明治時代の大阪事件とは?発生した原因についても
大阪事件とは
大阪事件(おおさかじけん)は西暦1885年(明治18年)に起きた出来事です。かつて自由党員として活動していた大井憲太郎(おおいけんたろう)という人を中心としたグループが朝鮮国へ渡り朝鮮内政の改革を支援しようという計画を立てていました。この計画に関係していた一部の人たちがグループから離反したためなのか、このグループが実際に朝鮮国へ渡航する前に計画が判明し、関係者は逮捕される結果となりました。逮捕された人の数は100人以上にもなりました。様々な地域から自由民権運動の活動家たちが集まったためこのような人数に膨れ上がったようです。大阪事件の「大阪」ですが、この逮捕されたグループの中心人物である大井さんたちが逮捕され裁判を受けたのが大阪だったため、このような名称となりました。
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大阪事件が発生した原因は
日本国内の自由民権運動がかつての勢いを失ってしまっていたことや朝鮮国の親日派が朝鮮国内で劣勢となっていたことが関係しているようです。
西暦1885年当時は国会開設の勅諭が出された後に結党された板垣退助さんを党首とする自由党が既に解党されていました。また同じころ誕生した立憲改進党も中心人物であった大隈重信さんがこの政党を離れてしまい、政党自体目立った活動が出来ない状態となってしまっていたようです。
また西暦1882年(明治15年)に発生した福島事件をはじめとして自由民権運動に関わっていた一部の人たちが過激な手段を用いて自分たちの要求を訴える直接行動が起き、政府と衝突していました。それら事件は全て政府に鎮圧される結果となり、民権運動に対する弾圧も強まり、過激な路線にはついていけないと考える人々が民権運動から距離を置くようにもなりました。
このような事情で当時国内の自由民権運動には「開拓使官有物払い下げ事件」追及が行われていた西暦1881年頃のような盛り上がりはありませんでした。
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朝鮮国では清国からの独立を目指す勢力が存在していたものの、その勢力が政権をとるまでには至っていませんでした。西暦1884年に朝鮮国では甲申事変(こうしんじへん)という出来事が発生しました。当時の朝鮮国は中国大陸の大国、清の従属下にありましたが、このような関係を保とうとする勢力である事大党(じだいとう)が政治権力を握っていました。清に従属する関係を改め独立国となることを望んだ勢力である独立党(どくりつとう)は武力によって朝鮮国の政治権力を奪おうとしました。一時的には成功したものの清国の介入により失敗に終わります。甲申事変に関わった独立党の指導者は朝鮮国から逃亡せざるを得ませんでした。一部の人たちは日本に亡命しています。このように朝鮮国が清国の支配から抜け出て独立するという道筋が見いだせない状況となっていました。
この状況で日本の自由民権運動の活動家が大挙して朝鮮国に渡り朝鮮国の独立派と連携して事大党から政権を奪い朝鮮国を清国から独立させるように誘導することを計画しました。それによって清国と日本の間の緊張を高め、戦争へと発展させ、非常時となった時点で日本全国の自由民権運動家たちに決起を促し一挙に明治政府を打倒しよう、そのように構想したのだそうです。日本が戦争で混乱している所を全国規模の武装蜂起を行って余裕のない政府を倒し新しい政権を打ち建てようということですね。このような理由から民権運動家たちが朝鮮国で活動しようとしたのだそうです。
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今回は大阪事件を取りあげてみました。この事件は福島事件や加波山事件、秩父事件のような過激な直接行動を行う勢力と政府側の衝突という構図とは異なり、国外での活動を計画して他国へ行こうとする前に逮捕されたという展開になります。なぜ民間運動家たちが事件を起こすのに国内で実行せずに朝鮮国に渡ろうとするのか、理由がわからず調べてみようと思いました。朝鮮国で独立派が実権を握れば清国が黙っているはずは無く、日本も介入すれば戦争となり戦争をしている日本政府は国内の対応に力を向けづらくなるので民権活動家たちが武装蜂起して成功する余地が出てくる、そのように考えたんですね。戦争を起こしてまで明治政府を倒そうというこの考えに100人以上の活動家らが賛同したというのは物騒な話です。
実際に西暦1894年には日本と清が戦争しますが、私は歴史の授業を受けていて戦争中に活動家が日本国内で武装蜂起した話は聞いたことがありません。その頃は過激な行為は全く支持されていなかったということでしょうか。
言論活動を自由に行う権利は認められるべきだとは思いますが、当時の民権運動家の一部には運動資金を得るために強盗するような輩までいたそうです。恐ろしい話です。目的が正しければ手段が犯罪でも許される、あるいは仕方ない、というような考え方で犯罪行為も正当化するのなら、大抵の人は運動から離れていくでしょうね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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