徳川綱吉さんが生類憐みの令を出した理由は何なのでしょう
徳川綱吉さんの時代に生類憐みの令が出た理由
江戸時代の歴史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに江戸幕府の将軍だった徳川綱吉さんの時代に生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)という法令が出されることになった理由について書いてみたいと思います。人々や動物の命を粗末にしないようにという主旨で複数の法令が出され、それらをひっくるめて生類憐みの令と呼んでいるそうですが、この法令に背いた方で切腹などの死罪になった方もおれば流刑に処せられた方もおられたのだとか。生き物の命を大切にする法令で人が死罪になるのもいかがなものかという気がしてしまいます。綱吉さんの時代には熱心に取り組まれた政策でしたが世の人々からの反感も強かったのか次の代の将軍になってからは廃止される結果となりました。お世辞にも人気のあった政策とは言えない生類憐みの令。綱吉さんがこの法令を出した理由は何だったのでしょう。綱吉さんが信頼していた宗教家のはたらきかけというのが理由としてよく指摘されています。他には人心の荒廃を改善させたかったからといった見方もあるようです。
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綱吉さんにとって残念なことが起こっていました
将軍ということもあって綱吉さんには跡を継ぐ男子を儲けなければならないというお務めがありました。もし息子さんがいなければ徳川の他の家から跡を継ぐ人物を出してもらわなければならなくなり政争の原因にもなりかねません。綱吉さんにはお一人男の子がお生まれになっていました。徳松(とくまつ)さんというかたです。ただ非常に残念なことに若くして(4歳1カ月ほどで)お亡くなりになってしまいました。天和(てんな)三年、西暦1683年のことです。それ以降男子の誕生を望みながらも実現せずに経過しました。綱吉さんの母親も跡継ぎが誕生しないことを心配し信頼する仏教の僧侶に相談したと言われています。そのお坊さんは真言宗の僧侶、隆光(りゅうこう)という人でした。評判のお坊さんだったようで綱吉さんもお城の安全を祈ってもらうなどして信頼していました。綱吉さんに男の子が出来ない状態が続いていることについて隆光さんは、綱吉さんの前世でおかした罪が災いしているために男子が誕生しないといった見立てを伝えたそうです。また生き物の命を奪う行為を禁止し、特に犬を大切にするならば念願の男子を授かることになるでしょうといった内容を進言したとも言われています。その後貞享(じょうきょう)四年、西暦1687年に生類憐みの令に含まれる法令が出されることとなりました。特に犬を大切にしたほうがいいと進言したのは綱吉さんが戌年(いぬどし)のかただったからだと言われています。
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世間の風潮を問題視したから
当時の日本では経済的な事情を理由に口減らしのため自分の子を捨ててしまうような行為や病となった人を置き去りにするような行為が珍しくなかったようです。儒学を熱心に学んでいた綱吉さんは儒教の説く理想をよく心得ていたわけで、当時の残酷な現実を知って為政者として人心を改善する必要性を強く感じ、一連の命を大切にする法令を出したという見方もあるようです。この生類憐みの令に関しては人とは異なる生き物の殺生を禁じる話がよく注目されますが、この一連の法令の中には捨て子(人間のです)を禁止する法令も含まれております。これは非常にまともな提案ですよね。
極端
この一連の法令に反した場合、ひどいことになると死罪になりました。犬を傷つけて死罪、鳥を鉄砲で撃ったり、矢で射ることで死罪になったお侍さんもいたそうです。摘発など出来るものなのか疑問ですが蚊を殺すことも規制されていたそうですし、食用として魚などを殺すことも禁止されてしまったのだそうで、人々の健康状態にも影響してしまう事態に発展してしまいました。動物性たんぱく質を摂取できないのはさすがにまずいように思うのですが、誰かお諫めすることが出来なかったものなのでしょうか。
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今回は生類憐みの令について一部取りあげました。綱吉さんがおこなった評判の悪い政策として有名な気がするのですが、この法令に違反することで死罪にすらしてしまうようなことをどうしてしてしまったのか理由を確認してみたくこのようなテーマの記事を作ってみることとしました。綱吉さんの信頼するお坊さんがせっかくしてくれた忠告なわけです。評判の高いお坊さんの忠告ですから、そのおかげで綱吉さんは跡継ぎに恵まれたかというと、結局のところ綱吉さんが授かった男子はお亡くなりになった徳松さんの他いらっしゃいませんでした(娘さんはいらっしゃいました)。綱吉さんの次の代の将軍、第六代将軍は綱吉さんの甥にあたるかた(徳川家宣 とくがわいえのぶさんです)が就任することとなります。評判の高い宗教家の言うことを聞いたからといってご利益があるとは限らないという一つの事例でもあり、良かれと思って作った規則がかえって人々を苦しめることに繋がってしまった事例でもあります。過ぎたるは及ばざるがごとしという言い回しもありますし、生き物を大切にするという理念には賛成する方々も当然多いのでしょうけれど、ものには限度がありますよね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
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