アベノミクス当初の金融政策はどんな特徴があったのでしょう

アベノミクス当初の金融政策の特徴

 

西暦2012年(平成24年)の12月16日におこなわれた衆議院議員総選挙で当時野党であった自由民主党が、衆議院の過半数以上の議席を獲得、勝利しました。自民党と公明党の連立政権が誕生することになります。この時の自民党の代表、総裁は安倍晋三という人でした。過去形にするのはおかしいでしょうかね。今この記事を作成している時点(2018年5~6月)でも首相職を担当している安倍さんです。自民・公明連立政権は発足後、通称「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を実施すると世の中に表明しています。アベノミクスという呼び名は安倍さんの名前とエコノミクス、economicsをつなげて作った造語です。economicsには「経済学」とか「経済」といった意味があります。アベノミクスの特徴としてよく挙げられるのは金融政策と財政政策と成長戦略の3点で、これは戦国時代の武将である毛利元就(もうりもとなり)にまつわる逸話から持ってきているのだと思いますが、「三本の矢 さんぼんのや」などと呼ばれたりすることも多いようです。その中の一つである金融政策にはどのような特徴があるのでしょう。自分なりに調べてみました。金融政策は中央銀行がおこなうもので、世の中に出回るお金の量を調節するなどの方法で物価、物の値段を調節して経済を安定させることを目的とした政策です。物価が上昇するインフレーション(インフレ)、物価が下落するデフレーション(デフレ)、どちらの現象も進行し過ぎてしまうと国民の暮らしに悪い影響が出てしまいます。そうならないようにする政策が金融政策です。安倍政権は中央銀行である日本銀行と強く連携してデフレ状態から抜け出すための金融政策をおこなうと世の中に打ち出しました。

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安倍政権が誕生してからそれ程期間が経過していない2013年3月に日本銀行総裁だった白川方明(しらかわまさあき)という人が、総裁職を辞任し、新たに黒田東彦(くろだはるひこ)という人が日本銀行総裁に就任します。この黒田総裁が打ち出した金融政策がアベノミクスの金融政策の特徴と言えるでしょう。黒田さんは総裁就任後大規模な金融緩和を実施すると表明しました。この金融緩和は「大胆」な金融緩和、「異次元」の金融緩和、黒田バズーカなどと表現されることもある、これまでの金融政策と比べてかなり異なった対応だったようです。具体的には物価の上昇率が年率2%になることを目標としました。その目標を実現するために~兆円といったような金額の制限を設けない、無制限の金融緩和をしますという姿勢を示しました。またマネタリーベース、簡単に言えば世の中に出回るお金の量ということなのだそうですが、これを2年間で倍の量にするという考えも示しました。年率2%を目標とかマネタリーベースを2年で倍というのはこのような数字だけを示してもピンとこないかもしれません。ということで前の日本銀行総裁だった白川という人の対応と比較してみたいと思います。

 

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白川さんの時代の対応

 

白川さんが総裁だった時も日本の世の中がデフレの状況から抜け出すために金融緩和、世の中に出回るお金の量が増えるような政策をおこなっていきますと表明していました。しかし黒田さんがやろうとしていたこととは違いがあるようです。例えば物価上昇率の目標です。黒田さんの場合、物価上昇率は年率2%(一年間で物の値段が2%上昇するくらいのペースの物価上昇)を目標としますと言いましたが、白川さんは物価上昇率の目標を1%とするという考えを示していた時期が長いかたでした。自民党、公明党に政権が移っていた2013年1月の時点で物価上昇率2%を目標にすると変更していますが、これは白川さんが総裁辞任するたった2か月前の話です。この方は2008年の4月から日本銀行の総裁を担当していたのですからだいたい5年間担当していたことになるわけですけれど、2%を目標にしたのは最後の2か月間、ほんのわずかです。黒田さんのほうが世の中をよりインフレ方向に変化させようとしていることがわかります。また、新たな金融政策では、2年間でマネタリーベースを2倍にすると表明していたようですが、白川さんの時代は例えば辞任する2013年3月の2年前、2011年3月と比較してどれくらいマネタリーベース(世の中に出回っているお金の量)が変化したか見てみると、日本銀行が公開しているデータによれば、2011年3月は約112兆7432億円で2013年3月は約134兆7413億円です。確かに増加はしています。しかし2年間で1.195倍、19.5%の増加にとどまっています。一方黒田さんは2年間で2倍にするというのです。黒田さんの政策で世の中に出回るお金の量がそれまでに比べて急激に増えることになるのがわかるかと思います。このように過去の金融政策に比較し非常に強烈な金融緩和政策をおこないますと日本政府、日本銀行が連携して世の中に表明したことになります。

 

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今回は第2次安倍政権になってからの金融政策について一部取りあげました。これまでの日銀の方針とは大きく異なる政策を実施することになったわけですし、第2次安倍政権になってから株価の上昇や円とドルの交換比率が円安方向に変化するなど、民主党政権時代に比べやはり経済状況が変化したことも事実ですし、関連してくる政策を調べてみたく、今回はこのようなテーマの記事にしてみました。実際の数字を見てみると白川さんと黒田さんとではデフレ状態を抜け出す金融緩和政策をしますと言っていても違いがあることがわかります。1%と2%、1.195倍と2倍。日本銀行のトップの方の考えというのは具体的な数字をどうするのか、過去に数字がどのように変化したのかに注目するとより明確になってくるものなのかもしれませんね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

他の時期の金融政策について触れている話「日本が量的緩和政策を実施したのはいつからだったのでしょう」はこちらです。

他の時期の金融政策について触れている話「日本でゼロ金利政策を開始したのはいつからだったのでしょう」はこちらです。

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