信長さんの本能寺滞在にはどのような理由があったのでしょう
信長さんの本能寺滞在の理由
織田信長さんが国内で非常に力を持つにいたり、日本全土を自分の支配下に置くことも夢ではなかったのでしょうが、明智さんに急襲されてしまい、信長さんは自害。信長さんによる天下統一は達成されませんでした。この明智さんが襲撃する出来事の名前にもなっていますので本能寺(ほんのうじ)は非常に有名な存在かと思います。本能寺は名前の通り仏教のお寺で、京都にあります。このお寺の敷地内で宿泊していたところを信長さんは明智さんに襲撃されたわけです。当時国内最強の戦国大名だったとも言われる織田さんはなぜ本能寺に滞在していたのでしょう。そもそも京都にいたのは自分の根拠地である安土から中国地方に遠征する途中だったからです。京都に立ち寄り信長さんはそこで茶会を開くなどこれから戦をする割には悠長なことをしていました。また京都で宿泊する場合、信長さんは馴染みのあるお寺に泊まるということが多かったようです。本能寺はそういったお寺の一つでした。
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中国地方に加勢しに行く途中でした
織田さんの配下の家臣たちは、当時日本の各所で仕事をしていました。秀吉さんは中国地方の戦国大名である毛利家と戦い、柴田勝家さんたちは越後の上杉家と戦い、滝川一益さんは関東地方で織田の影響力を確保しようと動き回っていたようです。そのような中、秀吉さんから信長さんのもとに毛利家との戦いが本格的になるにあたって援軍の要請が来たことで信長さん本人がその戦に乗り出すこととなりました。居城(きょじょう 住まいとしているお城)である安土城は現在の滋賀県の中部に存在しており、そこから中国地方に向けて出発しました。中国地方に向かう途中に京都があり、信長さんはそこで立ち寄り宿泊することになります。
京都で
遠征の途中ただ京都に宿泊するだけだったわけではないようで、そこで京都の客人を招いて茶会を開くなどしていました。信長さんは茶道に関心があり、茶道で使われる茶器に大変こっておられたそうで、収集家という側面も持っていました。この時期に茶会を開いたのはある有名な商人が所有していた大変価値のある茶器をその商人から譲ってもらいたいと考えていたから、などといった見方もあるようです。その茶器は「楢柴肩衝」と呼ばれていました。「ならしばかたつき」と読みます。茶道の専門家から大変評価されていた茶器だったのだそうです。
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本能寺
本能寺は先ほども書きました通り、仏教のお寺です。日蓮さんの教えに連なる宗派のお寺だそうです。織田さんにとっては京都で宿泊する場合、お寺に泊まることは珍しくはなかったようで、本能寺の他にも妙覚寺(みょうかくじ)というお寺を宿として利用することもあったそうです。信長さんにとって本能寺はただのお寺ではなく、尊敬する宗教家だった日承(にちじょう)というかたが責任者となっていた重要な宗教施設でした。またこのお寺は普通のお寺と異なり高い塀と大きな堀が整備されていた要塞のような建物だったと言われています。そのような設備があることも、好んで信長さんが本能寺を利用していた理由として挙げられることもあるようです。本能寺の敷地内に自分が宿泊するための建物を建設するくらい気に入っていたようです。
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今回は信長さんが本能寺に滞在した理由について一部取りあげました。自分の居城ではなく京都のお寺に居た理由については特に知りませんでしたし、一般的にもなぜ本能寺に滞在していたのか理由について関心があったようなのでこのようなテーマの記事にしてみました。京都に立ち寄っている他の理由として朝廷側と任命される役職について話をする目的もあったという見方もあるようです。信長さんを襲撃するような有力大名が京都付近にいるわけでもなかったでしょうし、家臣が謀反を起こして襲撃するということを想定していなかったのでしょうから、普通のお寺に比べ攻めにくい特徴を持っていたにせよ城ではなくお寺に泊まっていたわけです。これまでも京都で泊まる場合はお寺を利用していたそうですから今回に限って家臣が襲ってくるなどということを警戒しろと言っても無理な話だったのでしょう。本能寺の変の際、信長さんに付き従っていたのは200人足らずの人たちだったそうで、襲撃する明智さん側は1万人以上の軍勢だったと言われています。それだけ差があると救援を待つ時間稼ぎも出来ないのでしょうし、さすがにどうにもなりませんよね。戦乱の世であれば尚更なのかもしれませんが、権力者というのはいつ狙われてもおかしくないという意識を持っておいたほうがいいということなのかもしれません。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
信長さんの家臣、明智さんについて触れている話「明智光秀さんと足利義昭さんはどんな関係だったのでしょう」はこちらです。
裏切りが起きた他の出来事について触れている話「関ヶ原の戦いで西軍の軍勢はどれ位の人数だったのでしょう」はこちらです。
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