唐招提寺誕生のきっかけとなった人物、鑑真(がんじん)とは

唐招提寺の鑑真さんとは

 

鑑真(がんじん)さんというかたは仏教の僧侶、お坊さんです。奈良時代の人物で日本の朝廷から邸宅を与えられ、その場所を拠点に活動し唐招提寺(とうしょうだいじ)という寺院が誕生することになりました。歴史の教科書では奈良時代の文化の話題で取りあげられることが多い人物のようです。目を閉じて座っている鑑真さんの彫像の写真がよく掲載されているようですからそういった写真をご覧になった方も多いのかもしれません。日本の社会、歴史の授業でも取りあげられることの多いこの鑑真とはどういった方なのでしょう。この方は奈良時代の日本で正しい仏教の教えを普及させることに貢献しました。そのことを理由に当時の日本の朝廷から大変評価された人物のようです。当時の朝廷は仏教の普及にとても熱心でした。

 

スポンサーリンク

ちゃんとしたお坊さんを世に出していきました

 

鑑真さんはどういった僧侶だったのでしょう。仏教で守らなければならない規則をきちんと僧侶を志す人々に伝え授けることのできるという点で、特別なお坊さんだったそうです。きちんとしたお坊さんになるにはしかるべきお坊さんから授戒(じゅかい)、守らなければならない戒めなどを教えてもらい、授戒のためのしきたりを施していただく必要が本来あるものなのだそうです。そういった段階を経てちゃんとしたお坊さんになっていくという仕組みがあるのですが、当時、鑑真さんが活躍する前の日本はそういった、ちゃんとした授戒の出来るお坊さんがおらず、名前ばかりの僧侶が増えるといった仏教関係者から見ると由々しき状態だったと言われています。僧侶の方々は当時仏教の普及に熱心だった朝廷の配慮で税負担が軽減されていました。経済的なうまみがあるため、それを理由に僧侶になってしまう人物もいたのです。ちゃんとした教育、修業を経ないで私は僧侶ですと自称しても通用するような奇妙な状況でした。仏教がゆがんだ形で日本国内に広まってしまうことが懸念されていたわけです。授戒を経て僧侶になるような仕組みを日本も取り入れようということで朝廷は戒めを伝え授けることのできるお坊さんを中国大陸から招くことにしました。その結果日本に来られたのが鑑真さんです。鑑真さんは日本出身のかたではなく、中国大陸にかつて存在した大国、唐(とう)で生まれ育ったかたです。授戒できる僧侶として鑑真さんの存在は大変貴重であり日本に来られてから亡くなるまでの間の10年間、多くのちゃんとしたお坊さんを世に出したり、仏教の戒律を研究することを通して日本仏教の発展に貢献しました。

 

スポンサーリンク

唐招提寺

 

鑑真さんの貢献にとても感謝した日本の朝廷は鑑真さんに新田部親王(にたべしんのう)という皇族のかたが使用していた邸宅を譲ることにします。皇族のかたが利用していた屋敷ですから粗末なはずがありません。鑑真さんはここをお寺にして仏教の戒律を研究する拠点、仏教の修業をする人々の道場にしました。これが唐招提寺の始まりとなります。現在の奈良県奈良市五条町に存在するお寺で仏教の一宗派、律宗(りっしゅう)の総本山、国内の複数ある律宗のお寺を取りまとめる立場の寺院となりました。律宗は元々中国に存在した仏教宗派であり、その宗派の僧侶である鑑真さんが日本に伝えました。律宗は仏教の正しい戒律を守ることを重視した宗派だそうで、細かく定められた戒律を守り、良い行い、得た利益を人々に施すといったことを強く奨励しているようです。

 

スポンサーリンク

今回は有名なお寺、唐招提寺誕生のきっかけとなった人物、鑑真さんについて一部取りあげました。奈良時代の文化について歴史の教科書を見ていたのですが仏教の発展に貢献したという内容で紹介されている鑑真さんが具体的にどういったことをしたのか個人的によくわかっていませんでした。彼がどのような貢献をしたのか確認したく今回のようなテーマで記事を作ってみた次第です。日本のお坊さんから仏教の普及のために日本に来てくださいとお願いされて5回渡航に失敗した逸話はとても有名なようです。その過程で深刻な視力障害も患うことになったという点も有名なのかもしれません。大陸から日本に渡るのは遣唐使に関連する記事でも触れましたように荒い海を渡らなければならなかったため命を落とす危険性がとても高かったと言われています。鑑真さんの場合、5回渡航に失敗した理由が全て海上での遭難ということではなかったようですが危険を顧みず日本に渡ろうとしたその思いの強さは大変なものですね。人によっては宗教的な理想がとても堅い意志を生み出すということなのでしょう。宗教が人に与える影響は様々ですが、良い方向に宗教が影響するとこのような人物が出てくるということを示す格好の事例なのだろうなと思いました。鑑真さんは日本に漢方薬や彫像の技術を伝えるという点でも貢献されたと言われています。日本にとって非常に恩のある方だと言えます。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

唐への使節派遣を終了したことについて触れている話「日本の遣唐使制度が廃止されたのはなぜだったのでしょう」はこちらです。

別の時代の宗教・思想政策について触れている話「江戸時代に儒教が尊重されたのはなぜなのでしょう」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る