2010年に鳩山内閣が退陣した理由は何だったのでしょう

鳩山内閣が退陣した理由

 

西暦2009年(平成21年)夏に実施された衆議院議員総選挙で自由民主党に大差をつけて勝利した民主党は社会民主党や国民新党といった政党と連立政権を作りました。選挙後に出来た政権は鳩山由紀夫という人が首相を担当する鳩山内閣です。しかしこの鳩山内閣は結果的には一年も持たずに退陣することとなりました。政権交代する以前の自民党政権も安倍政権、福田政権、麻生政権、共に一年くらいしか持たず政権が安定しませんでしたが、国民の強い期待が集まった新たな連立政権はそれ以上に不安定さを露呈する格好となってしまいます。鳩山内閣は2010年の6月4日に総辞職、退陣しました。2009年の夏に選挙で大勝して発足した鳩山内閣なのになぜ短期間で退陣したのでしょう。その理由として鳩山元首相に関連する政治資金の問題や与党である民主党幹事長だった人物に関連する政治資金の問題、沖縄県に存在する米軍が使用している普天間基地の移設に関する問題によって鳩山内閣に対する支持が低下し、民主党内から強い反発が出ていたことが挙げられます。

 

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首相本人に関連する政治資金の問題

 

一定金額以上の政治献金があれば誰からの献金であったのか記録する必要があると法律で決められています。鳩山首相の関係する政治団体にも当然政治献金をする人たちがおられます。事実通り献金してくれた人の情報が記録されていれば問題は無いのですが、なぜか亡くなられているはずの人から政治献金がおこなわれているような、ありえない記録がされていると判明してしまいました。鳩山首相の秘書が鳩山首相の政治資金に関して虚偽の報告をしていたわけです。この出来事が野党側から追及されていく中で鳩山首相の御家族から鳩山首相にかなりの額のお金の贈与がおこなわれていたものの、それに伴う税金の支払いが適切に行われていなかった疑惑も出てくることとなりました。鳩山首相に対し脱税の疑惑が強まったことで鳩山内閣への支持が低下することになりました。

 

民主党幹事長の政治資金関係の問題

 

鳩山首相のことだけではなく、与党である民主党の重要な役職、幹事長を担当していた小沢一郎という人についても批判が集まりました、彼の政治団体に関する政治資金収支報告書についてもきちんとした記録が残されていないということで野党からの追求が強まり、言論機関からも大々的に取り上げられ、検察からの捜査も入ることになりました。小沢幹事長が深く関わる政治団体が不動産をかなりのお金で購入したのですが、その支払いの際に使ったお金について収支報告書にきちんと書かれていなかったことが問題とされたようです。収支報告書に嘘の内容を書いて報告したと野党側は強く批判しました。小沢幹事長の秘書だった人たちがこの件で2010年の1月に逮捕される結果となっています。不動産を購入する時に支払われたお金の出所について様々な憶測がされて小沢民主党幹事長に対する世間からの印象が悪化しました。

 

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普天間基地移設に関する混乱

 

沖縄県に存在する普天間基地は基地周辺に地域住民である方々の住居や生活を送るために欠かせない公共施設などが基地を取り囲むように存在しており、基地を飛び立つ米軍の航空機、ヘリコプターなどの事故が発生することで大変な被害を受ける危険性があります。そのような被害を防ぐために米軍が使用する普天間基地を日本に返還してもらい、米軍がそのかわりに使用できる別の基地に米軍の機能を移転させようという話が以前から進んでいました。2009年夏の総選挙で当時民主党代表だった鳩山さんはこの普天間基地の移設について、普天間基地の米軍の機能は海外に移転するのが望ましいけれども、それが出来ないということであれば最低でも沖縄県外に移転することが望ましいといった内容を訴えていたのだそうです。しかしいざ政権を担当すると海外、例えばグアムの施設に移転するという話はアメリカ側が受け入れなかったために進まず、鹿児島県の奄美群島にある徳之島に移すという案も徳之島の地域住民の強い反対によって断念せざるを得なくなりました。選挙前に訴えていた沖縄県外に普天間基地の機能を移転するという鳩山代表の訴えを実現することは出来ず、結局元々あった沖縄県内の名護市の辺野古に機能を移転するという案に決着することになります。沖縄県外に移設することは出来ませんでした。移設に関する話が転々としたことで鳩山内閣は面目を失いました。連立を組んでいた社会民主党もこの件が理由で連立政権から離脱することになります。

 

支持率が低下しました

 

政権が発足した当初、70%台の高い数値だった政権への支持率は、上で書いたような事柄が影響してどんどん低下する結果となり、2010年の4月下旬には20%台くらいにまでなってしまいました。2010年の7月には参議院議員選挙が控えておりまして、その選挙で戦わなければならない民主党の関係者から政権に対する批判が強まりました。こんなに支持率が低かったら参院選で大負けしてしまうおそれがあるからです。民主党の内部から鳩山さんには首相を辞めてもらって支持率が上昇する人に新たに政権を担当してもらったほうがいいという声が大きくなっていきました。鳩山首相も党に迷惑をかけるわけにはいかないと考え内閣総辞職すると決断しました。

 

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今回は鳩山内閣の退陣について取りあげました。政権が交代した後政治資金に関する話題が連日報道されていたことは何となく覚えてはいます。ただ、なぜ鳩山さんが非常に短期間で政権の座を降りることになったのか理由がよくわからず今回のような記事を作ってみた次第です。国政選挙を前にして、異常な支持率低下の状態では他の人に政権を任せるしかないということだったようです。参議院選挙がおこなわれる日程がもっと先であったら総辞職した時期も全く違っていたかもしれませんね。昨今も首相に関する疑惑が野党側から追及される話が報道機関で毎日のように取り上げられています。与党と野党の立場が変わったとしても野党側がやることに大きな変わりはないということのようです。政治資金の報告や管理がずさんということは確かに問題なのでしょうが、これがたまたま時の首相や与党の幹事長であった政治家だけの話だったのか、他の政治家の方々はどうなのか気になるところではあります。せっかく政権を担当したとしても政治資金など疑惑に関する件で国会の審議時間をたくさん使われては本来議論しなければならない他の話が後回しにされてしまいます。国民にとっては損失だと思いますから、国会議員の方々には重い役職を担当していない時点から政治資金に関して周りから後ろ指を指されることの無いようにしておいてもらいたいものです。それから、出来もしないことを選挙の時に訴えないようにするということも当たり前ではありますが気を付けなければならないということなのでしょうね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

沖縄が返還されたことについて触れている話「日本側への沖縄返還が実現したのはいつだったでしょう」はこちらです。

大戦末期の沖縄戦について触れている話「アメリカ側にとっての沖縄戦の目的は何だったのでしょう」はこちらです。

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