日英同盟の内容や目的とは?ロシア帝国の同盟関係についても

日英同盟とは?内容について

 

日英同盟(にちえいどうめい)とは西暦1902年(明治35年)に日本とイギリスの間で締結された日英同盟協約(きょうやく)という条約によって成立した日本、イギリス、二国間の同盟関係を意味します。ここでの同盟の意味は日本、イギリスを除いた他の国に攻撃したりあるいは他の国による攻撃から防御するにあたって援助することです。

 

日英同盟協約の内容ですが、第一条では英国の清国における権益と日本の清国と大韓帝国における権益を両国は認め、かつ保護するという内容になっています。

第二条では同盟を結んだ一方の国が両国の権益を守るために他国と戦争をする場合は、もう一方の同盟国は中立の立場を守りつつその戦争に他の国が参戦することを防ぐよう努力するという内容が書かれています。

第三条では努力をしても他の国(一カ国でも複数の国でも)が一方の同盟国とある国との戦争に参戦し同盟国と戦う場合はもう一方の同盟国が援助して共に戦うという内容が記されています。

第四条では同盟した両国は事前に協議しないでお互いの権益を害する別の条約を他国と結ばないという内容になっています。

第五条では同盟両国の権益が危険にさらされる切迫した事態に至った場合、すぐに同盟相手国に連絡をするという内容になっています。

第六条ではこの条約調印から五年間条約内容は効力を持ち、その期間が終了する一年前までにどちらかの国がこの条約を終了させたいという意思表示を同盟相手国にしなければ一方の同盟国がこの条約を終了したいと意思表示した後一年間が経過するまでは条約の効力が継続する。もし効力が続いている期間に一方の同盟国が戦争状態となった時は戦争が終了し講和条約が発効するまで今回の条約の効力は続くことになるのを認めるという内容になっています。

 

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日英同盟の目的

 

日英同盟は日本、イギリス両国にとって利益があるため成立した同盟関係です。日本側には他の記事でも取りあげていることですが、大韓帝国に隣接した地域、現在の中国東北部、いわゆる満州地域にロシア帝国が軍を駐留させ、大韓帝国についてもロシアの影響下に置くためロシア帝国が様々な介入をしていました。もし大韓帝国がロシアの支配地域になってしまった場合、日本の安全を守ること、ロシアの侵攻から日本を守ることは大変困難となります。そのため朝鮮半島をロシアに奪わせないために何らかの手を打たなければなりませんでした。

ロシアが三国干渉のようにフランスやドイツを味方につけて日本と戦争しようものなら、日本が敗れてしまいます。そのため、もし戦争となった場合、複数の国と戦う場合を想定して日本が欧米列強のいずれかの国と同盟関係を構築する必要に迫られていました。イギリスは清国内での権益をロシアに奪われはしないかと警戒している立場であり、朝鮮半島での日本の権益について利害関係が対立しているわけではありませんでした。日本にとってイギリスは同盟相手としてちょうど良い立場だったということのようです。

イギリスは当時欧米列強の中でもひときわ強い国として知られ、他国と同盟関係を持っていませんでした。持つ必要が無い位強いよ、というわけです。しかしこの時期イギリスにとって心配な要素が複数存在していたそうです。一つは上記の通り東アジアでのロシア帝国の勢力拡大でした。イギリスは清国内でたくさんの権益を持っていましたが、このままロシア帝国が勢力を拡大させるとイギリスの権益を脅かすことになりかねない。そのような心配がありました。他にも当時ドイツ帝国で新たな皇帝が即位したことにより、バグダッド(現在のイラクの首都です)まで自国の影響下にある鉄道を伸ばす、つまり中東まで自国の勢力を拡大するという戦略を持つこととなりました。この戦略はイギリスの世界戦略と相いれませんでした。イギリスはエジプトのカイロ、南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタといった都市を鉄道で結ぶ政策を掲げており、ドイツ帝国の構想と中東地域で利害がぶつかる関係にありました。ドイツとロシアを同じ時期に単独で相手とするのは強国のイギリスでも大変でしたから、イギリス側でも同盟を結ぶ相手がいたほうが良いという事情があったようです。

 

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ロシア帝国の同盟関係

 

日本にとってもイギリスにとっても利益を脅かす存在であったロシア帝国。当時のロシア帝国の同盟関係ですが、西暦1900年頃のロシア帝国はフランスとの間で同盟関係がありました。露仏同盟(ろふつどうめい)と呼ばれる軍事同盟です。1894年、ちょうど日清戦争が始まった年ですが、この年に露仏同盟が成立したそうです。ただ、この露仏同盟はヨーロッパに当時存在した同盟関係、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国の間で結ばれていた三国同盟(さんごくどうめい)に参加する国との戦争を想定して成立していた同盟関係のようです。東アジアでの利権をロシア、フランス両国がお互い守り合おうという目的で成立した関係ではないんですね。

他にロシアと清国の間で1896年に秘密条約が結ばれていたそうです。この条約は日本を念頭に置いて結ばれた条約だったようです。日本が清国や朝鮮半島、ロシア帝国内に侵攻した場合、ロシアと清はお互いを援助するというものでした。

 

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今回は日英同盟の具体的な内容や日露戦争の相手国、ロシア帝国の同盟関係について調べてみました。世界史ははるか昔の高校生時代に選択しなかった科目だったので、ドイツの3B政策とかイギリスの3C制作とか露仏同盟とか三国同盟についてはあまりよくわかっていませんでした。中学時代に学習したことなのかどうかはさっぱりわかりません。いずれにしても欧州列強側の事情を今回調べてみて利害がぶつかってしまう内容について知ることが出来ました。露仏同盟が欧州の三国同盟との戦いを想定した同盟関係だったとはいえ、日本が同盟国を持たずロシア帝国と戦争したのなら、強国フランスも日露戦争に参戦していたのでしょうか。日本対ロシア帝国&フランス連合軍という構図ですと、やはり日本は勝てそうな気がしませんね。恐ろしい・・・。おまけに相手側として清国が参戦したらやはり負けたのではないでしょうか。

日英同盟を結んでいたのにいざ日露戦争になってもイギリスが参戦してないなと以前不思議に思いましたが、一国同士の戦争なら同盟相手国は中立を保つという約束だったんですね。ここでロシア側としてフランスが参戦すればイギリスが日本側で参戦すると、そういう約束だったということを今回初めて知りました。同盟と聞くと戦争が始まったらすぐ参戦という気がしましたがそういうことではない種類の同盟もあるんですね。仲間は欲しいけど極力巻き込まれたくもないな、という本音をちょっと垣間見るような気がしました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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