平和に関する布告とは?その内容やアメリカの対応についても

平和に関する布告とは

 

平和に関する布告(へいわにかんするふこく)とは西暦1917年の11月に当時のロシアを支配していた政治勢力の代表者、レーニンが全ロシアソヴィエト会議という会合で提案し参加した各地の代表者から賛成を得た国内外に対する表明のことです。布告という言葉は国の意思を国民、他国に公式に伝えるという意味になります。ロシアの皇室、ロマノフ王朝がロシア帝国の頂点となっていた体制が革命によって終わってしまいます。その後1917年に主導権を握ったマルクス主義の勢力であるボリシェヴィキは国内の様々な地域で誕生していたソヴィエトという労働者によって作られた組織の代表者をロシア帝国の首都であったペテログラード(現在のサンクトペテルブルク)に招集し全ロシア、ソヴィエト会議という全国大会を開きました。マルクス主義というのは世の中の設備や工場といった資本を社会のものとして、個人所有を許さず、社会全体が協力し合う階級の無い世の中を目指すという思想です。その会議の中で多数派のボリシェビキ勢力の代表者であるレーニンが新しく誕生した社会主義国としてのロシアの外交政策について提案しました。それが「平和に関する布告」でした。この「平和に関する布告」の内容は都合が悪かったということなのでしょう。第一次世界大戦に参加していたイギリス、フランスなどの国々が属する「連合国」に相手にされませんでした。

 

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「平和に関する布告」の内容

 

この「平和に関する布告」で新しく出来た社会主義国ロシアは第一次世界大戦に参戦しているすべての国の政府とその国の人々に対し講和、平和を回復するための交渉をすぐ始めるよう求めました。具体的には参戦国の間で賠償金を支払うことをやめ、参戦国の間で支配している地域や領土を奪い合わないようにし、速やかな戦闘中止の実現を各国に求めています。他にも他国に領土を奪われたり植民地とされてしまった民族に自立する権利が認められるべきだという考えである「民族自決みんぞくじけつ」も主張されました。また布告が提案されたこの全ロシアソヴィエト会議では国家間で結ばれていた秘密の条約を無かったこととし、秘密外交をしないようにすることも主張されました。

 

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アメリカの対応

 

社会主義のロシアが提案したこの無賠償、無併合、民族自決は上記の通り第一次世界大戦に参戦した連合国側に無視されましたが、この内容に関しアメリカ合衆国は衝撃を受け、第一次世界大戦に参加している意味をアメリカが示す必要があると考えました。その結果アメリカの当時の大統領、ウッドロー=ウィルソンはアメリカの連邦議会(アメリカ合衆国の議会のことです)で1918年に十四カ条の原則という声明を出しました。この声明内容は第一次世界大戦の講和会議、「パリ講和会議」でアメリカから参加国に対し提案されることとなります。秘密外交の廃止や関税障壁の撤廃、軍備の縮小、植民地に対する公正な対応、ロシアからの撤兵、ロシア国民の政治体制選択の自由、国際平和機構の設立、欧州、トルコに関する独立、民族自治、国境に関する提案などが盛り込まれました。

 

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今回は「平和に関する布告」について取りあげてみました。この布告で主張されているように社会主義のロシアは第一次世界大戦で戦争していた国と講和することになるのだそうで、第一次世界大戦から大国の一つであるロシアが手を引くという重要な出来事につながることとなります。ロシアが講和を結ぶにあたりその外交の方針となった平和に関する布告は重要な話なのかなと思い記事にしてみました。布告の中でうたわれている内容というのは世界大戦で敗れる側に対し賠償を要求せず、領土や支配している地域の一部を求めないといった見方によっては非常に理想の高いものだったんですね。社会主義国でその国の人たちがどのような目に遭うかなどということは全く人類が経験していないわけですから、当時の世界の人々で「何て素晴らしい姿勢なのだろう」と感激した人も結構いたのではないでしょうか。特に独立が出来ていない民族の人たちや世界大戦で劣勢に立っている国の人たちの中でそう感じた人たちは多かったのかもしれません。社会主義国ロシアに国際世論の支持が集まってしまうかもしれないとアメリカは恐れたかもしれませんね。ただそのような姿勢を見せたロシア、その後ソビエトになりますが、他国の領土を奪ったりしなかったか、他国の地域を支配下に置かなかったかというと全くそんなことはありませんでした。指導者が代わったから方針が変わったということなのかもしれませんが、立派な理想の背後で実際に何が行われることになるかきちんと見極めなければ、まんまと騙されることになってしまう、なんていうこともありますから本当に気を付けなければいけません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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