プラザ合意によって日本はどのような影響を受けたのでしょう

プラザ合意による日本への影響

 

プラザ合意と呼ばれるいくつかの国々の間での経済に関する方針の一致によって、この合意の後、日本には変化が出てくることとなりました。この合意が世の中に表明された後、急激に日本の通貨、「円」の価値が上昇しました。また、円高を理由に景気が日本国内で悪化しました。そして日本の景気を良くするための経済政策がおこなわれ、バブル経済と呼ばれる好景気の時代を招きました。プラザ合意による日本への影響を大まかに挙げると以上のような内容になるかと思います。このプラザ合意の「プラザ」というのは、当時開催された国際会議の会場がニューヨークの「プラザホテル」という宿泊施設だったことに由来しています。この時の国際会議に参加していたのは5つの国々でした。会議を呼びかけたアメリカと経済規模の大きい先進国と見なされていた一部の国々、イギリス、西ドイツ、日本、フランス(五十音順です)といった面子です。これらの国々の財務関係の閣僚(当時の日本では大蔵大臣がそれにあたります)と各国の中央銀行の総裁が会議に参加しました。当時はまだドイツが東西に分裂し統一していなかった時代です。アメリカの貿易赤字額がとても増加していたため、この状況を改善したくアメリカの当時の政権(ロナルド・レーガンという人が大統領でした)が、会議に参加した各国にアメリカの通貨「ドル」の交換比率をドル安方向に変えるため協力を求めました。ドル安になればアメリカ製の商品が他国で購入されやすくなり、アメリカの貿易赤字の減少が期待できるからです。参加した国々はそれに同意します。ドル安になるよう各国が協力することに同意したこの出来事が「プラザ合意」と呼ばれています。西暦1985年(昭和60年)9月22日の出来事です。

 

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「円」の上昇

 

プラザ合意が表明されたのは上で触れた通り、1985年の9月22日です。この翌日、9月23日の為替の取引で通貨の交換比率が大きく変動しました。プラザ合意前の交換比率は1ドル=230円台だったのですが、9月23日、この日だけで約20円も円高ドル安方向に変化することになりました。1ドル=210円台になったということですね。この円高ドル安方向への変化はその後も続くことになり、合意がおこなわれた1985年の年末には1ドル=200円台に、1986年の半ばには150~160円台に、プラザ合意の1年後には1ドル=150円台になっています。80円くらい円高ドル安方向に動いたわけです。日本の通貨「円」の価値がかなり上昇しました。

 

国内の景気が悪化

 

円高に変化したことによって生産した物資を他国に輸出して儲けていた日本企業が以前ほど儲からなくなりました。1ドル=230円で商売をしていた時、ある機械を1000ドル=230000円で売っていたとします。これが1ドル=150円の交換比率で商売をすることになると230000円で引き続き他国で販売しようとすると大体1533ドルくらいで他国の小売店で販売されることになってしまいます。かつて1000ドルで販売されていたものが1533ドルで売られるようになれば売り上げは当然落ちますよね。価格が1.5倍になったのですから。このくらいの値上げになってしまうと、相当な利益の減少につながることでしょう。こういう事情で輸出企業の売り上げ成績が落ち込み、多くの輸出企業の利益によって支えられていた国内の景気は悪化していきました。国内総生産で見た実質経済成長率は1985年が4.4%となっていますが、1986年は2.9%に落ち込みました(現在の成長率からするとこの2.9%も相当高い値のように感じられはしますけれど)。日本の輸出企業は工場を日本国内から海外に移したりすることで輸出先の販売価格を抑えることが出来るよう対策を取るようになりました。

 

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バブルと呼ばれる経済状態へ

 

円高による不況に対し日本政府は景気を改善させる目的で、たくさんお金を使って公共事業を増やしていきました。また、中央銀行である日本銀行は、日本銀行から民間銀行に貸し出すお金の金利、公定歩合(こうていぶあい)を引き下げるという方針をとりました。不況に対応するための日本政府による政策、日本銀行による政策が同時におこなわれて次第に景気は改善していきます。公定歩合が下がると民間の銀行は一般の人たちに低めの金利でお金を貸しても利益を出せるようになるため、日本銀行が公定歩合を高くしていた頃に比べて安い金利で人々に融資するようになりました。一般の人たちにとっては借金しても払う金利が少なくて済むようになったわけですから、銀行から借金する件数は増加します。こうして日本銀行が公定歩合を引き下げることで世の中に出回るお金の量が増加しました。世の中に出回るお金の量が増えていく中で、土地や株式にどんどんお金が投じられていくようになりました。それによって土地の価格が著しく上昇していくようになります。いわゆる「バブル経済」の時代に移っていくこととなりました。

 

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今回はプラザ合意について取りあげました。貿易でたくさん儲けていた当時の日本がこの合意による円高ドル安という変動によってとても混乱しましたし、有名なバブル経済に繋がることになったようですから、日本社会にとって大変重大な出来事だったのだと思います。これまでプラザ合意というものがどういったものなのか個人的によくわかっていなかったこともあり、今回このような記事を作ってみました。そもそもプラザ合意というのはアメリカの貿易状況を改善したいというアメリカ一カ国の都合が理由だったんですね。アメリカの求めに各国が応じたのは、この時点で各国が協調してドル安に動くよう協力しないと、いずれまた急激に為替の交換比率が変化して世界経済に大きな影響が出てしまうという懸念があったからと言われているそうです。しかしおそらくアメリカが超大国であり超大国の要求だから協力せざるを得なかったということなのでしょう。プラザ合意で日本では急激な交換比率の変動が起きてしまっていますから。合意しても日本にとっては損な話でした。普通に考えれば自国の経済利益が減るような話であれば正直に言うと断りたいでしょう。アメリカの要求に応じて日本は円高不況になります。日本がアメリカに対し、対等に物を言える関係であればこうはならなかったのかな、などと記事を作っていて考えてもみました。でも超大国のアメリカに対して対等に物を言うということが出来る国など、当時はソビエト連邦くらいしか無かったのかもしれません。今回の出来事も超大国に日本が振り回されたという話のようです。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

別の時期、為替の交換比率が大きく変動したことに触れている話「日本は変動為替相場制にいつ、どうして移行したのでしょう」はこちらです。

アメリカの要請に応じた他の話「モスクワオリンピックに日本が不参加を表明した理由は」はこちらです。

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