日満議定書とは?関東軍関連の内容や当時の内閣についても

日満議定書とは

 

日満議定書(にちまんぎていしょ)とは西暦1932年(昭和7年)9月に日本国と満州国の間で締結された議定書です。議定書というのは条約の一種で国際的な会議で合意した内容に関する公式の報告という性格を持っていて合意した国の全権が調印することになります。この議定書が締結された時に全権だったのは日本側では当時関東軍の司令官となっていた武藤信義(むとうのぶよし)陸軍大将で満州国側は当時国務院総理であった鄭孝胥(ていこうしょ)さんでした。関東軍は当時日本が租借していた中国大陸の半島、遼東半島(りょうとうはんとう)の先端地域や日本政府との関係が強い南満州鉄道株式会社に所属した地域を守備する目的で日本から派遣され現地に駐留していた日本軍のことです。当時はそのような地域のみならず1931年9月以降は満州事変となったため、いわゆる満州地域の主要都市を関東軍が勢力下におき、関東軍の兵員を駐留させていました。国務院総理というのは満州国の行政、政治をおこなう機関、国務院(こくむいん)のトップである立場になります。裁判に関係する司法機関は法院、法律を作る機関は立法院と言い、国務院とは別の機関になります。鄭孝胥さんは清国が存在していた時から清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)さんに仕えていた人物でした。この日満議定書の締結で日本は正式に満州国が独立国であることを承認することとなりました。そして満州国は日本国が中華民国と交わした条約の内容を守る考えを示しました。つまり満州国は満州地域や内蒙古東部に存在する日本国の権益を日本国から取りあげたりしませんよと表明したわけです。

 

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関東軍に関する内容は

 

日満議定書の全文自体はそれ程長くありません。その中で上に書いた通り日本の満州国承認や日本国と中華民国との間の条約内容を満州国が遵守するといった内容の他に、日本国と満州国は共同で国の防衛をおこなうべきだとして、日本軍が満州国内に駐留することを認めるといった内容も含まれています。満州国側はこの内容も認め、満州国領土内に関東軍が駐留することとなりました。またこの議定書が締結された以前に関東軍と満州国の間で満州国の防衛は関東軍に委ねることやそのための費用負担は満州国側がすること、関東軍にとって必要な施設は満州国が出来るだけ支援すること、満州国中央政府や司法行政の為の役人に日本人を採用する場合は関東軍司令官が推薦する人物を採用すること、日本人である役人を辞めさせる場合関東軍司令官の承認も必要とするといった内容も合意していたそうです。

 

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日満議定書を締結した当時の日本の内閣は

 

この議定書が締結されたのは1932年9月15日です。当時の日本の内閣は斎藤実(さいとうまこと)内閣でした。この方は旧仙台藩生まれのかたです。海軍の学校に進まれ海軍軍人として経歴を積まれました。1906年に西園寺公望内閣の海軍大臣になってから1914年まで海軍大臣を務められたそうです。海軍が関係した汚職事件で海軍に対する世の中の風当たりが強くなったことを理由に1914年に海軍大臣を辞任しました。1912年には海軍大将となっています。朝鮮総督を1919年以降複数回担当されてもいました。本来犬養毅元首相が暗殺されたあとは犬養元首相が所属していた政党、政友会の代表が新たに政権を担当するものだと考えられていましたが、陸軍の内部には政党内閣に強く反対する声があったようで、過激な軍人による襲撃事件を繰り返させないために海軍軍人であり穏健派と目されていた斉藤さんに元老である西園寺公望さんは首相を担当してくださいと要請したそうです。斎藤首相は軍と目立った対立もせず、日満議定書の締結を認めることとしました。

 

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今回は日満議定書について取りあげてみました。日本国が関東軍によって御膳立てされた統治機構である満州国を独立国として承認した象徴となる出来事ですし、関東軍が満州国にどのように関わることとなったのかという点も重要な話だと思ったので調べてみることにしました。満州地域を支配していた武装勢力である張学良の率いる奉天軍閥(ほうてんぐんばつ)を関東軍が武力で追い払い、張学良とあまり仲が良くなかった人たちが作ったばかりの国ですから、その人たちに満州国の防衛をすぐに任せて関東軍が関与しなければまた奉天軍閥が逆襲して満州地域を支配するのは目に見えています。満州国を維持するためには関東軍の助けが必要だったというのは無理もない話でしょうが、こういった点を見ても満州国は関東軍があって初めて成立する国であり、自発的に誕生した国ではないことがよくわかります。独立したいと望む人たちがいたとしても自分たちだけの力で奉天軍閥の支配を排除できるような実力はその人たちには無かったわけです。他国からしてみると、満州国というのは日本が後ろにひかえている傀儡国家だと見なしても何の不思議もないんじゃないでしょうか。ただ、満州国の別の記事を作っていた時に、治安が良く生活しやすかったという満州民族の人の当時の生活を懐かしむ意見を知って現地の人にとっては満州国があったほうが良かったということなのか?とも思い、一面的な評価はしづらいなと感じることもありました。もし河本大作大佐が張作霖暗殺をしなかった場合、この地域の情勢はどうなっていたんでしょう。奉天軍閥と日本の関係はいずれにせよ悪化したのでしょうか。張作霖が生きていた場合、奉天軍閥が満州地域で独立国家を創るなんて可能性はあったんでしょうかね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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