江戸時代に旗本だった方々の石高はどれ位だったのでしょう

江戸時代の旗本の石高

 

江戸時代にお侍さん、武士階級だった人たちは明治時代前ですと人口の6%くらいだったそうです。お侍さんの中にも様々な格あり、江戸幕府将軍の家臣である旗本(はたもと)という名称の人たちはお侍さんたちの中でも特に立場が上の方々でした。どういったお侍さんたちが旗本なのかについては、幕府から与えられている石高や将軍にお目見え(身分の高い方にお会いすること)出来る立場かどうかで定義されていたようです。旗本は将軍様にお会いすることが出来る家来でした。将軍様にお会いすることがかなわない家来衆もいたんですね。そういった方々は旗本とは言わず御家人(ごけにん)と呼ばれていたのだそうです。江戸時代の社会のたった6%の中でも立場がいろいろでした。旗本の方々というのは5000家くらい存在していたそうです。お侍さんの中でも立場が上の旗本の人たちの待遇は一体どれ位だったのでしょう。先ほどの旗本の定義で触れた石高というのは領地からとれるお米の大まかな量を表す言葉で、よく大名の領地を~万石(~まんごく)と言いますが、あれのことですね。旗本の方の石高は多かったとしても1万石を上回ることはありませんでした。1万石以上なら「大名 だいみょう」、お殿様ということになりますので。旗本の石高の上限は1万石未満ということになります。ただ少ない待遇の旗本の方々も当然おられて、そういった方々へ幕府から与えられる報酬は少ない場合で100石くらいだったという指摘が多いようです。しかしそれ以下の報酬しかもらえない旗本の方々もおられたそうです。10人扶持(10にんぶち)だったという指摘もあります。少ない報酬の旗本の場合はお米などでの支給ということになりますが、報酬の多い旗本の方々は領地を幕府から与えられていました。そこの領地から産出されるお米の量が9000石とか何千石とかいう莫大な量になり、その領地で徴収される年貢が領地を所有する旗本のかたのものになります。

 

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石(こく)って何なのでしょう

 

石(こく)は昔から使われていた容積を表す単位です。1升瓶(1しょうびん)という言い方は現代でもよく使われますが、この升も昔からある容積の単位です。1升の10倍の容積が1斗(1と)です。斗も容積を表す昔からある単位です。1石は10斗と同じ量の容積です。1石=10斗=100升ということになります。石高で言われる100石などはそれくらいの容積のお米の量を考えればいいことになります。江戸時代に存在していた諸藩について説明される時に出てくる~万石といった表現は~万石のお米がとれるくらいの領地の規模ということですね。この記事では旗本の方々の石高を扱っていますが少ない報酬の旗本の方でも100石くらいということでかなりの量のお米を幕府からいただいていたということになります。100石=10000升です。1升瓶に入るお米の量の10000倍です。

 

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扶持(ふち)って何なのでしょう

 

上の項目でふれました10人扶持という表現ですが、扶持(ふち)って何なのでしょう。これは昔の報酬の量を表す言葉で、年間にしてお米5俵を支給することを1人扶持というのだそうです。ということは10人扶持という待遇ですと年間お米50俵を支給してもらえることになります。1人扶持のお米5俵という量は1日あたりですと5合のお米の量になります。

 

今回は江戸時代の一部のお侍さんたちの待遇について取りあげました。江戸時代の旗本の方々の待遇について関心を持たれている方が多いようですし、私自身もよくわかっていませんでしたので確認したくこのようなテーマの記事を作ってみました。1万石未満という点は有名なようですね。旗本で大きな報酬を得ていた人では9500石なんて言う方もおられたようですので小規模な大名とほぼ同じ位の領地を持っていたということになります。

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一方で一年間につきお米50俵の報酬にとどまる旗本の方もおられたという指摘もありますから、旗本と一言で言っても待遇は非常に様々だったということですね。お米を支給された旗本の方はそれをお金に換えたりして生活のために使うことになります。なので世の中の状況でお米の値段が下がるようなことになると換金しても少しのお金にしかならないわけです。徳川吉宗さんの時代にお米が下がり過ぎてしまったことについて対策をとるのも家来衆の生活を守るために必要な事だったからということですね。お米の価格が低いままだと支給するお米を換金しても生活に困る家来が続出してしまうことになりますので。当然幕府はお米の値段を上がり過ぎもせず(上がり過ぎたら庶民がお米を買えなくなって問題になります)、下がり過ぎもしないよう安定させたいと考えることになります。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

家臣の待遇を安定させる話について触れている記事「江戸時代の享保の改革とはどのような内容だったのでしょう」はこちらです。

荒廃した農村を復興しようとした政策について触れている話「松平定信の寛政の改革とはどのような内容だったのでしょう」はこちらです。

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