ザビエルさんが日本へキリスト教を布教しに来た理由は
ザビエルさんが日本でキリスト教を布教しようとした理由
日本にキリスト教が初めて伝わったのはいつだったのかというのは学校の社会や歴史の授業で学ぶ有名な項目の一つかと思います。天文18年、西暦1549年に日本に初めて伝わったと言われているわけですが、そのキリスト教を伝えた人物というのがザビエルさん、フランシスコ・ザビエル(フランシスコ・デ・ザビエル)さんだというのも、少なくとも名前についてはよく取り上げられる話かと思います。このザビエルさん自身の布教活動は日本国内でそれほど実を結ばなかったとも言われていますが後の日本人キリスト教信者増加のきっかけとなったということは言えそうです。家康さんが国を統治する頃、慶長の時代、西暦1600年代初頭には国内のキリスト教信者数はおよそ70万人になったと言われているようです。日本国内でキリスト教が広まるきっかけを作ったザビエルという人物。彼はどのような理由で日本でのキリスト教布教を目指したのでしょう。ザビエルという人は日本に限らずアジア地域、世界でのキリスト教布教を熱心におこなおうとした組織に身を置く立場でした。そのような使命を持ったザビエルさんが日本人と出会ったことで日本の存在を知り日本での布教を目指したようです。
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ザビエルさんの参加していた組織
ザビエルさんはキリスト教の宗派、ローマカトリックの関連組織である「イエズス会」に参加していました。この「イエズス会」を創設した構成員のお一人だったそうです。イエズス会はまだキリスト教が伝わっていない地球上の地域にローマカトリック派のキリスト教を布教するために精力的に活動しました。当時のローマカトリックの中では切迫した事情があったようです。欧州の中でローマカトリックに批判的なキリスト教勢力「プロテスタント」が出現し影響力を増していました。この動きに対抗するため、出来るだけカトリックの信者を増やそう、そのためにはキリスト教が伝わっていない地域にプロテスタント勢力よりも先に進出しキリスト教を布教するのが有効だと考えイエズス会は世界布教に力を入れるようになります。イエズス会の一員であるザビエルさんもカトリック信者を増やしたいという思いでアジア地域での布教に取り組んでいました。
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日本人との出会い
そういった事情でザビエルさんは欧州を離れインドや東南アジアで布教活動をしていました。その時に現在のマレーシア、マラッカにあたる地域でザビエルさんはヤジローという日本人と出会います。このヤジローさんは鹿児島出身の方だそうで訳あって日本を離れて生活していました。この人から知らなかった日本という国の情報を得てキリスト教がまだ日本に伝わっていないことも知り、日本での布教を目指すことになります。大勢の信者を獲得するためにザビエルさんは中国大陸での布教をもともと望んでいたようなのですが、当時は「明」という大国が大陸を治めていた時代で、この明国は他国との交流に消極的であり他国の人間との交流も制限されていました。そのため明でのキリスト教布教は容易ではなく、明に近い国、日本での布教に可能性を見出したようです。日本でキリスト教が拡大したら明国との接点、明国での布教の糸口も出てくるかもしれません。そのような事情でザビエルさんはヤジローさんの案内で日本に渡航することとしました。ザビエルさんが最初に入った日本の土地は現在の鹿児島の一部、薩摩(さつま)でした。
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今回はザビエルさんが日本で布教しようとした理由について一部取りあげました。ザビエルさんが日本にキリスト教を伝えたことは何となく聞いた記憶がありましたがその理由に関してはよくわからず一般的にも関心が持たれているようなのでこのようなテーマで記事を作ってみました。そもそもプロテスタントという別の勢力に対抗して自分たちの勢力を広げるためにいろいろな地域で布教しようとしていたということだったんですね。同じ宗教といっても派閥争いが深刻だったからこそ危機感があってヨーロッパ世界から飛び出していったわけです。プロテスタントは法王を頂点とするローマカトリックという組織の権威を否定する立場のようなので、イエスキリストの教えを継承する正当な立場としてローマ法王を見る場合にはそのような情勢(プロテスタント勢力拡大)が脅威と映るのも自然なのかもしれません。勇んで日本に乗り込んだザビエルさんでしたが、彼が期待したほどには日本人がキリスト教を受け入れたわけではなかったようで、ある程度布教活動をしたのち、落胆しつつ日本を後にしたそうです。日本の大半の人々は仏教や神道を信仰していたでしょうから、既にそういった宗教を熱心に信じている人々を改宗させるというのは簡単ではないのでしょう。とはいえ後に何十万人もの信者を日本国内で獲得することになるわけですからキリスト教勢力のエネルギーというのは強力だったと言えます。イスラム教はこういった時代に日本国内での足跡を耳にすることがありませんけれど、この違いは何なのでしょうね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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