと感じました。今の世の中でもお役人さんの不正行為が発覚してニュースになることがありますよね(民間企業もそうですが)。そういった意味では正しく務め上げるのが大変な仕事ということになるのかもしれません。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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