オウム真理教の政治団体が過去の選挙で惨敗したという出来事

オウム真理教が政界に進出しようとしたことがありました

平成の時代の歴史について、現代史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では現在では解散され存在しないものの、日本社会に大きな損害を与えた宗教勢力、オウム真理教が政治の世界に進出しようとして結果的に挫折したという出来事について私なりに書いてみたいと思います。オウム真理教の歴史の中では短い期間だったのかもしれませんが、この宗教団体が選挙に勝利するという方法によって合法的に権力を獲得しようとすることがありました。権力と言っても政権を獲得するような形ではなく国会議員を輩出して立法権の一部を得よう、法律制定に関与しようとしたということだと思いますが、オウム側の狙い通りに国会議員を誕生させることが出来たのであれば政権獲得もその延長線上に目標として掲げることとなったのかもしれません。オウム真理教は平成元年、西暦1989年の夏に「真理党(しんりとう)」という名称の政党、政治団体を立ち上げました。そしてその翌年、平成二年(1990年)1月に衆議院が解散され2月に総選挙が実施されます。真理党はこの衆議院議員総選挙(第39回総選挙)にオウム真理教の幹部を出馬させました。前回の衆議院議員総選挙(第38回総選挙)は昭和六十一年(1986年)におこなわれており、日本国憲法の第45条には衆議院議員の任期は四年と定められていますので平成元年(1989年)に選挙が行われなければ平成二年(1990年)には衆議院議員の任期が満了の年となります。必ず総選挙が行われることになります。1989年に真理党を設立したのは翌年の選挙に備えるためだったということなのでしょう。平成二年の1月に衆議院を解散した政権は自由民主党の海部俊樹(かいふとしき)さんを総理大臣とする海部内閣でした。この時期はオウム真理教が殺人などといった明らかに刑法に触れる行為をおこなう集団だと日本社会全体が見なすような状況ではありませんでしたが、一部の言論機関はオウム真理教の宗教活動について批判的に報じていたようです。超能力開発が出来ると宣伝して入信の勧誘をしたり、オウム教団の信者となった人たちを家族から引き離そうとしたり、高額のお金をオウム教団に献金させようとするといったことが問題視されていました。日本に衝撃を与えたオウム真理教による地下鉄サリン事件は平成七年(1995年)に発生することとなります。選挙の5年後の話です。

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彼ら(真理党)が選挙で主張したこと

真理党が選挙中選挙民に訴えたことは、他の政党で見られるような事細かい様々な分野に関する公約とは異なり、いくつかの項目に的を絞ったものでした。ウィキペディアによりますと消費税の廃止、教育改革、医療改革、福祉増進、国民投票の導入といった五項目が公約として主張されたようです。当時は消費税(3%)が導入されてからあまり期間が経過していませんでした。3%消費税が導入されたのは平成元年(1989年)の4月からです。そういった時期的に選挙民が関心を持ちそうな話として消費税廃止という政策を持ち出したのかもしれません。教育改革については資源の無い国、日本にとって才能豊かな子供たちを育てることは重要とし、教育内容の改革が必要と訴えています。医療改革については現代の医療制度を薬漬け、検査漬けだと批判し予防医学の充実や東洋医学と西洋医学の融合が必要だと主張しています。国民投票制度を導入することによって直接民主政治を推進することも主張していました。憲法改正での投票とは異なる案件でも国民投票を実施して国民の意見を反映させようということだったようです。消費税廃止については政府機関の統合などをおこない無駄を省くことによって人員整理をせずに11兆円ものお金を捻出できるとしています。このような財源があるのだから、税収6兆円と言われていた3%消費税は行政改革によって廃止でき、さらに浮いたお金、5兆円を福祉政策にまわすことが出来ると主張していました。それが本当に出来ることなのか選挙民も相当怪しんだのではないでしょうか。

出馬の結果

真理党は平成二年の総選挙でオウム真理教の教祖である麻原彰晃(あさはらしょうこう 本名 松本智津夫まつもとちづお)を党首に据え、彼を含めた25人の教団幹部が立候補しています。当時の衆議院議員総選挙は中選挙区制で一つの選挙区から複数名の当選者を出す仕組みとなっていました。真理党候補者の立候補選挙区はいずれも関東地域の選挙区となっており、特に東京の選挙区には11選挙区すべてに擁立するという方針を立てています。11選挙区中7つの選挙区では真理党の候補者を二人も擁立していました。党の意思決定に関わる人々の間では(麻原彰晃ワンマン体制だったのかもしれませんが)それなりに自信があったということなのかもしれません。選挙活動については現在のテレビなどでもオウム真理教が取り上げられる際にその光景が流れる場合もあるので知っている方もたくさんおられると思います。麻原彰晃の頭部をかたどった覆面をつけたり、象の着ぐるみを着た信者と思われる人たちが路上で一般の人々を前にしてオウム真理教の作った曲、歌に合わせて特有な踊りをするというものでした。選挙のやり方として一般的と言えるようなものではありません。選挙区内の各世帯にたくさんの選挙ビラ、パンフレットを配布するようなこともしていたようです。この選挙でオウム真理教は億単位のお金をつぎ込みました。選挙結果はこの記事の題にも書いた通り惨敗。25人の立候補者の中で麻原はもちろん誰一人当選した者はおらず、獲得した票数も少ないことから選挙に出る際に用意する必要がある供託金(きょうたくきん)も没収される結果となりました。真理党で最も得票したのは党首の麻原です。1783票でしたが、これは麻原の立候補した東京4区の最下位の当選者が獲得した票数の3%にも満たない票数でした(約2.7%)。

今回は平成二年のオウム真理教の動きについて取り上げました。以前にこのサイトで地下鉄サリン事件について触れた記事を作ることもありました。この勢力がその事件を引き起こす前にどのような事をしていたのか関心があり、オウム真理教の歴史の中でも有名な出来事である選挙戦出馬について取り上げてみたいと思い、こういったテーマの記事を作成した次第です。国政でも地方政治でもどちらでもいいのですが、教団内に選挙の世界に詳しい人間がいたら勝てないからやめておいたほうがいいと進言していたところなのでしょう。国政選挙なのに一つの選挙区に二人の候補者を擁立してそれぞれの候補者が1000票も取れていないというのはいかに情勢を見極めることが出来ていないかということを示しているようにも感じます。選挙活動の奇異なパフォーマンスもそうですが、人々からどのように見られているかということを理解できていなかったのでしょうし、ああいったことをすると票が集まるといったズレた思い込みがオウム真理教の幹部たちの間でまかり通っていたということなのでしょう。選挙に敗れたオウム真理教は、選挙後、信者に対し票数が国家権力によって操作されていたという主張をして自分たちの権威を取り繕おうとしています。その後オウム真理教が国政選挙に出馬することはありませんでしたが、非合法な方法を使って権力を奪うことを企てるようになりました。また今回触れた選挙が行われた前年、平成元年(1989年)の段階で、オウム真理教は教団を糾弾する弁護士を殺害するという凶行に既に及んでいました。世の中には身勝手な理由で人の命を奪っておいて選挙の政見放送では平然と公約や理想を語るような恐ろしい輩も存在するということを、やはり知っておいたほうがいいのではないかと思います。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

オウム真理教がおこなった出来事の一つについて触れている話「地下鉄サリン事件で被害者となられた方々の人数は」はこちらです。

宗教勢力が権力者に歯向かう出来事について触れている話「信長さんが一向一揆を起こされたのはなぜだったのでしょう」はこちらです。

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