なぜアメリカは日中の戦闘時に蒋介石氏を援助したのでしょう

なぜアメリカは蒋介石氏を援助したのか

第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争が始まる以前の日本や中国大陸の出来事に関心を持たれてこのページを閲覧している皆様、こんにちは!この記事では支那事変(しなじへん)、日中戦争などと呼ばれる、中国大陸で繰り広げられた日本軍と中華民国の蒋介石(しょうかいせき)氏が率いる政権の軍隊の間の戦闘について、どうしてアメリカが中華民国蒋介石政権側を支援するという形で関与したのか私なりに書いてみたいと思います。支那事変、日中戦争として日本軍と蒋介石軍が武力衝突したのは昭和十二年、西暦1937年からです。1937年7月の盧溝橋事件、同年8月の第2次上海事変がこの支那事変、日中戦争の勃発に大きく関係しています。この日本軍と蒋介石政権軍の間の戦闘は短期間で決着が付かず結局昭和二十年、1945年に日本が敗れるまで続きました。8年もの長期間に渡る戦闘なわけですが、これだけ長い戦闘に蒋介石政権が持ちこたえられた理由にはアメリカやイギリスといった強国、そして共産国、ソ連の援助があったからという見方が多いようです。実際日本はアメリカやイギリスが蒋介石政権を支援している限り、蒋介石政権は日本に対し折れる、降伏するという形で講和に応じる可能性が低いと見て、いわゆる「援蒋ルート」、アメリカやイギリスが蒋介石政権を軍事援助するための物資を補給する輸送路を断とうと東南アジアの一地域、当時フランスが支配していた仏領インドシナに日本軍を駐屯するなどしています。これが日米、日英関係を一層悪化させアメリカによる経済制裁が強まり日米戦争に至ってしまうわけです。日米戦争の大きな理由の一つは日中間の戦闘が長期化したことだとも言えるでしょうし、長期化した理由はアメリカ、イギリスによる蒋介石政権への肩入れがあったからというのも要因の一つなのでしょう。ということでアメリカやイギリス、そしてソ連による蒋介石政権支援は日米戦争と相当大きなかかわりがあるように思うのですが、どうして支援国の代表格、アメリカは蒋介石政権を支援したのでしょう。アメリカ国内で相当な中国びいきの世論が形成されていたといった指摘は多いようですし、中国大陸での日本の経済的な権利、利益の拡大を抑えたいという思惑がアメリカにあったからといった指摘もあるようです。

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中国寄りなアメリカ国内意見の強まり

アメリカ国内では、日本と戦闘している中華民国蒋介石政権に肩入れする記事が言論機関でよく取り上げられたという指摘が多いです。当時のアメリカのマスコミで取り上げられる構図としては中国大陸を侵食しようとしている日本に対し中華民国蒋介石政権は必死に抵抗しているといったものだったようで、日本は悪者扱い・・・。蒋介石氏の妻、宋美齢という人がアメリカ政界の有力者に中華民国蒋介石政権への支援を働きかけるために渡米した時には大変盛り上がったそうです。彼女がアメリカ国民の心をつかんだという指摘もあるので、おそらく多くのマスコミも宋美齢という人についてすごく好意的に取り上げたのでしょう。また、彼女はアメリカ連邦議会で議員たちを前にして演説する機会を得ることにも成功しています。これは政治宣伝としては大変な影響力があったものと思われます。また日中間の戦闘が始まってからということではありませんが、作家のパール・バックの作品(「大地」という作品が有名で1938年にノーベル文学賞を受賞)や複数のジャーナリストの記事を通して中国が紹介され一般アメリカ国民が中国への親近感を持つきっかけが増加したと言われています。エドガー・スノー、アグネス・スメドレーといった人たちは中華民国に関する記事を精力的に執筆したジャーナリストとして有名なようですが、中国共産党とかなり近かった人たちということでも有名です(パール・バックさんについては共産勢力と近かったといった話を目にすることはありませんでした)。その一方で日本について好意的な記事がアメリカの言論機関で紹介される頻度は相対的に少なく、日本の印象を挽回する機会というのは乏しくなりました。先ほど名前を挙げたジャーナリストは共産勢力寄りなので日本を好意的に取り上げることは期待できるはずもありません。それは別としても言論機関の傾向が影響したからなのか、米国市民の当時の好感度調査では圧倒的に日本よりも中国が好まれる結果だったそうです。

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商売上のライバル

中国大陸に植民地を保有したり、(上海や天津に租界はありましたが)広大な地域を清国やその後誕生した中華民国から租借、長期間借りて自国の領地のように扱うこともなかったアメリカ。中国進出が他の欧州列強よりも出遅れていたアメリカではありましたが、中国大陸で商売をして利益を得たいというのが正直なところ。そのため自国の商売の機会を得るために中国大陸での経済行為についてどの国も商売上同等な機会を得られるようにするべきだ、特定の国が独占するのではなく、中国大陸の市場を開放するべきだという主張を強めました。大陸に植民地、広大な租借地の無かったアメリカからするとそのほうが得になります。しかし日本がいわゆる満州地域で満州事変後に、満州国という、日本との関係が非常に緊密な国家の誕生に大変強く関与しましたし、それ以前には日露戦争後に日本が獲得した南満州鉄道の権益に米国の企業が参加を求めても日本側が(アメリカ側から見て)いい反応を示しませんでした。日本にとって商売上都合が良く、それ以外の国にとっては商売上不利な地域が中国大陸で増えていくことはアメリカにとっては自国の利益に反します。そして1937年に発生した日中間の戦闘に関しても日本に都合のいい形で戦闘が終結した場合、日本が中華民国国内での何らかの新たな利権を手にすることも予想されます。アメリカとしては好ましい展開ではありません。本格的なアメリカによる対中支援は日中間の戦闘が勃発してからだいぶ時間が経過してからだったようですが、戦闘が始まってから数か月後の1937年10月にアメリカの大統領が暗に日本を侵略国として批判しているとも受け取れる演説をしたり、日本で言えば外務省にあたる官庁であるアメリカの国務省が日中間の戦闘について、日本の行動が九カ国条約、1922年に締結された中国の主権を尊重し中国の領土を保全するという建前の、日本もアメリカも締結した条約ですが、この条約に違反しているといった理由で日本の行為が不当だと批判しています。しかし戦闘が勃発した原因は第二次上海事変での中華民国側による日本側に対する唐突な武力行使、一方的な攻撃だったわけなので、日本側としてはアメリカ側の一連の表明に納得などできなかったでしょう。

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今回は米国が支那事変、日中戦争の際に中華民国に肩入れしたのはどうしてなのかについて一部取り上げました。日米戦争近辺の出来事についてはこれまでも複数の記事で取り上げてきましたが、歴史に学ぶという点で日本国民としてここら辺りの時代について知っておくということはとても有益だと感じていますし、今まで自分は知らなかったと感じる部分が多いと思う内容もあるので自分なりにテーマとなる話題をひねり出してみた次第です。今回個人的に今まであまり意識していなかったなぁと感じたのは日中間の戦闘の際に中華民国を熱心に支援した国はアメリカ、イギリスばかりではなくソ連、ソビエト連邦もその一つだったということです。日中間の戦闘が始まって真っ先に巨額のお金を融資するという形で中華民国支援に乗り出しているのはソ連でした。東南アジアの「援蒋ルート」が有名なので、どうしても中華民国を支援していた国々は米英といった印象が強いですけれどソ連も同じように見るべき、ソ連の存在を忘れてはいけないと今回の記事を作っていて思いました。日本軍が援蒋ルートを断って蒋介石政権軍を追いつめようとするのは当然戦略的に効果もあったのでしょうけれどソ連からの支援は仮に援蒋ルートを叩いても続いてしまいます。ただ日本軍が大陸奥深い中ソ国境に進出することも難しかったのでしょうから、ソ連による中華民国支援をやめさせるのは無理な話だったということなのでしょうか。中華民国を支援しているのは強国ばかりで、しかも地理的にいろんな方向から支援を受ける状況だったわけで、日本軍は不利な戦いを強いられたのだなぁということを改めて感じました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではacworksさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

日本と中華民国の本格的戦闘の原因となった出来事について触れている話「第二次上海事変とは?大山中尉やドイツの関わりについても」はこちらです。

日本と中華民国間で締結されたシナ事変以前の停戦の取り決めについて触れている話「塘沽停戦協定とは?協定の意味やなぜ成立したかについても」はこちらです。

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