物部氏はなぜ国内での仏教の普及に反発したのでしょう
なぜ物部氏は仏教が広まることに反発したのでしょう
古代の日本の出来事について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では古代の日本の政権で影響力を持っていた一族である物部氏がなぜ仏教の教えが広まることに反対の立場をとったのか私なりに書いてみたいと思います。日本に仏教が伝わったのは538年とか552年など説は複数あるようですが西暦500年代前半から中ごろといった時期だったようです。朝鮮半島の国、百済(くだら)から伝わってきたと言われています。仏教が伝わってきた結果、当時の国内での受け止め方はさまざまで抵抗なく受け入れ仏像を安置し崇拝する一族が出てきた一方、仏教が広まることを警戒する一族もいました。そういった仏教の拡大に反発する勢力の代表格が物部氏(もののべし)という一族でした。結局物部氏は後に別の有力な一族、蘇我氏(そがし)との戦いに敗れ衰退することになりますが、蘇我氏と争うことになった理由として仏教に関する姿勢で蘇我氏と敵対していたからという見方が大変多いです(当然権力争いという側面で争ったということもあるのでしょうけれど)。物部氏が有力な一族、蘇我氏と争ってまで仏教の拡大に反発したのはなぜだったのでしょう。物部氏という一族が日本古来の神様を崇拝する信仰と深いかかわりを持っていたからという指摘が多いです。
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物部氏
物部氏は古代の日本の政権で大変影響力のあった一族でした。古代の政権の中にはとても高い立場の役職として大連(おおむらじ)なるものがあったそうなのですが、物部氏はその役職を担当することが多かった一族です(他にも大伴氏「おおともし」という一族も大連を担当したそうです)。高い位の役職にあったわけですから政治にも強く関与する立場です。また物部氏は軍事分野や警察分野の仕事をすることで当時の政権、朝廷に仕えていた一族とも言われています。その他にも日本の古来の神様を崇拝する宗教(今後この記事内では神道という言葉を便宜上使わせていただきます)で神様をおまつりする儀式に関わる一族だったと言われています。古代の政権では朝廷に奉仕する仕事の内容が一族ごとに区分されていたようですから、物部氏の担当する分野には軍事、警察、朝廷に非常に密接にかかわる神道の儀式を扱うこと、つまり祭祀などがあったということが出来ます。朝廷を支えていた有力な諸勢力の中でも特に神道とのかかわりが深い一族だったということになります。そのような立場からすると他国から新しい宗教、新しい神様がやって来たとなれば日本古来の神様を大切にしたい立場として当然警戒感が出てくるでしょう。朝廷が仏教を尊重することで神道がないがしろにされてしまうようでは神道の祭祀を担当する勢力としてはたまりません。
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神様の末裔
物部氏という一族はその先祖が「饒速日命 にぎはやひのみこと」と呼ばれるかただと言われています。「にぎはやひのみこと」は天上界から日本にくだってきた神様の一人として古代の歴史書、日本書紀などに登場してきます。後に初代天皇である神武天皇が九州から東方向に勢力を拡大するにあたってこの「にぎはやひのみこと」が天皇に従う関係となります。そういった神様とされる存在を先祖に持つ一族が物部氏ということで、この一族が神道の儀式を担当する係となるのは自然な事だったのかもしれません。先祖が神様(とされている)なら任せたくもなるのではないでしょうか。そういった由緒ある家柄ということもあり朝廷内では大きな影響力がありました。物部守屋さんが蘇我馬子さんに倒される出来事が起こるまでは。
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今回は物部氏の仏教に対する反発について一部取りあげました。有力豪族蘇我氏と物部氏との戦いは社会や歴史の授業でも取りあげられることがある話かと思います。その対立の理由として仏教の扱い方があったということは習ったか聞いたかしたような気もするのですが、どうして物部氏が仏教を否定する立場だったのか理由がよくわからなかったこともあり今回のようなテーマの記事を作ってみました。実は伝来してきた仏教に反発した一族は物部氏だけではなく大伴氏という一族も反発したということは有名なようです。その大伴氏という一族も「あめのおしひのみこと」という天上界から日本にくだってきた神様が先祖だとされています。そのようないきさつのある一族であれば人一倍神道に対する思い入れは強いでしょうし、他国から伝わってきた宗教については抵抗感を持つものなのかもしれません。蘇我氏の指導者が仏教を崇拝する許しを天皇から得た後に世の中で感染症が流行するという出来事が発生してしまって、物部氏など仏教に反対する勢力は病の流行を仏教の信仰を天皇が許可したからと解釈し天皇から仏教を支持しない考えを取り付けたうえで仏教施設を破壊するようなこともおこなったと言われています。現代でもそういった考え方はあるのかもしれませんが、科学が発達していない時代というのは何か悪いことが起きると、このような宗教的なことに原因を見出そうとする発想が出てきてしまうものなのですね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
仏教導入に積極的だった蘇我氏の指導者について触れている話「崇峻天皇が暗殺された理由は何だったのでしょう」はこちらです。
日本の神道と仏教の融合について触れている話「日本で見られる神仏習合にはどういった例があるのでしょう」はこちらです。
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