正倉院が校倉造(あぜくらづくり)なのはなぜなのでしょう

正倉院が校倉造なのはなぜ

 

正倉院(しょうそういん)というのは本来特定の倉庫を意味する言葉ではなかったのだそうですが、現存しているのがもともとは東大寺に関連する倉庫であった正倉院だけになってしまいました。そのため正倉院と言えば奈良の東大寺の近くにある倉庫として使われた建物のことを意味することになり固有名詞のように使われています。8世紀、西暦750年代に建てられた建築物だと言われています。都が奈良の平城京だった時代の天皇をはじめとする皇族のかたがたが所有した美術品、工芸品を保管する目的で建てられました。平成九年、西暦1997年には正倉院という建物自体が国宝に指定されましたし、平成十年には国連の機関、ユネスコに世界遺産として登録されることにもなりました。非常に歴史があり国や公的な機関から文化的価値を認められた建築物なわけですが、この建物は社会や歴史の授業でも大抵取り上げられるかと思います。正倉院と一緒に、建てられかたに関する用語「校倉造あぜくらづくり」という言葉も教わったのではないでしょうか。棒状の木材(正倉院は三角に削った棒状の木材)を井の字型に組み合わせて建物の壁にしていくのが校倉造です。マッチ棒を井の字型に組み合わせて囲いのようなものを作って遊んだことがあるかたはより想像しやすいかと思います(正倉院はもちろんマッチの組み合わせと異なり、すき間なく組み合わせて造られています)。非常に高い身分の方々の宝物を保管する倉庫として、建築にこの校倉造という方法を採用したのはなぜだったのでしょう。建築資材としての木材が手に入れやすかったから、強い壁を造ることが出来るから、雨が降った時建物内部に雨水が入りづらい、湿度変化の影響を受けづらいといった校倉造に関した特徴が理由だと言えます。この校倉造は原始的な工法なのだそうで木材が得られる世界の他の地域でも同じ方法で建物が造られました。

 

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湿度の調節

 

校倉造で建造された正倉院は外部の湿度変化を和らげる効果があるということは事実だそうです。しかし正倉院に関して言えば、乾燥した時期に壁となっている組み合わせた木材が縮んですき間が生じ、風通しが良くなる、一方多湿の時期になると木材が膨張して組み合わせている木材の間のすき間が無くなり、外部の湿気が建物の内部に入り込まないようになるということではないそうです。こういった考え方は事実と異なるという指摘が最近は多いです。乾燥した時期も特にすき間が生じるということは無いらしく、正倉院の場合に湿度の変化を和らげているのは建築に使用している木材が湿気を吸収したりする作用のおかげなのだそうです。

 

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高床式

 

また正倉院の特徴として校倉造の他に高床式(たかゆかしき)だという点があります。床を高くした構造になっているという文字通りの造りなのですが、これは湿気対策と言われています。床を低くすると湿気がたまりやすくなります。風通しが床の高い場合と床の低い場合では異なるというのが理由なようですが、この違いによって低い床の場合、床下に湿気がたまってしまうと重要な建物を支える資材、木材が短い期間で悪くなってしまうのだそうです。日本は湿度の高い国なので湿度対策が必要となり食料の倉庫など重要な物資の保管をする目的で高床式の倉庫が多く造られました。

 

ねずみ返し

 

またねずみが建物内に侵入し大切な工芸品を荒らさないようにするため、食料の倉庫でよく使われていたと言われる「ねずみ返し」も正倉院に設けられています。高床式の床の少し下の位置で正倉院を支える柱の周りにねずみにとって障害となる広い板を設置しています。それが「ねずみ返し」で、柱づたいに登ってくるねずみがその広い板の部分でしがみついて登る場所を失い、それ以上上に登れなくなるという仕組みです。

 

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今回は正倉院に校倉造が取り入れられた理由について一部取りあげました。学校で正倉院について学んだ時に校倉造も習ったような気がしますが、そもそも校倉造が何であったか、どうして校倉造だったのかよくわかっていなかったためこのようなテーマの記事を作ってみました。別に特殊な工法というわけではなくいろいろな場所、地域で使われていた建築法だったんですね。山などにある簡易宿泊所などでも丸太小屋が使われるかと思いますが、そういった小屋も木材を組み合わせて建てていますので似たような物ということになります。記事の途中で触れた木材が乾燥して縮んですき間が出来て風通しが良くなり湿気が多い時期は木材が膨張してすき間が無くなって湿気が建物内部に入らないという話は確かに授業で聞いたような気もします。しかし今回調べていてあっさりと俗説ですよとされているのを知りました。習ったことが全部正しいというわけでもないのだなと、今回の記事を作っていて思いがけず違った意味で考えさせられる機会にもなりました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

 

参考文献 成瀬正和 「[短報] 正倉の湿潤度環境調査」 宮内庁 正倉院ホームページ内 正倉院紀要

かな文字利用の拡大について触れている話「平安時代にかな文字が広まった理由は何だったのでしょう」はこちらです。

江戸時代末期の日本の貿易について触れている話「日米修好通商条約後の貿易品の内容や貿易の影響について」はこちらです。

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