金融緊急措置令を出し新円切替を当時の内閣がおこないました

終戦の翌年、内閣は金融緊急措置令を出します

昭和二十年代、終戦後の歴史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに終戦の翌年、昭和二十一年(西暦1946年)2月の出来事である、時の内閣によって出された新円切替が有名な、金融緊急措置令(きんゆうきんきゅうそちれい)などの政策について書いてみたいと思います。昭和二十年(1945年)に日本が第二次世界大戦に敗れ日本の政権は鈴木貫太郎内閣から東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)さんという当時皇族であられたかたが首相を担当した東久邇宮内閣に変わり、その東久邇宮内閣も共産主義勢力に非常に寛大な方針を打ち出したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向に従う気になれず総辞職。その結果幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)さんという外交官出身、外務大臣を担当した経歴を持つかたが内閣総理大臣を担当する、幣原内閣が誕生しました。今回取りあげている金融緊急措置令はこの幣原喜重郎さんが首相を担当していた時代に出されることとなった法令です。別の記事で触れたこともありますが、当時の日本社会は物価、物の値段がそれまで物価が統制されていた時代に比べ大変な勢いで上昇するような事態になっていました。インフレーション、インフレが起きていたということです。日本銀行の出していた数字(小売物価指数)によりますと1945年8月(475.1)から1949年5月(37386.9)までの間に78.6倍にまで物価指数が上昇していたようです。この物価の上昇を食い止めることが金融緊急措置令などを出した目的の一つとなりました。

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金融緊急措置令は何を規制しているのでしょう

金融緊急措置令の内容を見てみましたが、結局のところ金融機関に口座を作っていてその口座にお金を預けているとしても、預金者が望むように預けていたお金を引き出すことが出来ないようにするという規制が含まれるものでした。預金封鎖(よきんふうさ)などといった言葉で表現されることもありますが、全くお金を引き出せなくなったということではなく引き出せるお金の額に制限を設けたようです。具体的な引き出し可能額は金融緊急措置令の文面の中では触れられていません。封鎖された口座からは世帯主の場合ですと一か月に300円、世帯主ではない場合は一か月に100円までといった制限がされていたそうです。当時の1円は今の500円くらいの価値はあっただろうという見方もあるようですので、100円は今の50000円、300円は今の150000円といった程度の額ということになるかと思います。また金融機関が関わる債権者と債務者の間でおこなわれるお金の支払いに関しても一部が制限されることとなったようです。預金者がお金を望むように引き出せなくなったことも債務の支払いが制限されるようになったことも結局のところお金が世の中で流通しづらくなることに繋がりました。世の中に出回るお金の量を減らすことで物価の上昇、インフレーションを抑えようと考え当時の内閣はこういった仕組みを(国民にとっては寝耳に水の状況で)導入することとなります。2月16日、土曜日にこういった法令を出すと世の中に知らしめ、月曜日からこの決まりが実施されました。

今までのお金に使用期限が設けられてしまいました

金融緊急措置令によって預金口座が自由に使えなくなってしまったことの他にも時の内閣は世間を混乱させる仕組みを導入します。それまで使ってきたお金を政府が決めた期日以降は使用出来ないよ、ということとしたのです。それまで使っていたお金を旧円(きゅうえん)、今後使用することが許されるお金を新円(しんえん)と呼んで区別し、10円以上の旧円は昭和二十一年(1946年)3月2日までしか使えないこととしてしまいます。これは金融緊急措置令に書かれている規則ではなく、ほぼ同時期に出された日本銀行券預入令(にほんぎんこうけんあずけいれれい)という法令に基づく仕組みのようです。日本銀行券預入令の第二条にありますが、旧円を持っている人は決められた日までに保有している5円以上の旧円を金融機関の口座などに入金しなければならなくなりました(法令に違反すると罰せられてしまいます)。口座に入金しても引き出せる額は前項で触れた通り限られています。引き出すことが出来ずに口座にとどまっている旧円はその後の物価上昇や保有しているお金に応じて税が課される財産税などという臨時の徴税によってほとんど価値が無くなったり、保有する現金の額にもよりますが、お金自体をかなり失う結果となりました。この政策も世の中で出回っていたお金を大変な勢いで減らすことになりますので物価上昇、インフレーションを抑えることになります。経済的に貧しい人は保有する現金が少ないのであまり影響もなかったのでしょうが、多額の現金(旧円)を保有していた裕福な人の場合は多くの財産を失うことになります。人によってはとんでもない損失となる政策でした。

今回は終戦から間もない時期に実施された金融緊急措置令などの過激な経済政策について一部取りあげました。戦後間もなく物価の大変な上昇が発生したことは別の記事でも触れたのですが、そのような時に我が国の政府がどのようなことをして事態を収拾させようとしたのかということについては教科書でも多少触れられています。幣原内閣の政策の内容がかなり過激に感じられたため、どういった内容なのかもう少し詳しく確認してみたくなり今回のようなテーマの記事を作ってみることとした次第です。それまでコツコツ将来のためにお金を蓄えておられた方々はこの政策を経験することによって大変な衝撃を受けたことでしょう。腹立たしく、受け容れがたい現実だったのではないだろうかと推測します。この一連の政策はインフレを抑えることの他にも政府の多額の借金を減らすという目的もあったなどと言われています。このような政策を突然実施されてしまったらどうしたらいいのだろうと考えてしまいました。普通に働ける世代であれば働いて給料を得て生活を成り立たせていけるでしょうが、少ししか年金をもらえない、かなり高齢の状態になった時にこの政策を食らうと大変なことになってしまうのではないでしょうか。この記事を作るにあたり調べている中で旧円を使って株の購入をすることは許可されたので株式ブームが起きたなどという事実を知りました。いざという時に証券会社に口座を作ろうとすると大変手間と時間がかかりそうですから、普段使用する予定が無くても、すぐお金を振り込めるように信頼できる証券会社に一つ口座を作っておくのは平時から一般国民が出来る資産防衛策の一つなのかな、などといったことも思いました(ただ、これはあくまで自分の感想であって閲覧者に口座開設をお勧めしているわけではございません。投資は自己責任ですので。当然ですが、閲覧者のかたがたの投資による損失に関して当方としては責任を負うことはできません)。いずれにせよ政府は経済状態を安定させるという大義名分で国民の資産を半ば収奪するようにも見える政策を強行する場合もある、ということは知っておいても損にならないのでしょう。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではacworksさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

参考文献 鈴木雅光(2010)「『デフレ』がわかると経済の動きが読めてくる」すばる舎.

まったく別の時代の対インフレ政策について触れている話「松方財政とは?この経済政策が行われた背景や影響について」はこちらです。

終戦直後のインフレについて触れている別の記事「戦後の日本でインフレが発生した理由は何なのでしょう」はこちらです。

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