小笠原諸島の返還はいつだったのでしょう。当時の首相も

小笠原諸島の返還はいつだったでしょう

 

現在は東京都の一地域として区分されている小笠原諸島。この地域がアメリカ合衆国から日本国に返還されたのは西暦1968年(昭和43年)の6月26日です。この6月26日は日本に小笠原諸島が復帰した日です。それ以前に日本とアメリカの政府間で小笠原諸島の返還に関する協定が調印されていますが、調印されたのは同じ年の4月5日です。長い名前の協定です。「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」という名称だそうです。調印後に日本やアメリカの議会でこの協定について承認を得るという手順が踏まれました。国会で承認後、協定が公布されます。公布というのは「こういうきまり(憲法や法律、条約など)ができましたよ」と世の中に知らしめられることです。公布は同じ年、1968年の6月12日でした。その後成立した協定が効力を持つことになったのが上で書いた通り6月26日です。復帰した日を返還された日ととらえるなら返還されたのは「1968年(昭和43年)6月26日」となります。

 

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当時の日本の首相は

 

小笠原諸島が日本に返還された1968年6月26日当時、日本国の首相(内閣総理大臣)を務められていたのは佐藤栄作(さとうえいさく)さんという山口県出身のかたです。東京帝国大学を卒業後当時存在していた役所、鉄道省のお役人となり運輸省の次官(運輸大臣に仕える立場ですが運輸省のお役人の中では一番偉い立場ということになります)にまで出世されました。その後は政治家として活躍します。吉田茂さん、岸信介さんと行動を共にし、それぞれの方の内閣で様々な大臣職を担当し1964年(昭和39年)、内閣総理大臣となります。この時佐藤さんが所属していた政党は自由民主党です。佐藤さんが首相になってから4年後に小笠原諸島が返還されたことになります。

 

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独立回復から返還までずれ込みました

 

日本国が独立を回復したのは1952年です。サンフランシスコ講和条約が発効して、在日米軍は残るものの、主にアメリカ軍からなる占領軍が撤収しました。この時に小笠原諸島が日本に返還されたわけではなかったのですね。アメリカなどの国々と締結したサンフランシスコ講和条約の第三条で特定の島々をアメリカが統治する立場となる信託統治制度下(統治することを任せるという制度ですね)におくことを日本が認めるという内容が盛り込まれています。この特定の島々の中に小笠原諸島も含まれていました。そのため独立を回復した時返還されることはありませんでした。日本国内では以前島で住んでいた人々はもちろんですが島を日本に返してもらうよう政府にはたらきかける国民からの声が強まっていきました。ただアメリカ側では小笠原諸島を日本に返還することに反対する意見も根強く、アメリカ統治の時代がしばらく続くことになります。軍事的な拠点ともなるためアメリカの国防総省から返還に反対する意見が出ていたそうです。しかしその後小笠原諸島が返還されてもアメリカ側の軍事施設の使用を続けてもいいですよとか沖縄もすぐ返還しろと言った要求を強めませんよといった妥協を日本側がすることでアメリカ側の対応も変化し返還交渉が進展することになったそうです。当時小笠原諸島の返還に関する交渉がおこなわれていた1967年頃、沖縄はベトナム戦争をアメリカが遂行する上でとても重要な拠点となっていました。

 

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今回は小笠原諸島の返還について一部取りあげました。沖縄の返還は領土が日本に戻ってくる話としてはとても有名ですが、一方個人的には小笠原諸島の返還はあまり記憶に残っていないというのが正直なところです。1960年代に起きた出来事としては重要な話だと思いますし、独立を回復した1952年にすぐ小笠原諸島が返還されなかったのはどうしてなのかという点が個人的には気になった所でもありますので記事にしてみることにしました。サンフランシスコ講和条約の内容が小笠原諸島をアメリカによる信託統治下に置くことを日本側は認めますよとなっていれば、それは確かに講和条約締結後すぐに日本に小笠原諸島が返還されるわけはありませんよね。ただアメリカ側としても軍事的な拠点として捨てがたいとしても日本側の世論が悪化するのを憂慮して返還する方向に動いていきます。一般国民の声というのはあまり影響力が無いように感じることが多い気がしますけれど、アメリカのような超大国であっても相手国の世論というのは無視できないものなのですね。意外な感じもします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

小笠原諸島の島の一つ、硫黄島での戦いに触れている話「硫黄島の戦いでアメリカ軍が動員した戦力の規模は?」はこちらです。

戦後発生した領土問題について触れている話「竹島が韓国によって実質的に占領されたのはいつなのでしょう」はこちらです。

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