孔子の言葉、「過ちて改めざる是を過ちと謂う」の読みや意味について
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」の読み方
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」は「あやまちてあらためざる、これをあやまちという」と読みます。「あやまち」という表現は間違えることという意味で分かりはしますが、「過ち」と書くのだということを個人的にはよくわかっていませんでした。これを機会に書くことが出来るようにしたいと思います。こうやって調べてみるとわかっていないものってあるものですね。「謂う」は「いう」となりますが、この漢字は私の場合普段使いませんし、一般的な文書で見かけることもあまり無いような気がしました。
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「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」の意味
孔子の言葉「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」の意味は「間違えてしまったのにもかかわらず間違えてしまった原因を改めようとしない、これが本当の過ちなのです」となります。「謂う」という漢字には「話す」という意味もあるようですが他に「意味する」「~と思う」といった意味もあるようです。
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」の類語
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」と似た意味を持つ言葉には「過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)」があります。間違えた時には改めることを思いとどまってはいけません。すぐ改めなさいという意味になります。
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「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」の由来
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」は中国の思想家、孔子(こうし)やそのお弟子さんたちの発言や行動が記録されている書物「論語ろんご」の中の衛霊公(えいれいこう) 篇に掲載されています。論語は儒教の教典としても扱われている書物です。この論語の中で書き下し文にすると、「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」となる箇所があります。
今回は「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」を取りあげてみました。このことわざを取りあげたのはこれまで取りあげてきた故事成語のような由来となるお話が興味深かったという理由ではなく、個人的に「そういうものかなぁー」と感じ入った言葉だったからです。何しろ由来となった箇所は孔子さんの一言だけで終わってしまうので。以前取りあげたことのある「苛政は虎よりも猛し かせいはとらよりもたけし」という故事成語では、それなりに孔子さんの周りで発生した納得のエピソードもあったんですが。
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「過ち」に関しては原因が明らかであればその原因を改めたほうが当然良いように思いますし、ちょっと聞くだけですと当たり前のように感じるかもしれません。ただ、敢えてこのような発言を孔子さんがしたということは、過ちの原因が分かっているにもかかわらず、その原因を改めないことを色々な場面で目にして問題だと考えていたからなのでしょう。改めることがとても大変なことって身の周りのことから社会的な問題まで様々なレベルであるのかもしれません。個人的な身の周りのことであれば血液検査でコレステロール値が高かったから、「好きな食べ物だけど~は控えなきゃ、でも食べちゃうんだよなー」といったことでしょうか。取るに足らないことと感じる方もおられるかもしれませんが、私にとっては原因を改めるのが大変な具体例です。現実逃避してしまうことも多々ありますが、戒めとしてこのことわざ「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」を知っておいてもいいかなと思いました。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
孔子先生の登場する話「『苛政は虎よりも猛し』の読み方や意味、由来の話について」はこちらです。
過ちの結果と言えなくもない話が関連する故事成語の記事「麦秀の嘆とは?読み方や意味、由来となった話について」はこちらです。
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