226という事件はどういった影響をもたらしたのでしょう

226事件による影響

第二次世界大戦が始まるよりも前の日本の出来事や、軍事行動を起こして政治権力を奪おうとする、過去のいわゆるクーデター行為に関係した話について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では昭和の時代、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まってしまう五年前の時期に発生した出来事、226事件がその後の日本にどのような影響をもたらしてしまったのかについて私なりに書いてみたいと思います。この事件は恐慌や凶作のために窮状に苦しむ国民が多数いるのにもかかわらず、それに対して十分に有効な救済策をほどこさずにいた政治に憤り、昭和十一年(西暦1936年)の2月26日に日本陸軍の一部の部隊が、腐敗しているとみなした政府や宮廷の要人を襲撃して自分たちの正しいと信じる政権を樹立しようとした出来事です。この襲撃事件でその時の大蔵大臣(おおくらだいじん 今の財務大臣に相当する政府の役職)や陸軍の幹部である教育総監(きょういくそうかん 軍の教育を管轄する教育総監部の長官)、天皇に助言する役割を担当する重職の一つである内大臣(ないだいじん)を務めていた方々が殺害され、内大臣と同じように天皇の近くに仕える役職である侍従長(じじゅうちょう)を担当していた人物も襲撃され重傷を負ってしまいました。決起した部隊を率いていた将校たちの考えを全否定する気になれなかったのか、この権力奪取行為を利用したかったということなのか、日本陸軍中央はこの襲撃事件に迅速に対応したわけではありませんでした。しかし昭和天皇の断固鎮圧するべきだという明確な姿勢にあらがうことも出来ず重い腰を上げて鎮圧部隊動員に乗り出します。結局、決起部隊と鎮圧部隊の間での戦闘はおこなわれずに済み、決起部隊は撤収することとなりました。事件を起こした将校たちや事件に関与した民間の思想家たちが逮捕され軍法会議で多くの者たちに死刑の判決が出され17人が処刑されました。226事件をそれなりに簡単に説明すると以上のような内容になるかと思いますが、この事件はその後の日本にどのような影響を与えてしまったのでしょう。陸軍内部の一部勢力に発言力が集中したと言われていますし、陸軍の政治権力に介入する度合いが強まったなどいう見方も多いようです。

スポンサーリンク

陸軍の主導権を特定の派閥が握る

当時の陸軍に派閥があったことは歴史教育でも説明されている通りで、どの陸軍軍人もそういった派閥に属していたというわけではなかったそうですが、陸軍全体を動かす重要な立場、陸軍幹部については大抵そのような派閥に関わっていたようです。当時存在していた派閥が皇道派(こうどうは)という派閥と統制派(とうせいは)という派閥だったことは有名です。226事件を起こした若い将校たちは皇道派に近い人たちだったと言われていますし、事件の裏側で暗躍したなどとよく悪口を言われてしまっている上級の陸軍軍人、真崎甚三郎という人は皇道派の代表的人物とみなされていました。226事件が収束した後、陸軍は自分たちの組織において大幅な人事変更をおこなっています。粛軍(しゅくぐん)などという言葉で表現されたそうですが陸軍の重要な役職から皇道派の陸軍軍人は一挙に外されることとなりました。発言力のあった有力な皇道派の陸軍上級武官は意思に反して現役の軍人から予備役(よにえき)の軍人という立場に変えられてしまいます。予備役という立場は非常時に軍から召集が無ければ軍務に就かない立場なので現役の時に比べ当然軍に対する影響力が弱まります。先ほど名前を出した真崎さんも事件の翌月に予備役に回されています。皇道派は陸軍の重要な役職から一掃され、その代わりに重職に収まることとなったのは別の派閥、統制派の人たちでした。226事件以降大東亜戦争(太平洋戦争)が終わり、日本陸軍が解体されることになるまでの間、陸軍はこの統制派の人たちが仕切ることとなります。つまり支那事変(日中戦争)の拡大、それに伴う英米との対立激化も辞さない路線を選んだ当時の日本で相当な影響力を持っていた日本陸軍は統制派主導の陸軍だったということです。それぞれの派閥についてよくなされる説明として皇道派は天皇親政、天皇自らが中心となって実際の政治を執り行う体制を構築することを理想としていたとか当時の日本の支配層(政党や財界、天皇の側近といった当時の日本の有力階層)から力を奪うべきだといった過激な考えを持っていた勢力と言われていますし、統制派は権力機構に対する軍による過激な行為を否定し、軍の統制を保ち、政界や財界と連携して合法的な方法で国を動かす主導権を得て他国と総力戦(そうりょくせん 持っている国力を総動員、全て有効活用しておこなう戦争)をおこなうことが出来る国に日本を改造しようとした勢力と言われているようです(しかし個人的にはこういった各派閥についてのよくなされる説明が加えられても事件や戦前戦中の日本の歴史の理解が深まるような気が正直あまりしません、というかよくわかりません)。

陸軍の強まる政治介入

この226事件でもろに攻撃対象となり首相も命を狙われてしまった(岡田首相は命を落とさずに済みましたが義理の御兄弟が殺害されてしまいました)岡田啓介内閣は総辞職します。帝都・東京のみならず日本を著しく混乱させた226事件というクーデター未遂事件の発生を防ぐことが出来なかった責任を痛感したということで、首相以下閣僚は総辞職を選択したようです。その次に発足した内閣は岡田内閣で外務大臣を担当されていた広田弘毅(ひろたこうき)さんが首相を担当した広田内閣でした。この広田さんが内閣の閣僚人事をどうするか検討、つまり組閣(そかく)をしていたわけですが、新内閣の陸軍大臣として陸軍が推薦していた寺内寿一(てらうちひさいち)という人を通して新内閣の人事について広田首相にあれこれ陸軍が干渉してきました。吉田茂という人物は自由主義的だから外務大臣にふさわしくないだの、政党関係者を内務大臣にするのはよくないだの、朝日新聞社の幹部を拓務大臣(当時の日本に存在した拓務省、本土以外の日本の領地を治めるにあたっての監督や事務を担当する省庁の大臣)にするのはよくないだの、軍需企業の経営者で政党を支援している中島知久平を大臣にするのはよくないなどといった注文を付けて広田首相を困惑させました。それ以前の岡田啓介内閣、斎藤実(さいとうまこと)内閣、犬養毅(いぬかいつよし)内閣の組閣時に陸軍側からこのような組閣干渉が果たしてあったのか自分なりに調べてみましたが、そのような出来事は目にしませんでした。あれば政党などが問題にして大騒ぎしたでしょうし有名な出来事となったでしょうから、広田内閣組閣干渉と同じくらい後世に話が伝わっていくと思うのですが、そういった類の話を見かけないのでおそらく無かったのだろうと思われます。このように226事件以降統制派が主導権を握る陸軍は陸軍とは関係のない閣僚の人事であってもはばかることなく首相に注文を付けるようになりました。もし陸軍側の要求を考慮していただけないのであれば陸軍大臣就任を拒否するといった脅しが寺内新陸相からあったように伝えているものもあるようですが、実際に陸軍側がどのような形で広田首相に圧力をかけたのかについては何とも言えません。ただこれまでなかったと思われる内閣関連の人事要求があったことは事実であり、広田首相が陸軍側の要求をかなり受け入れたということも事実です。またこの広田内閣が政権を担当していた時代に陸軍は軍部大臣現役武官制を復活させました。この制度変更は226事件を起こした将校たちと近い関係にあるとみなされた皇道派の予備役軍人が陸軍大臣になるのを防ぐためという口実で実施されてしまったようですが、これにより陸軍中央にとって気に食わない政策を時の政権がおこなおうとした場合、陸軍から陸軍大臣の条件に適う人材を出さないという妨害行為をすることで内閣を倒す、あるいは内閣の誕生を阻止することが出来てしまうという大変な影響力を陸軍に与えてしまうこととなってしまいました(軍部大臣現役武官制になると陸軍が大臣候補として現役の陸軍の大将や中将を出さなければ陸軍大臣を担当できる者が他に誰もいないということになるようです。この制度が復活する以前は時の陸軍中央と距離のある予備役の陸軍大将、中将でも陸軍大臣を担当することが出来ました。陸軍大臣を担当する者がいないとなると内閣を組織出来ないということになり内閣が成立せず、その政権は総辞職に追い込まれる、あるいは政権誕生前ということであれば内閣を発足させられなくなります)。

今回は226事件がその後の日本に及ぼした影響について一部取り上げました。以前にも226事件を取り上げた記事を作ったことはありましたが、その時は昭和天皇がとった対応や事件収束後の軍法会議の結果を中心にした記事でした。統制派が陸軍を後に率いたことはその記事でも少し触れはしたものの、あまりに簡略すぎた気もしましたし、この事件の重要性を考えますと、もっとその後に及ぼした影響について重点を置いた内容の記事を作ったほうがいいんじゃないかという気がしたので今回はこのようなテーマにしてみた次第です。226事件以降は陸軍、海軍を問わず軍人が時の政権を襲撃して権力を乗っ取ろうとするような事件は起こらなくなります。そういった点で平和ではありますが、その代わりに中華民国との武力衝突が深刻になって米英との戦争をする羽目にもなりました。もし226事件が無ければどうなっていたのでしょう。統制派が陸軍を牛耳るようなこともなく皇道派の上級武官も予備役に回されずに陸軍組織内で発言力を維持し、陸軍の政治への介入の度合い、日本の戦略もかなり違ったものとなっていたのかもしれません。皇道派、統制派については上の項目でよく見かける説明をしてみましたが、的を得ているものなのかどうか議論はあるのでしょうけれど、皇道派は主な仮想敵国をソビエト連邦一国に限定した勢力で総力戦をする国力など日本には無いから余計な敵を作らないためにも英、米、中華民国との戦争はやってはいけないという立場に立っていた、一方の統制派は仮想敵をソ連に限定せず英米との対峙も覚悟する立場だった、そんな見方もあるのだそうです。こういった陸軍の派閥について国際関係で特徴づけるような分析は個人的にあまり聞いたことが無く、何か一般的な説明よりもわかりやすい印象があります。また226事件発生よりも前に陸軍青年将校による不穏な動きがあるという情報を入手している人たちもいたという話がテレビで取り上げられているのを以前目にすることがありました。それなのに事件を未然に防ぐことが出来なかったという背景には陸軍中央から皇道派を一掃したい勢力がいて、敢えて青年将校たちに事件を起こさせたといったはかりごとがあったのかもしれない、などと想像してしまいます。いずれにしても国民の窮状を憂い、武力を行使して非合法に政権を奪おうとするようなことをしても、未遂に終わり、国民が幸せになったわけではなく、陸軍は変貌し、かえってその後日本は大戦争に突入し国民は大変苦しみました。意図するところと全く異なる結果を招きかねないという点でクーデターなど断じてやるべきではないと改めて感じます。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回も写真ACで提供されている写真を使用させていただいております。

陸軍の動きが大きく影響した出来事について触れている話「三月事件で名が出る宇垣一成はなぜ内閣を発足出来なかったか」はこちらです。

陸軍が内閣を振り回した時期の話「戦犯になっていない米内光政の内閣とは?前の内閣についても」はこちらです。

関連記事

最近のコメント

    ページ上部へ戻る