公家の中山忠光さんや元土佐藩士が起こした天誅組の変とは?

天誅組の変とは

 

1863年(文久3年)の8月に発生した事件です。時の天皇、孝明天皇が神武天皇のお墓にお参りし、その後孝明天皇自らが攘夷の為に出陣するという話が朝廷内で進んでいました。初代の天皇であられる神武天皇のお墓は大和の国(現在の奈良県)に存在しており、近々天皇が大和の国を訪れる予定となったのです。

攘夷派の人たちには京の周辺の地域を朝廷の所領とするべきだという考えを持っていた人が多く、孝明天皇が大和の国を訪れる前に大和の国で幕府領となっている一部の地域を襲撃して朝廷の領地に変更し、大和の国の諸藩も朝廷に従わせようと考えました。

この目的を遂げるため天誅組(てんちゅうぐみ)という武装集団を作り集団のトップに中山忠光(ただみつ)さんという公家の方が就任し、土佐藩を脱藩した吉村寅太郎さん、池内蔵太(いけ くらた)さんなどの攘夷派の人たちが中山さんを支えるような構成となっていました。

朝廷の名前を出して河内の国(今の大阪府あたり)の狭山藩などに武器支援を求め協力を得た後に大和の国の中に存在する幕府が統治する領地に入り代官所(幕府関係者の拠点)を襲いました。当時の代官(幕府領の責任者)はそれによって亡くなっています。代官所を乗っ取った後に天誅組によって、「ここは朝廷の領地である」と宣言されました。この出来事が天誅組の変や大和の乱などと呼ばれています。

 

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中山忠光さん

 

攘夷の考えを支持した公家のかたということで有名だそうです。朝廷から役職を与えられていた1863年当時、お役目がある立場でありながら京都を出て長州藩に行って長州藩の兵員たちと一緒に外国船を攻撃する攘夷行動を行いました。かなり積極的に活動されていた方のようです。

 

元土佐藩士

 

天誅組の変に参加した元土佐藩士ということで有名な人は吉村寅太郎さんという方のようです。他には池内蔵太さんという方の名前も出ることが多いですね。吉村さんは元々土佐藩の中で庄屋というお百姓さんたちを指導する家に生まれた方でした。庄屋として活躍されていたそうですが武市半平太という有名な土佐の攘夷論者の考えに共鳴し攘夷運動に身を投じていくことになります。1862年に脱藩し、大坂や京で攘夷派勢力拡大のため活動されます。攘夷派の薩摩藩士たちが亡くなった「寺田屋事件」で捕まってしまうような目にも遭っているかただそうです。

 

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天誅組の変、その後

 

大和の国の幕府領地にあった代官所を制圧して一時は目的を果たし勢いに乗った天誅組の人たちですが、京都でその後政変が起き朝廷内の主流が攘夷派から公武合体派へガラッと変化してしまいました。もともと天誅組の変は孝明天皇が大和の国へ神武天皇のお墓参りするため訪れることになっていたから前もって実行した武装蜂起だったのですが、肝心の孝明天皇が大和の国を訪れるという話は無くなってしまいました。また朝廷も攘夷派が主導権を失ったことでこの天誅組の行動を支持してくれなくなってしまいます。反対に朝廷は天誅組を倒すことを賛成する立場になってしまったのです。

大変あてにしていた朝廷の後ろ盾が無くなり幕府から周辺の藩に天誅組討伐の命令も出てしまいます。代官所を襲っているので幕府からそのような命令が出るのは当たり前ですが。周辺の藩は幕府の命令に素直に従いました。非常に形勢が不利となり、追い詰められていく天誅組は組織をまとめていくことも難しくなます。主(おも)だった人も逃亡したり戦死する結果となりました。こうして天誅組の変は失敗に終わります。中山忠光さんは長州へ逃亡し吉村さんは戦死されました。

 

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天誅組の変は個人的にはあまりなじみのない出来事でしたが、いわゆる「八月十八日の政変」という有名な項目に関連してくる話だったため今回取りあげてみました。攘夷派の人たちが大変勢いに乗っていた頃の象徴的な出来事のようですね。

大和の国で成功したわけだし、このまま近畿地方の幕府関連領地を奪い朝廷の支配地域にしていくぞと攘夷派の人たちは考えていたのでしょうが目論見通りにはいきませんでした。

当時の幕府関連施設を襲うというのは大罪に違いないのでしょうが、攘夷派の人たちにとって幕府を倒して朝廷が政治を行う朝廷中心の国にするのが掲げていた大義でしたからこういうこともやってしまえたのでしょうね。

頼みの綱である朝廷が最終的には天誅組を攻撃するよう奨励したというのは皮肉な話です。朝廷のように権威のある立場でも考えが唐突にガラッと変わってしまうこともあるんですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

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