戦前の場合、日本の首相の決め方はどうなっていたのでしょう

戦前の首相の決め方

第二次世界大戦が終了する以前の日本の歴史、政治の歴史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では日本の首相、内閣総理大臣は戦前の時代の場合どのように決められていたのかということについて私なりに書いてみたいと思います。戦前の決め方と言っても、戦前だけではなく戦争中もそうでしたし、戦後の一時期までは似たようなやり方で決められていました。ちょっとその前に現在の日本の内閣総理大臣の決め方について確認してみます。現在わが国で使用されている憲法、日本国憲法には内閣総理大臣の決め方がはっきりと定められています。内閣総理大臣は国会の議決で指名する、つまり国会議員による議決で内閣総理大臣となる人物が指名されることになります。また指名される人物の条件として国会議員でなければならないことも憲法に明記されています。能力がある人であっても国会議員でなければ首相にはなれません。衆議院でも参議院でもこの指名の議決がされますが、議決によって指名された人物が両院で異なる場合、協議の機会が設けられます。それでも両院の意見が一致しなければ衆議院での議決が優先され総理大臣に指名される人物が決定します。日本国憲法の第67条の条文に指名に関する内容が記されています。そして天皇陛下がその選ばれた人物を内閣総理大臣に任命されるという手順を経て新しい内閣総理大臣が誕生します。国会で指名された人物を天皇陛下が内閣総理大臣に任命するという定めについては日本国憲法の第6条に記されています。じゃあ日本国憲法が使われる以前の日本(当然戦前の日本も含まれます)ではどうやって決めていたのか。帝国議会の議決で決められていたわけではありませんでした。時代によって少し変化するところもありましたが、基本的には天皇の重臣にあたる人たちが内閣総理大臣を任せるにふさわしいと考える人物を選び、時の天皇陛下に「これこれこういう人物に任せたいと存じます」といった進言をおこなって、天皇陛下は結果的にはその進言をそのまま採用され、重臣が推薦した人物に内閣総理大臣を担当するようにと御命令を出されることとなっていました。特定の人物に内閣総理大臣を担当するようにと勅命が出ることを大命降下(たいめいこうか)と表現するそうです。というわけで日本国憲法の前の時代の憲法、大日本帝国憲法が効力を持っていた時代は、議会が内閣総理大臣決定について直接的な関与はせず、時の天皇陛下の特定の側近がふさわしいと考える人物を選んでいたということになります。

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関与した重臣

大抵の場合首相となる人物選定に強く関与したのは元老(げんろう)と呼ばれた方々でした。元老というのは明治時代から昭和の一時期までの間存在していた、国政に関して非常に発言力のあった政治家の方々です。大日本帝国憲法上に定められていた立場ではなく、時の天皇から補佐をするよう求めるという意味の命令が出されることによって任命されていたようです。明治維新後の新政府の運営に貢献したとされる伊藤博文さんや山県有朋さん、黒田清隆さん、井上馨さん、経済政策で有名な松方正義さん、軍の重鎮だった西郷従道(つぐみち)さん、大山巌さん、たびたび首相を担当した桂太郎さんや西園寺公望さんといった方々がおられます。発言力の強い元老が誰なのかによって選ばれる人物も異なってきます。政党に関して批判的な考えを持っていたように言われている山県有朋さんは非常に影響力を持っていた元老ですが、彼は首相選定に際して衆議院に大きな勢力を持つ政党の意向に沿うようなことをあまりしなかったことで有名なようです。ただ有名な平民宰相、原敬(はらたかし)さんの時には山県さんも政党の重要人物である原さんを無視できず首相を担当する人材として天皇陛下に推薦しました。ただ元老の方々も年には勝てず一人また一人とこの世を去っていきます。先ほど名前の出てきた元老の方々で最後まで残った方は西園寺さんでした。西園寺さんは政党の重要人物が首相となって政治をおこなっていくことに決して否定的な人ではなく、世の中の人々が自分たちの代表で構成される衆議院の意向を尊重した政治を希望するといった風潮の強まりに逆らうような人選はしなかったようです。憲政の常道(けんせいのじょうどう)といった衆議院の政党から内閣総理大臣を担当する人物をあてるという、別に法律に基づいているわけでもないルールが1920年代中頃から1932年まで運用されていましたが、この仕組みは西園寺さんの意向が影響しました。

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時は過ぎ、首相候補を選定する人も変化します

良いか悪いかは別にして、こうして元老の方々が相談し首相にふさわしい人物に目星をつけ、その人物に打診し、そのかたが了承する様子であるのならば、時の天皇陛下にこの人物で行きたいと存じますと申し上げ、陛下が任命され、新首相が誕生しました。しかし最後の元老、西園寺さんも高齢となります。昭和天皇から任された元老の役目を果たすのもなかなか難しくなっていきました。しかし新たな元老となる人物は補充されず、その代わりとして宮廷の重臣である内大臣(ないだいじん)や天皇の諮問機関(しもんきかん 時の天皇陛下からの諮問、意見を尋ねられた際に回答を上申する機関のことです)である枢密院(すうみついん)の議長過去に内閣総理大臣職を担当した方々が参加する会議によって次の首相となる人物を選定するようになっていきました。昭和十五年(1940年)以降はそのような重臣会議で(第2次近衛内閣の首相としての)近衛文麿さん、その後の大東亜戦争、太平洋戦争開戦時の首相である東条英機さん、その戦争真っただ中の頃首相職を引き受けられた小磯国昭(こいそくにあき)さん、大東亜戦争、太平洋戦争を終戦させることに尽力された鈴木貫太郎さんといった方々が選ばれ首相に任命されていきました。しかし鈴木貫太郎さんを首相として昭和天皇に推薦する決定を出した重臣会議には当の本人である鈴木貫太郎さんが枢密院議長であったことを理由に構成員の一人として参加されています。その会議の場で次の首相として鈴木さんにやってもらう話が出た時には当のご本人ははっきりとお断りする旨を発言されたようなのですが多くの参加者は鈴木さんが適任と判断し最終的には鈴木さんも引き受けざるを得なくなります。軍人は政治に関与しないほうがいいという考えを持たれていた鈴木さん(海軍出身の方)でした。当初断ろうとされたのはそういったところに理由があったようです。会議のメンバーであるにもかかわらず首相として選ばれた人物としては他に近衛文麿さんがいます。

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今回は戦前の首相の決め方について一部取り上げました。戦後に入って新しい憲法が施行された後は、国会議員が総理大臣になるのは当たり前なこととなりました。しかし戦前は必ずしも国会に占める政党の代表が首相となれたわけではなく、たとえなったとしても民間人や軍人による襲撃によって命を落とされたり職務継続が不可能となるほどの重傷を負ってしまうようなこともありました。高級官僚、階級の高い軍人、貴族院の重職担当者などといった経歴の方々も首相に名を連ねました。大日本帝国憲法の下での首相は戦後の首相ほどの権限はなかったと言われますが政権を担当する立場ですので首相人事は非常に重い選択です。そういった役目(首相の選定)を戦前はどの様な立場の人たちが果たしていたのか改めて確認したく今回のようなテーマの記事を作ってみた次第です。首相を決める人たちの判断で日本の針路も決まってしまうと言っても過言ではなく、支那事変、日中戦争がこじれてしまった時の首相、近衛文麿さんが首相を担当していなかった場合、もしかしたら違った展開があったのかもしれません。第1次近衛内閣の首相、近衛文麿さんを首相として昭和天皇に推薦したのは西園寺公望さんでした。実は西園寺さんは近衛さんに対する疑念なく昭和天皇に推薦したわけではなく、他に陸軍軍人で陸軍大臣であった杉山元(すぎやまげん)さんを首相にと陸軍が強く推してきている状況の中、杉山内閣誕生を避けるために消極的に近衛推薦に動いたといった見方があるそうです。西園寺さんが首相に据えたかった人物は軍を抑えることが出来ると見られた宇垣一成(うがきかずしげ)さんだったそうですが、宇垣さんが首相となるなら陸軍内で誰も陸軍大臣を引き受けないよう動き回る勢力がいたせいで宇垣さんが内閣を組織することが出来ず政権を引き受けることを断念したという経緯があり、首相にしたくても出来なかったようです。ということで基本的には元老などの重臣が首相を選んだわけですが、首相の人事は元老の思うがままだったというわけでは全くなく、陸軍が圧力をかけて実質的に首相人事に介入するという場合もありました。この点は過去の出来事を教訓に生かす場合、非常に重要であろうと感じます。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事でも写真ACで提供されている写真素材を使用させていただいております。

宇垣さんが首相になれなかった話について触れている話「三月事件で名が出る宇垣一成はなぜ内閣を発足出来なかったか」はこちらです。

陸軍が一線を越えた出来事について触れている話「西園寺内閣で発生した二個師団増設問題とは?山県有朋の動きも」はこちらです。

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