硫黄島の戦いでアメリカ軍が動員した戦力の規模は?
硫黄島でのアメリカ軍の戦力規模
西暦1945年(昭和20年)の2月から3月にかけて小笠原諸島に属する硫黄島(いおうとう アメリカではいおうじまと呼ばれることが多いそうです)で日本軍とアメリカ軍が激しく戦ったことは大変有名です。この戦いに参加したアメリカ軍の戦力ですが、上陸し戦ったアメリカ軍の兵員の数について約6万1000人という数字や約7万5000人といった数字がよく見られます。中には11万人という数字もあり、先ほどの二つの数字に比べ一挙に増えてしまっています。バウエンス仁美というかたが執筆された論文「アメリカ歴史教科書における日米戦争の認識 : 硫黄島の戦い、沖縄戦、原爆投下をめぐって」を目にする機会があったのですが、その論文の中で今回のテーマに関連した内容に触れている箇所がありました。2月19日にアメリカ軍が硫黄島に上陸するのですが、上陸部隊は海兵の師団で約7万人となっていました。またその師団とは異なる陸軍の支援部隊も存在していたそうで、その兵力も含めると11万人以上の規模になったのだそうです。この11万人以上の兵員全員が島に上陸したということを論文内で言っていたわけではありません。支援部隊も含めて11万人以上ということですので。ただこの戦闘に参加していた戦力の規模を知るうえで参考になる数字かと思います。
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硫黄島の戦いを生き残り、島を出た日本兵の人数は
この戦いに参加した日本兵の方々の大半は戦死されています。ただ、捕虜という形でこの戦いを生き残ることが出来た日本兵の方々もおられました。その数は終戦までで合計1023人でした。この戦闘に参加された日本兵の方々の人数は約2万1000人だったという指摘もありますので、捕虜とならなかった方々は戦死されたと考えますと大体95%の日本兵の方々が戦死されたことになります。
硫黄島の戦いでアメリカ軍は苦戦したと言われています
この戦いの戦力面で圧倒的に優勢だったアメリカ軍は短期間で島を占領することを予定していました。アメリカ海兵隊の部隊を指揮する軍人は5日間で島を占領するつもりだったようです。アメリカ側の想定される死傷者の人数に関しても1万5000人という数字を出していました。しかしアメリカ軍の目論見は外れ、占領するまでに1か月以上の時間を必要としています。具体的にはアメリカ軍が島への上陸を開始したのが2月19日であり、日本側の組織的な戦闘が終了したのは3月26日と言われているようです。ですから上陸してから1か月と7日間かかったことになります。想定していた期間の7倍以上かかりました。またアメリカ軍の戦死者、戦傷者は合計約2万6000人(戦死者約6800人、戦傷者約19200人)となっています。この点でもアメリカ側の犠牲は想定を大きく上回る結果となりました。日本軍側の指揮官だった栗林陸軍中将の方針によって、島が戦場になることを想定し前もって地下壕をたくさん作り、それを利用して持久戦に持ち込んだことでこのような結果になったのだそうです。
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硫黄島占領の戦略的意義
アメリカが硫黄島を占領しようと考えたのは空襲に代表される日本本土攻撃を実施するにあたり、この島が非常に役に立つ場所に存在していたからだったようです。1944年の7月にアメリカはサイパン島を占領し、サイパンから爆撃機を飛ばして日本本土を空襲するようになります。ただ日本本土との距離はかなりあるため、日本本土へ行くまでの間に中継基地が求められていたようです。爆撃機が飛行中、トラブルに見舞われたとしても急きょ着陸することの出来るような場所ですね。硫黄島はサイパンと日本本土の間に存在している島であり、そのような目的を考えると大変都合の良い島だったのだそうです。日本軍側もアメリカ側の目的を承知しており、日本本土侵攻を食い止めるため硫黄島をとられるわけにはいきませんでした。
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今回は硫黄島の戦いに関する内容を一部取りあげました。第二次世界大戦の中でアメリカが日本と戦闘し多くの犠牲を出したことで大変有名な戦いなのだそうです。日本側の兵員も大半が亡くなられてしまう戦いであり、双方に多くの犠牲者を出した象徴的な出来事なので記事にしてみようと思いました。陣地にこもりながら戦うと相手の戦力が味方の兵力を圧倒するような場合でも、このように攻略が難しくなる場合があるのですね。この戦いを指揮した日本軍の栗林中将を評価する意見は多いようです。彼はアメリカとの戦争に批判的な考えを持っていたなどという指摘もあるようなので、このような方が開戦前に陸軍の首脳であったなら戦争を回避することが出来たのだろうか、などと想像してしまいます。硫黄島の戦いで戦死された栗林さんの遺骨は不明のままであると聞きます。日本本土への侵攻を遅らせるために懸命に戦われた方々の遺骨が採集されずに硫黄島に残されている事例もあるそうでやりきれない感じがしました。島で亡くなられた方々の為にも更に遺骨収集作業が進むといいですね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
サイパン島での戦闘について触れている話「戦争時にサイパン在留日本人(民間)のとった行動は」はこちらです。
戦争を終わらせる動きについて触れている話「一条件でのポツダム宣言受諾とした御前会議の構成メンバーは」はこちらです。
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