80年代に電電公社が民営化されることになった契機とは

民営化された電電公社とは

1980年代の歴史、あるいは現代史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では1980年代の半ばにおこなわれた、いわゆる電電公社(でんでんこうしゃ)の民営化について私なりに書いてみたいと思います。20代のかたは電電公社という言葉を見ても何のことだかわからない方が大半という状況なのかもしれません。電電公社というのは正式名称、日本電信電話公社(にほんでんしんでんわこうしゃ)の通称として民営化されるまでよく使われていたのです。私はかつての電電公社が使用していた印、円に短い線が二本、3時と9時あたりの位置に水平に引かれているものなのですが、それを見ると妙に懐かしい気分になってしまいます。この電電公社はかつて日本政府内に存在した郵政省(ゆうせいしょう)という省庁が関係する公的な組織でした(郵政省は現在存在する省庁、総務省が誕生するにあたって統合されました)。電電公社はかつて日本国内の電報などの電信事業や電話事業を一手に担当していた機関です。この組織が誕生したのは第二次世界大戦後の話です。昭和二十七年、西暦1952年のことでした。当時存在していた電気通信省という省庁を廃止するにあたって、引き続き電気通信省がそれまで管理していた電信電話事業を継続するために新たに設けられたのが電電公社です。電電公社時代は結果的に三十年以上続いたことになります。この電電公社が民営化されたのは昭和六十年、西暦1985年のことでした。直接的な電電公社民営化のきっかけは政府内に設置された諮問機関による提言だったようです。同じような時期に巨大組織である日本国有鉄道、いわゆる国鉄も民営化されることとなりました。

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政府内諮問機関

自由民主党の議員だった鈴木善幸(すずきぜんこう)というかたが総理大臣となって政権を担当した鈴木内閣が日本国の政治を仕切っていた時代がありました。昭和五十五年(西暦1980年)7月から昭和五十七年(西暦1982年)11月までの間です。電電公社が民営化される以前の時代ですが、この政権の時に行政改革(政府の組織を変えることを意味する表現です)をおこなう気運が強まりました。鈴木内閣は当時の日本の財政状況に問題があるという考えを持っていたのです。国債の発行、つまり借金を作って国の予算を組むということが続いていたわけですが、このままだと借金が膨らんで将来の日本が大変なことになるという理由からの問題意識だったようです。鈴木内閣は増税をしないで財政状況を健全な状態に改善していくことを目標としました。その目標を実現するために政府の組織を変えることも含めどのような事をしたらいいのかを、そういったことに詳しいであろうと鈴木内閣が認めた人材を集め、議論してもらい政府に提言してもらうこととしました。そういう理由で政府内に作られた諮問機関(しもんきかん 治める側からの問いかけを受けて意見を申し上げる機関のことです)が第二次臨時行政調査会、通称「臨調(りんちょう)」です。この臨調が電電公社について、企業的側面を持たせるために公社化したのにそれが実現できていないという評価をしています。経営側の責任が民間企業のようにはっきりとされておらず、公社で勤務している労働者側に妥協しているとか、公社が倒産しないということで勤務している人たちがあぐらをかいている、国民からの要請に応えすぎなどといった理由から組織の効率性が低いと見なしたそうです。そういった電電公社に対する見立てから、公社という状況を根本的に変えて民営化する必要があると臨調は内閣に提言する結果となりました。この臨調からの提言を受けて政府は電電公社を民営化することに舵を切ることとなります。

それ以前にも民営化の議論が出ていたようです

臨調の提言によって政府が民営化の話を進めたのとは異なりますが、それよりも前の時期に電電公社の民営化が議論されたことはあったようです。電電公社の事業で得る収入が支出を下回ってしまう、つまり赤字状態となってしまった時期が1970年代にありました。それを理由に政府が電電公社を抱えて電信電話事業を支えていたら国の財政を圧迫してしまうことになるから民営化を検討したほうがいいという意見が出ることとなります。電電公社が一時期赤字になってしまったのは昭和四十八年(西暦1973年)に発生した石油ショックに伴う日本経済の混乱が大きく関係していたようです。この石油ショックによって物価がかなり変動、上昇してしまうことになります。そのため電電公社も人件費などを始めとして支出がかさんでしまい赤字となる年が出てしまう結果となりました。ただ電電公社の事業損益は赤字が長期間続いたわけではなく昭和四十九年度、五十年度が赤字となったくらいで少なくとも五十三年度以降は損失よりも利益が上回る黒字状態が続いていました。ということで赤字経営を理由にした1970年代の電電公社民営化議論というのは電電公社の収支が黒字に転換したことで弱まり、民営化推進に繋がることは無かったようです。電電公社の30年ほどの歴史の中で赤字となってしまったのは短期間に過ぎず、それも石油ショックのような、どこの組織も経営が大変になるような出来事があった場合に限定されており、基本的にはそれなりに利益を出すことの出来ていた事業体でした。

今回は昭和六十年(1985年)に実施された電電公社の民営化のきっかけについて一部取りあげました。それほど古くない出来事について歴史の教科書を眺めていたのですが国鉄などの三事業体が一気に民営化されたという話を見ていて、国鉄の民営化について以前記事を作ったものの電電公社などが赤字で大変だったなどと言う話は特に聞いた印象が無く、どうして民営化することになったのか理由がわかりませんでした。その点を確認したくなり今回のようなテーマの記事を作ってみた次第です。国が経営している事業が赤字続きでちゃんと利益を出す状況にしなければならないという理由で民営化するというのは、国の財政状況を悪化させないためにも必要なことなのかなぁなどと感じたりもします。ただ国が関与する事業体で勤務する人たちのことを考えると政府が関与する公社のような状態で赤字状況を黒字化できれば一番いいような気もしますが。国鉄の場合はそれが難しいと政府が判断したので民営化したのでしょう。ただ電電公社は30年以上の歴史の中で大半の時期は黒字なんですよね。民間企業だって社会環境が厳しい時期は経営に苦しんで赤字になってしまうことだってあります。石油ショックに端を発した物価の影響で2年くらい赤字になってしまったことは仕方ないのじゃないか?と思う人は結構いるのではないでしょうか。電電公社の経営担当者の責任が明確ではないとか倒産しない組織のため勤務者が安住している、国民の過度な要求に応えすぎなどといった理由で民営化という結論が出たという当時の諮問機関の議論は本当に国民の利益にかなうものだったのでしょうか。その点は個人的に判断しかねるところです。省庁の利益を代弁したのかわかりませんが、かつて首相となった佐藤栄作さんは電気通信大臣だった頃、電気通信事業について国家的な使命を達成するため公共事業体に変更する程度にとどめておきたいといった考えを示して民間会社のような組織に変えよう、民営化しようとはしなかったみたいです。私などは現在日本で暮らしていて電信電話事業を民間に任せているのが当たり前な感じになっておりますが、世界中で電信電話事業を国営なり公社として運営している国ってどれくらいの割合なのでしょうね。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではakizouさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

水道事業を民間に委託した場合に何が起きたか触れている話「水道管理を民間委託したらどんなデメリットがあるのでしょう」はこちらです。

国の別の事業が民営化されたことについて触れている話「政府が郵便局を民営化した理由というのは何だったのでしょう」はこちらです。

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