秩父事件とは?事件が発生した原因についても
秩父事件とは
秩父事件(ちちぶじけん)は西暦1884年(明治17年)に埼玉県の西部にある秩父地方で発生した事件です。経済的に大変困っていた農家の方々が中心となって困民党(こんみんとう)という集団を結成して武装蜂起しました。県内の警察だけではこの行動に対応できず、憲兵隊が対応したものの困民党側に敗れてしまい撤退しています。県から要請されこの動きを重く見た政府は軍隊を動員しました。大勢の兵員が派遣されることとなり農家の人たちの行動を鎮圧しています。結局この武装蜂起は失敗に終わりました。大勢の人々が逮捕されており、武装集団の指導者には死刑判決が出ています。6000人を超える人が被告となって3000人を超える人たちが処罰される結果となりました。
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秩父事件が発生した原因は
この地方のたくさんの農民の人たちが経済的に非常に困難な状況にあったからというのが理由になります。秩父地方では養蚕業や生糸の生産が当時盛んに行われていたのだそうです。一方他の地方とは異なりお米などの食料は現地であまり作られてはいませんでした。
秩父事件が起こった頃は大変な不況でした。現在の財務大臣のような立場である大蔵卿(おおくらきょう)の松方正義(まつかたまさよし)という人が指揮した経済政策、いわゆる「松方財政」が西暦1881年から始まります。インフレが進行していたのを食い止めるための経済政策でしたので1881年以降はお金の価値が上がり、物の値段が下がっていきました。また松方さんは増税も行いました。一般的に農家の方々は農産物を作ったものの、生産物が安い値段でしか売れなかったためそれまでに比べ収入が減って行ってしまったのです。おまけに増税されたので一世帯に残るお金の額はさらに減少しました。このような構図は埼玉県秩父地方でも同様でした。せっかく生糸などを作っても安くしか売れなくなってしまったのです。
また、秩父地方の方々は生産した生糸を多くはヨーロッパの市場で消費してもらっていたのだそうですが、ツイていないことにヨーロッパは当時非常に景気が悪くなっていたそうです。消費量が減少することで物が売れなくなってしまい欧州での生糸の取引価格も低下してしまいました。この欧州の景気悪化も秩父地方を直撃することとなりました。
しかし収入が減ったとしても人は生きていかなければなりません。特にこの地方の農家の方たちは食料生産より養蚕、生糸に力を入れていたので食料はお金を払って手に入れるしかありませんでした。手元にお金が無ければ借金してでも食料を手に入れようとします。そうでなければ飢え死にしてしまいますから。農家の人たちがお金を借りた相手は非常に高い利率で契約をしたそうです。結局借金の額は雪だるま式に大きくなって返済できなくなりました。秩父地方の人たちが武装蜂起する以前に高利貸しのもとへ借金返済を引き延ばしするよう求めるなどの働きかけを行いましたがうまくいきませんでした。
このような不幸な条件が重なり、他に打開策がないと判断した人たちが徒党を組んで武装蜂起することとなりました。蜂起した困民党の人たちは金融業者のもとにおしかけて借金に関する書類などを処分したそうです。
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自由党との関係
この事件が発生したのは上記の通り西暦1884年です。自由党が解党したのは同じ西暦1884年ですが、この秩父事件は自由党が解党して間もないころに発生しました。
1884年になりまだそれほど日にちが経っていない頃、自由党の関係者である大井憲太郎(おおいけんたろう)さんが秩父を訪れています。これをきっかけに秩父地方の一部の農民の人たちが自由党に入りその人たちが中心となって困民党が形成されていくこととなったそうです。大井健太郎さんは困民党の武装蜂起に反対しやめるよう説得したそうですが、聞き入れられませんでした。
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今回は秩父事件を取りあげてみました。日本史の教科書でも取り上げられる有名な項目です。この事件が教科書に出てくる理由は激化した民権運動の最後の事件だからかな?と私は勝手に思い込んでいましたが、秩父事件の後も飯田事件、名古屋事件と続くのだそうです。秩父事件は何千人も逮捕されている規模の大きな事件だったので採用されているのかもしれませんね。
以前の記事で松方財政を扱ったこともありました。影響に関して自作農の方が小作農になるようなケースが増えたことも調べていて知りました。ただ今回の事件を調べていて農家の人たちの窮状を改めて知ると勲章をつけた松方さん(松方財政の松方さん)の写真を見てもやるせない気持ちになります。当時は生活保護などという制度は無かったでしょうし、税金の減免といった救済処置も今回調べた範囲では目にすることはありませんでした。福祉政策が注目される時代ではなかったんでしょうね。江戸時代を生きることも大同小異だったのかもしれませんが、明治時代を生きるということは相当過酷だったんでしょうね。ご先祖様たちはよくぞ生き抜いたものです。偉大ですね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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