浅間山荘事件を起こした犯人たちの目的は何だったのでしょう
浅間山荘事件の犯人の目的
日本のそれほど古くない出来事、日本の現代史、共産、左翼勢力に関係する話について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では昭和四十七年、1972年に発生した出来事である、いわゆる浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)を引き起こした犯人たちの目的について私なりに書いてみたいと思います。浅間山荘事件は当時日本中がその成り行きについて注目した出来事であり、当時の日本人であれば大抵知っている話なのですが、現在はもう50年弱経過しております。義務教育、高等学校などの社会教育、歴史教育で現代史の重要な出来事として取り上げられることもありませんので若い方々はご存じないのかもしれません。持っている高校用の歴史教科書を見てみても昭和四十七年(1972年)の出来事として掲載されていたのは沖縄の日本復帰や日中共同声明、札幌オリンピックなどです。ただ見方によっては若い方々ほど知っておいたほうがいいのではないのだろうかという気もする出来事です。話がそれました。すいません。この事件を起こしたのは複数名の者たちであり、彼らは連合赤軍(れんごうせきぐん)という組織に所属していました。銃で武装した彼らは長野県軽井沢にあった保養所に侵入、その施設にいたかたを人質に取ってその保養所に立てこもりました。異常を察知し警察が保養所を包囲します。しかし警察が犯人たちに人質の解放や投降を呼びかけても犯人たちは応じません。人質となっているかたもいるわけですし事態の長期化を避けたい警察は鉄球を使用して建物を壊したり放水といった手段を用いて犯人を追いつめ、機動隊の強行突入を決行し多くの犠牲を払って人質を救い出すことに成功し、犯人たちは逮捕されました。連合赤軍の構成員たちは一体何を目的に軽井沢の山荘などに侵入、立てこもりをしたのでしょう。状況から見て彼らが敵視していた体制側、治安、捜査当局から逃げることと抵抗することを目的としていたように思われます。
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逃走中でした
長野県の軽井沢が事件の舞台となったのには理由があります。犯人たちが所属していた組織、連合赤軍は警察の目が届きにくい山岳地帯に拠点を築いていました。拠点が設けられたのは群馬県で、榛名山(はるなさん)、妙義山(みょうぎさん)などといった県内のどちらかと言えば西側の地域の山の中でした。この地域からさらに西に行くと長野県との県境に至ります。警察の目が届きにくい山間に拠点を築いたのはもちろん警察に捕まらないようにするためです。連合赤軍という組織はそもそも共産主義者同盟赤軍派(きょうさんしゅぎしゃどうめいせきぐんは)という共産主義勢力の一派と日本共産党革命左派神奈川県委員会(にほんきょうさんとうかくめいさはかながわけんいいんかい)という共産主義勢力の一派が合流して誕生したのですが、この二つの勢力は連合赤軍となる以前に犯罪を重ねていました。組織の活動資金を得るために金融機関を襲ったり、武器を得るために銃砲店から銃を奪うなどといった行為です。そういった事情で逮捕されないために警察の目の届きにくい山間部を拠点にして軍事訓練などをしていました。どうして軍事訓練なのかというと武力によって日本で共産主義革命を実現しようと考えていたからです。しかし犯罪をおこなった者たちが所属する連合赤軍を取り締まっていた警察側は構成員たちを逮捕するために捜査の手を山岳部にも広げ、とうとう群馬県の活動拠点を発見、連合赤軍の一部のメンバーを逮捕することに成功しました。しかし逮捕された者たちは連合赤軍の一部であり、全員ではなく、警察の捜査の網を潜り抜けた者たちもいたわけです。その逮捕されずに逃げおおせた者たちが群馬県の隣の長野県内に潜入し、一般企業が保有する軽井沢の保養所に侵入し今回扱っている浅間山荘事件を起こしてしまう結果となりました。群馬県内の山岳地帯にあった拠点が警察に見つかってしまったので何とか他の地域に逃げようとしていた最中だったということです。実際保養所に侵入後、付近の車を使って逃走しようとしていたようですが車の鍵を手に入れられず車での逃走を断念しています。そうこうしているうちに保養所の異常を警察が突き止め、犯人たちは包囲されます。
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要求無し
警察に包囲されてもなお保養所に立てこもる犯人たちでしたが、逃走のための手段、さしあたり必要な食料などといった普通であればあってもおかしくはない要求を警察に対して、してきませんでした。反応は犯人たちによる銃の発砲くらいなものだったようです。犯人たちの家族が呼び掛けても応じることはありませんでした。観念して投降するわけでもなく、人質を解放するわけでもなく包囲する警察の一団に対し抵抗し続けることとなります。警察の強行突入によって頑として呼びかけを受け入れなかった犯人たちもとうとう取り押さえられ逮捕ということになりました。最後まで抵抗したと言えるのでしょう。最後の最後まで抵抗ということになると自決して逮捕からすら逃れるという考え方もあるのかもしれませんけれど。ということで浅間山荘事件での犯人たちの目的は出来れば警察の追跡をかわして逃亡したいというものでしたが、それが叶わないのならば可能な限り警察に抵抗することだったと犯人たちの動向から読み取れるように思います。犯人たちが所属していた連合赤軍ということで言えば、この組織が活動する目的というのは共産主義に基づく世界を建設するため、日本はもちろん世界規模で共産主義革命を実行するために共産主義革命を阻止しようとする(彼らの言い分によれば)帝国主義、ファシズムに加担する当時の日本や世界各国の体制を相手にゲリラ戦を行い世界各国の同じ考えを持つ人民と連帯することだったようです。しかし彼らの活動に対して日本国内、世間一般からの共感が沸き起こることは全くなく、浅間山荘事件もそうですがそれ以前に連合赤軍がおこなった組織内での構成員に対する数々の暴行、処刑の実態が世の中に明るみになることによって、連合赤軍のメンバーたちの意図に反し、彼らの活動は世の大半の人々から嫌悪されることとなりました。
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今回は終戦から25年以上経過した日本社会を騒がせることになった左翼過激派の引き起こした事件、浅間山荘事件について一部取り上げました。戦前の日本国内での共産主義者の活動に関しては高校の歴史教科書でも日本共産党の誕生や弾圧といった話を取り上げているのですが、戦後に入ると既成の革新政党に批判的な新左翼の活動に少し触れる程度です。しかし今回の事件や連合赤軍内における残虐行為は当時それを知った日本人を大変驚かせた話であり、それなりに重要、知っておいたほうがいい内容なのではないのかという気もしました。そういった思いもあって浅間山荘事件に関係するテーマの記事を作成してみた次第です。事件に関し本文の中で記載できなかったことを補足いたします。この事件に対応した警察官の方2名が犯人の発砲した銃弾にあたり殉職されています。他に人質の方の身代わりになろうとして犯人の立てこもる保養所に不用意に近づいた民間人に対しても犯人側が銃撃、銃弾が当たってしまい、この方も後に亡くなられました。多くの怪我人も出ております。共産主義革命をすることが正しい行為と信じ切ってしまうと治安を守る日本警察の職員たちの命は革命遂行のためなら奪ってもいいと考えてしまうものなのでしょう。包囲する警察側に発砲を繰り返したということはそういうことなのだと思います。今後似たようなテーマを扱った記事を作成するかもしれませんし、そのたびに同じ感想を繰り返し述べるような気もしますが、オウム真理教のようなカルト宗教や非合法活動、武力による共産革命などを志向する過激な政治思想というのは決して社会を理想的な方向に変えていく効果など期待できず、当事者を不幸にし、場合によっては人の命を奪ってしまうことも大いにあり得る、一切かかわるべきではない恐ろしい魔物としか思えません。将来何らかのきっかけでそのような恐ろしい団体や思想に触れてしまう危険性があるかもしれない若い方々には是非ともそういった団体、思想と接触する前に、過去の教訓をしっかりとくみ取っていただきたいと感じます。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
今回の記事では写真ACで提供されている写真を使用させていただいております。
本文中でも名前を出したオウム真理教の凶行について触れている話「地下鉄サリン事件で被害者となられた方々の人数は」はこちらです。
オウム真理教が世間からまだそれほど危険視されていなかった頃の活動について触れている話「オウム真理教の政治団体が過去の選挙で惨敗したという出来事」はこちらです。
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