立憲改進党や自由党、立憲帝政党の誕生した年号や主張は

立憲改進党など諸政党の誕生した年号は

 

西暦1881年(明治14年)10月に明治天皇が国会開設の勅諭(国会開設の勅諭ちょくゆというのは西暦1890年(明治23年)に国会を開設するという明治天皇のお考えの表明です。)を出されることとなり、それを前後に日本に政党が誕生してくることとなります。有名なものに自由党、立憲改進党(りっけんかいしんとう)、立憲帝政党(りっけんていせいとう)があります。

まずこれらの政党の中で最初に誕生したのは自由党でした。自由党は西暦1880年(明治13年)の12月に準備会が作られていたそうですが、国会開設の勅諭を受けて1881年の10月に自由党が正式に誕生しました。自由党は日本で初めて誕生した近代政党なのだそうです。

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その次に誕生したのは立憲帝政党でした。西暦1882年(明治15年)の3月になります。当時の政府高官と協議し政府の支援を受けて造られることとなった政党です。

立憲改進党はこの三つの政党の中で最後に誕生しています。立憲帝政党とほぼ同じ時期の西暦1882年(明治15年)4月に結党式が開かれました。

 

これら諸政党の主張(結党時)は

 

歴史の本ではよく自由党は急進的、立憲改進党は穏健、立憲帝政党は保守的などと、主張傾向が短い語句で説明されていますが実際のところどのようなことを主張していたのでしょうか。

自由党は国の政治の在り方を最終的に決める、という意味での「主権」が国民にあるべきという考えや普通選挙(一定の納税額や財産に応じて選挙権が与えられるのではなく、一定年齢の男子全員に選挙権を与えるべきという考え)を行い、議会の議院の数を一つとする一院制にすべきであるという考えを主張していたそうです。当時の状況を考えると主権が国民にあるべきという点や普通選挙で議員を選ぶべきという点が「急進的」と評価された理由になるのでしょうか。「急進的」というのはもともと理想を急いで実現しようとする姿勢を意味する言葉だそうです。

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立憲帝政党は天皇陛下が定める憲法を採用し先ほど出てきた意味での主権が天皇陛下に存在するべきだという考え、議員を選ぶ選挙の権利については年齢の他にも制限(納税額など)を設けるべきだという考え、軍人ではない立場の政治家が軍を制御、コントロールするべきだという考え、言論の自由を確保するという考えを主張していたようです。この政党は政府擁護の立場をとる政党だったそうです。

立憲改進党は王室の尊栄(つまり日本皇室が尊重され繁栄すること)、人民の幸福を目標とし、行政を司る諸大臣が構成する内閣は議会の信任を得なければならないという仕組みである議院内閣制を日本でも行うべき。政治と宗教は分離されるべき。議会は議院を二つ持つ二院制とするべき。主権が存在するのは天皇陛下か国民かと区分せず、君主と国民の代表である議会が共同して政治を行うべき。年齢の他に選挙権を制限(財産など)する選挙制度にすべき。以上のような考えを主張していたようです。

 

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今回は国会開設の勅諭後に議会設立を前にして結党されていった代表的な3つの政党について一部取りあげてみました。他にも政党の特徴として自由党は地方の人たちに支持されたとか立憲改進党は都市の企業経営者や知識人に支持されたといった特徴はよく指摘されていますね。

自由党の「急進的」という形容は当時の状況を考えればそうなのかもしれませんが、主張していたのは現在の政治状況では国民主権や普通選挙権(ただ当時の自由党ですら婦人参政権の主張はしていません。)といった当たり前のように享受している権利ですよね。

そのような権利を主張することが急進的だったということは、当時の政治はやはり国民に開かれた政治とは言えなかったんだなという気がしてきます。「穏健」と言われた立憲改進党が制限選挙制度を主張していたのですから。時代によって政治的な立場の定義、物差しというのは変わるものですね。

立憲帝政党という政府の支援もあって誕生したと言われる政党は保守的で人気も集まらず結党した翌年、1883年に解党しています。ただ、この政党が当時の政府の立場を擁護する政党という位置づけの割には言論の自由の確保を主張していたそうなので不思議な感じがしました。明治政府としてはあまり自由闊達に世の中で言論活動されては嫌だなと思っていたのだろうと思いましたが。

でもよく考えると当時の政治から見て保守的な政党とは言っても、さすがに政党の主張として「言論の自由を制限!」と言ったところで世の人々から相手にはされないでしょうかね・・・。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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