室町幕府の管領(かんれい)とは何なのでしょう
室町幕府の管領とは
鎌倉幕府が元弘三年、西暦1333年に滅び、その後の朝廷が中心となっておこなう政治も反発する勢力によって否定され、建武三年、西暦1336年には朝廷から権限が奪われる結果となりました。反朝廷勢力の中で大きな影響力のあった足利尊氏さんがそれ以降政治をおこなうこととなります。尊氏さんが征夷大将軍に任命されるのは暦応(りゃくおう)元年、西暦1338年で足利氏を将軍とする政権、室町幕府がここから始まることとなります。社会や歴史の授業では室町時代の政権組織について取り上げられますが、その時に大抵出てくる役職として管領(かんれい)というものがあります。この役職、管領とはどのようなものなのでしょう。幕府のトップである征夷大将軍の補佐、お手伝いをすること、政権がおこなう政治の事務を管理することが務めだった役職のようです。
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政権発足当初から補佐する役職がありました
足利尊氏さんが将軍になって政権を担当するようになった当初から、将軍を補佐するような役職はありました。政治をおこなう場合、将軍が何でもかんでも判断するのは大変過ぎるということなのでしょう。政権発足時将軍を補佐する役職として執事(しつじ)というものがありました。管領と呼ばれるようになったのは尊氏さんの次の代の方、足利義詮(あしかがよしあきら)さんが将軍職を担当していた時代になってからです。政権には重要な機関として政権のある京の警備や政治、裁判などを担当した侍所(さむらいどころ)、政権の予算などの分野、借金案件の処理などを担当した政所(まんどころ)、文書の保管、記録が主な仕事で一時期は特定分野の訴訟問題も取り扱っていた問注所(もんちゅうじょ)といったものがありましたけれど、そうした重要機関の機能をとりまとめる大きな権限を管領は持っていたようです。しかし国内が混乱するきっかけとなった出来事とも言われる応仁の乱以降、管領の権限が弱まっていきました。応仁の乱で名前の出てくる細川勝元さんは他者を間に挟んで三度も管領職を担当した経歴を持つ幕府の重要人物でした。
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担当する人たち
室町幕府が開かれてしばらく、足利尊氏さんが将軍であった時代には別の家柄の方々でしたが将軍が義詮さんに変わってからは細川家や斯波(しば)家といった家系の人物が管領を担当するようになります。その後そういった家柄の他に畠山(はたけやま)家の人物も選ばれるようになりました。三家系から選ばれることが通例となっていったので「三管領 さんかんれい」などと言われたそうです。細川家、斯波家、畠山家の三家系は姓が異なりますけれど、元をたどればどの家系も足利一族が由来となっています。そのため管領という役職は足利家に深く関係した人々で占められていたということになります。
関東管領
別の役職に似たような名前、関東管領(かんとうかんれい)というものがあります。これは鎌倉府(かまくらふ)という関東地域を統治する組織を室町幕府が設立したあとに生まれた役職です。鎌倉府の最高責任者は「鎌倉公方 かまくらくぼう」と呼ばれていました。この鎌倉公方という役職にある人を補佐するのが関東管領という役職です。補佐するというと支援するということになるわけですが、関東管領の場合は幕府から鎌倉公方が勝手なことをやらないよう公方を監視するという役目も期待されていた立場だったようです。鎌倉公方からすると目障りな存在にもなり得るわけで対立が激化して戦になったこともありました。関東管領は組織のトップを補佐するという点では管領に似ていると言えます。
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今回は室町幕府の役職、管領について取り上げました。室町時代の話題を取りあげようと思いましたが、一般的に幕府内の役職の中では管領についての関心が持たれているようですので、どのような事をやっていたのか確認してみようと思い、このようなテーマの記事にしてみました。重要な役職であり、将軍家(足利家)と元をたどれば同じ一族の家系の人々が採用されたということを知ることが出来ました。将軍にしてみれば、自分と似たような家系の人に重要な役職を任せるのが他の人に任せるよりも安心だと考えたということなのかもしれません。家督争いなど近親間で争いが発生してしまう場面も歴史の中にはありますが、血のつながりが基本的には重視されるもののようです。鎌倉時代は北条家が将軍補佐の役職、執権(しっけん)を独占していましたが室町時代は一家系が管領職を独占するということにはなりませんでした。管領職を複数の家系によって持ち回りで担当することで一家系に権力が集中しすぎてしまうのを防ごうとした、そんな配慮があったというところでしょうか。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
室町幕府の影響力が低下した出来事について触れている話「応仁の乱の原因は簡単に言うと何だったのでしょう」はこちらです。
江戸幕府の話で出てくる老中について触れている話「江戸時代の話に出てくる老中とは何なのでしょう」はこちらです。
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