1997年に山一證券が倒産した原因は何だったのでしょう

山一證券が倒産した原因

 

西暦1997年(平成9年)の11月に当時日本の証券業界を代表する会社の一つだった山一證券が自主廃業しました。非常に規模の大きい証券会社だった山一證券が自主廃業したことは当時の日本社会に大きな衝撃を与えています。同じような時期に都市銀行の一つであった北海道拓殖銀行という銀行も破たんしたということもあって、1997年は有名金融機関、証券会社が破たんした年として記憶されることとなりました。当時の日本で四大証券の一角であった山一證券はなぜ自主廃業せざるを得なくなったのでしょう。その原因としては以前に比べて株価の低迷している期間が続いてしまい、山一證券を利用する客が減少し利益が得られなくなってしまったことや山一證券の一部経営陣の方針によって法律に違反する行為をおこなってしまい、そのことで損失が膨らみ公的なものも含めて外部から資金援助してもらいにくい状況になってしまったことなどが挙げられます。

 

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株価の低迷

 

バブル景気などという呼ばれ方をする、非常に景気のいい時期がかつての日本にはありました。1980年代後半から1991年1月頃までの間の時期です。ただ、株式市場で株価が上昇し続けていた時期というのは1989年の年末までだったようです。1989年の年末までは、株式市場で多くの企業の株価が上昇し、株を持っていると株を買った時に比べて値上がりするため、利益の出る可能性がとても高かったというありがたい時代でした。しかし1990年以降株式市場の状況は悪化します。どんどん株価が下落していきました。大切なお金を払ってせっかく株を購入しても買った株の価格が下がってしまうのでは損をしてしまいますから、株を買う人は株式市場がにぎわっていた1980年代に比べ減ってしまったわけです。株式を購入したり売却する時に発生する手数料が証券会社の利益になるわけですから、株を売買する利用者が減れば収入は減ってしまいます。すぐに多くの会社の株価がまた上昇してくれればよかったのですが、証券業界が期待するほど株価が再び大きく上昇するようなことはその後起きませんでした。1997年までの簡単な株価の動きをみると、株価が非常に下落した1992年8月頃に比べ、1993年の5月から9月頃、1994年の6月頃はわりあい株価が上昇した時期であったのですが、上昇傾向が長期間続くようなことにはならずまた下落することとなります。山一證券が自主廃業した年、1997年は5月までは株価が上昇していましたが、その後一転して急激に下落しました。このように株価が上がったり下がったりということを繰り返す状況が続き、株価が上昇し続けるような期間は出てくることも無く、以前に比べて山一證券を利用してくれるお客が減ってしまったので利益が得られなくなっていきました。

 

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法令違反にあたることをしていました

 

山一證券は個人の投資家の方の株の売買注文も当然引き受けていましたが、一般企業を相手に株の売買注文を引き受けるという業務を手広くやっていたそうです。そのこと自体はもちろん合法的な業務なのですが、企業からの注文数を確保して手数料利益を得るために法に触れることをしていました。山一證券が大切にしたい特定の顧客である複数の企業に対し、もし顧客の企業が購入した金融商品に損失が発生したとしても損害については山一證券側が埋め合わせしていたのです。山一證券にとって大切な○○商事という顧客があったとします。この○○商事がある会社の株を、山一證券を介して購入したとします。バブル崩壊後の時期、残念ながら購入時よりも株価は下がり、損をした状態で売却しました。○○商事が本来損をすることになるのですが、ここで○○商事の損をしたお金を山一證券が穴埋めしてくれたわけです。○○商事としては損をしたお金がチャラになります。こういう行為を損失補填(そんしつほてん)というそうです。このような行為は以前にも証券業界で問題となり1997年当時は法に触れる行為となっていました。日本の多くの企業の株価が低迷した時期が続いたことで顧客の損を山一證券が肩代わりするような事例が増加し、山一證券は莫大な損失を出し続けることとなりました。そのような莫大な損失が存在することはそもそも損失補填が違法なため世間にさらすことが出来ないわけです。そのため発生する莫大な損失を山一證券の関係する会社に移し変え、山一證券自体にそれ程損失が発生していないように見せかけました。山一證券も他の会社同様、企業の状態を定期的に世の中に公表する義務がありましたが、山一證券が公表した内容は実際の内容と異なる、虚偽の内容でした。虚偽の企業情報を公表することも法律に違反する行為です。1997年には山一證券の違反行為の一部が明るみになり、日本銀行のような公的な立場の機関から業務を継続できるようなお金を融資してもらうような道も断たれ、監督官庁である大蔵省からのはたらきかけもあり自主廃業することを決定しました。

 

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今回は有名な証券会社、山一證券が自主廃業したという出来事を一部取りあげました。「あの証券会社は潰れないだろう」と多くの国民が思っているような証券会社が廃業となると多くの人は非常に驚くでしょうし、上でも書きましたが基本的に潰れるなんていうことは無いだろうと思われていた都市銀行の一つが破たんしてからそれ程期間が経過していなかった頃の自主廃業ということで、今の日本の状況はそんなに悪いのかと国民の不安が増大することにもつながった話ですのでこのような記事を作ってみた次第です。普段生活していると日経平均株価が~円でしたといった情報は株でも持っていない限りあまり関係がないなぁという気もしますが、実はこのように密接に企業業績に関わってくる産業分野が存在しますし、株を保有している企業というのはたくさん存在しますから、そういった企業の資産状況にも非常に大きく関わってきます。企業の資産状況が悪化したら企業がお金を使うような意欲もそがれますし、その結果景気にも影響してくることになります。そうなると雇用状況にも影響してきます。雇用状況は一般国民にもろに関わってくる話です。株式市場の状況というのはそう考えると多くの人にとって無関係ではいられない存在ということになります。株式市場が順調であれば山一證券は顧客の企業に損失補てんすることも減り、莫大な損害を出すことも無く業務を継続していたのかもしれません。しかし世の中そううまくはいかないのですね。不正はいつか明るみになるということが今回の出来事で示されているような気もします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

かなり前の話となりますが戦前の経済混乱の話「1929年の世界恐慌とは?発生理由や当時の株価についても」はこちらです。

世界恐慌よりも少し前の日本の経済混乱について触れている話「1927年の金融恐慌とは?この恐慌の原因についても」はこちらです。

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