小渕首相が経済対策をとった理由とは何だったのでしょう

小渕総理が経済対策をおこなった理由

日本の現代史、20年ほど前の出来事に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに小渕恵三(おぶちけいぞう)さんというかたが内閣総理大臣となって政権を担当していた頃にどうして経済対策をおこなったのか、その理由について書いてみたいと思います。小渕さんが首相を担当していたのは平成十年(西暦1998年)7月30日から平成十二年(西暦2000年)の4月初旬までの間でした。小渕さんの前の総理大臣は橋本龍太郎さんというかたで、平成十年におこなわれた参議院選挙で橋本さんが所属する政党、自由民主党が議席を減らす結果となり橋本内閣が退陣することとなりました。その結果自由民主党内で党の代表を選ぶ総裁選が行われ小渕さん、小泉純一郎さん、梶山静六さんといった方々が立候補し選挙の結果小渕さんが勝利。自由民主党総裁となって衆議院で内閣総理大臣に選ばれることとなりました。平成十年の7月に首相に就任した小渕さんは同じ年の11月、緊急経済対策をおこなうと表明しました。その中で高額所得者に課すこととなる所得税税率の引き下げや法人税の税率の引き下げといった減税を実施することを表明しています。また金融機関の融資が滞ることのないようにするため、公共事業を実施するため、住宅建設支援、雇用対策などといった目的で17兆円ほどの大変な額のお金を政府が支出することも表明しました。このような経済対策をおこなった理由は何だったのでしょう。当時の日本は国内の金融分野の信用が非常に揺らいでいましたし、景気もかなりというべきなのか、とにかく悪化した状況となっていました。そういった状況を改善させる目的で小渕さんは対策をとることにしたようです。

金融業界の混乱

日本の金融機関には様々な種類があります。都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合、農業協同組合が代表的だと感じますが、諸団体が運営している金融機関もあります。そういった金融機関の中でも都市銀行に分類される金融機関は他の金融機関に比べ規模も大きい場合が多く、社会に対する影響も大きな存在と言えるでしょう。そういった都市銀行が破たんした場合、世の中は相当動揺するといったことが想像できることと思います。小渕さんが首相となった平成十年(1998年)はそういった混乱の真っただ中だったようです。当時13行あった都市銀行のうちの一つ、北海道拓殖銀行(ほっかいどうたくしょくぎんこう)という銀行が平成九年(1997年)の11月に他の銀行に営業譲渡することを表明しました。不良債権、融資したのにその融資したお金を回収できない案件の額が膨れ上がり経営不安がささやかれ口座から預金者のお金の引き出しが相次ぎ拓殖銀行独自での経営の継続が困難となって北海道の地方銀行に業務内容を譲渡しなければならなくなったのです。大きな銀行がつぶれたということを意味していました。こうなりますと他の金融機関は大丈夫なのかと人々は不安になります。金融機関ではありませんが大きな証券会社であった山一証券も同じ年に経営破たんしており、この出来事も人々を不安にさせました。こういった大きな金融機関の破たんが実際に起きてしまい他の大きな銀行も不良債権をそれなりに抱えていたため、経営体質を悪化させたくないことを理由にお金を貸す条件を厳しくして民間企業への融資に消極的になっていきました。貸し渋り(かししぶり)などと表現されています。貸し渋りのせいで銀行からの融資をあてにして企業経営しているたくさんの会社が辛い立場となってしまいました。景気が良くなる方向に向かうはずがありません。

国内経済の悪化

平成九年(西暦1997年)~平成十年にかけては景気が悪化していた時期だったようです。内閣府が提供しているデータによりますと平成九年の四半期ごとのGDPの前期比は97年の1~3月が0.3%、4~6月が-0.6%、7~9月が0.2%、10~12月が0%でした。1995~96年は四半期のGDP(前期比)がマイナス成長となったことはありませんでした。98年になると1~3月が-1.2%、4~6月が-0.4%、7~9月が0.2%、10~12月が0.8%となっています。98年の前半、連続してGDP,国内総生産は減少していたことがわかります。総務省統計局の提供しているデータによりますと1997年の完全失業率(数字が大きいほど失業している人の割合が多いという指標)は3.2の状況からジワジワと上昇してこの年の後半は3.4~3.5といった水準となりました。3.2~3.5といった数字自体は1996年とあまり変わりはありませんが、1998年の場合は1月に3.6となり次第に増加していきます。3月は3.8、5月は4.1、8月は4.4にまで増えています。1998年までの10年間の中で最も高い水準となりました。東京商工リサーチのサイトで提供されている企業倒産件数を見てみますと、1997年は倒産件数が16464件、1998年は18988件となりました。1998年までの10年間で18988件という件数は最も多い数であり、平成二年(1990年)の倒産件数(6468件)の3倍程度の規模となっています。以上のような数字から見てもわかる通り、1997年から1998年にかけて日本国内はかなり景気が悪い状態だったと言えます。

今回は小渕内閣が経済対策をおこなった理由について一部取りあげました。すごく古い話と言えないけれどもそれなりに期間が経過した時期でもある1990年代の政権に関する話を見ていたのですが、小渕内閣が景気回復に努めた理由である深刻な景気悪化がどういったものなのか、当時生きていた私ではありますが、改めて状況を確認しておきたく今回のようなテーマで記事を作ってみました。景気が悪化した状況を数字で確認してみましたが、こういった数字が悪化した理由として教科書では平成九年(1997年)の4月におこなった消費税率の引き上げ(3%→5%)や同じ年の夏に起きたアジア地域の金融危機といった出来事が関係しているといった見方を記載していました。ちゃんと原因らしきものは教育機関でも示しているものなのですね。今後消費税率を引き上げたいと考えている人たちは97年の不況についてアジア金融危機の影響が主だったなどと強調したがるのかもしれません。消費税率を引き上げた時こういう悲惨なことになった場合もあるんだよという歴史的事実はやっぱり直視したほうがいいのだろうなと思います。財政構造改革法を凍結し、たくさん国債を発行してお金を集め積極的に使い景気回復を図った小渕内閣ですが、そういった政策は評価できるように思うものの、消費税の税率には手を付けませんでした。5%から3%に戻すという選択肢が政権内で議論されるようなことは無かったのか気になりました。今回の記事を作るにあたり調べている中でそういった話を見かけることは無かったように感じますが、単に見落としているだけかもしれません。確かに高額所得者の所得税率の引き下げや法人税率引き下げといった形の減税は、減税しないよりは景気回復という点で、いい方向に作用すると思います。しかし消費税率を据え置いてそのような減税をおこなえばやはり格差は広がってしまうことになるのでしょうね。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではmykoさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

記事中に書いた山一證券倒産について触れている話「1997年に山一證券が倒産した原因は何だったのでしょう」はこちらです。

5%に消費税率を引き上げた出来事について触れている話「消費税が5%に増税された時期はいつだったでしょう」はこちらです。

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