タイの政治を2014年以降軍事政権が仕切っていたのはなぜ

なぜタイで2014年以降軍事政権が政治を

タイの政治に関心を持たれたり世界の現代史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに、なぜタイで2014年に軍部が政治をすることとなったのかについて書いてみたいと思います。と言いましてもタイで軍部が政治をしていたことをご存知ない方もおられるのかもしれません。東南アジアの国の一つ、タイ王国(たいおうこく)では西暦2014年の5月にタイの軍部が戒厳令を出し、最初はクーデターではないといった声明もあったようですが少し時間を置いてクーデターをおこなったことを軍部が宣言し、軍を中心とした政権が誕生することとなりました。民主主義の手法によって誕生した政権ではないことからアメリカなどの国々から批判が出たようです。アメリカは軍事援助を止めるといった反応を示しました。我が国日本も「遺憾(いかん 残念の意味)」と表明して民主的な政治体制の回復を望んだようです。他国からはこのように白い目で見られてしまった形のクーデターと軍事政権の誕生。こういった出来事に至ったのはなぜなのかですが、タイ国内に存在する政治勢力の対立が激しさを増し勢力同士が穏やかに事態を収束させることがなかなか難しいということが軍部の介入を招く理由となったといった見方が多いようです。またそれとは少し違って民主的に成立した政権と軍部が対立した関係であって正当と受け取れる理由を持ち出して軍部が当時の政権から権限を奪い取りたかったからといった指摘もあるようです。

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二つの勢力の対立

タイ国内では長らくタクシンという人物を支持する勢力とタクシンを支持しない勢力の対立が続いています。タクシンという人物は西暦2006年までタイ王国で首相を担当していた警察官僚出身の人物です。タクシンさんのおこなった政治は一部地域の低所得者層、農業従事者の方々からとても支持されていました。低所得者が医療サービスを受けやすくなったり、農業従事者の借金返済の猶予(ゆうよ)を延ばす政策が実施されたのだそうです。地域によってタクシンさんへの支持もだいぶ異なるようです。経済的に恩恵を受けたことが関係しているようですがタイ北部はタクシンさん支持のかたが多いという特徴があります。一方タイ南部ではタクシンさんのおこなっていた政治が支持されませんでした。予算の地域配分で南部側は割を食ったようです。また都市部の高所得者層やこれまで大きな権限を持っていた人々からはタクシンさんは支持されませんでした。タクシンさんは身内の人物を治安機関や軍組織の要職に据えるような公私混同とも受け取れる人事をしたことで一部の人たちから白い目で見られる側面もあったようです。タクシンさんが2006年に仕事で国外にいた時にタイ国内でクーデターが発生しタクシンさんが国内に戻ることが出来なくなりました。しかしタクシンさんの妹さんであるインラックさんが政治の世界に担ぎ出され、2006年のクーデター以後軍も政治権力を一旦手放し、インラックさんは2011年から2014年まで首相職を担当することとなります。反タクシン派の政治家に対する刑事訴訟や国政選挙、インラック首相を失職させることとなった憲法裁判所の判決などで政界の中でも一般民衆レベルでもタクシン派と反タクシン派の対立は強まり、双方の勢力のデモも過激化していきました。そういった混乱状態の中、軍部が治安維持などを理由に戒厳令を出し、各政治勢力間の話し合いを促すことになります。しかし協議の結果、折り合いがつかないという判断をした軍部は自分たちや警察機構が政治をおこなうと宣言します。2014年の5月のことです。この時期インラックさんは憲法裁判所の判断によって首相を辞めていましたが、代わりに首相を担当していたインラック政権時の副首相は軍部の宣言によって政治権力を奪われることとなりました。

政権と軍の対立

この項目の見出しの「政権」というのはタクシン派の政権という意味です。タクシン元首相が公式にタイ王国の王室制度を廃止するべきだ、などと表明したことは全くありませんが、反タクシン派はタクシン元首相がタイの王制をやめて共和国にしようとしているという疑いを持っている、などといった見方も存在するようです。実は軍も反タクシン派と見られています。タクシン元首相が首相時代に軍部の人事に強く介入したことやタクシンさんが王室制度を廃止しようとしているといった疑いの存在などが軍を警戒させたようです。軍にはこれまで通りタイの王室を守り抜こうと考えている人々がたくさんいると見られています。タクシン派の中には王制を廃止してタイを共和制の国にすることを希望している人々も加わっているという指摘もあります。タクシンさんは国外にいるもののタクシン派の政治勢力は変わらず国内で大きな影響力を持っており、タクシン派が王室制度を変革しようとしているといった疑念が根強く存在しているようなので、軍としては国内の混乱を収拾するためという大義名分でタクシン派の政権から権限を奪い取ってしまいたいという考えがあったから、クーデターを起こして軍が政治権力を握ったのだろうという見方があるようです。ただ、本当にタクシン派に王制をやめさせようという本音があるのかどうかはわかりません。不確定なことが多い話のため日本の報道機関で王制を巡る対立といった報道の仕方はあまりされていないようにも思います。

今回はタイ国内で2014年に軍事政権が誕生した理由について取り上げました。タイ国内で国政選挙が以前おこなわれましたが、選挙がされる以前は軍が政治をしていたという話を聞いて、どうして選挙で多数派となった勢力が政治をするのではなく、国民に選ばれていない軍組織が2014年以降政治をしたのか経緯を確認してみたくなり今回のようなテーマの記事を作ってみた次第です。世の中の人々がタイ政治をどのように見ているのかをまとめるという形になり、この記事の内容は耳にタコが出来るくらい知っている話だといったかたもおられたかもしれません。もしそうでしたら申し訳ありません。ただ、今回の記事を作っていてタクシン派がタイ王国の王室制度を究極的には廃止しようとしているといった疑念がタイ社会の中に存在するということを初めて知ることが出来ましたので、個人的には収穫があったなと感じています。もちろんこういった見方は一部の人々の考えであって実際にタクシン側に王制打倒の野望があるのか私には確認することが出来ませんから、決めてかかるのはやめておこうとは思います(ただそういった見方もあるようだということは憶えておくつもりです)。また、確認できていない情報として、タクシンさんやタクシン派が中国共産党との間でそれなりに関係がありタイ王国を中華人民共和国にとって都合の良い体制にしようとしているなどといった疑念を持つ方もいるという話もありました。これも本当のところはどうなのか私にはわかりませんが、もしそういった関係が本当であれば何らかの情報がいずれ漏れ出てくるのではないでしょうか。本当の話なら国際関係には実に恐ろしい現実があるということを示す一つの事例になるように思います。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではmakoto.hさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

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