終戦後の三鷹で発生した国有鉄道にまつわる事件とは
戦後の国有鉄道で発生した三鷹事件
第二次世界大戦後の日本の歴史や鉄道にまつわる事件について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では終戦後それ程期間を経ない時期に発生した鉄道にまつわる事件の一つ、三鷹事件(みたかじけん)について私なりに書いてみたいと思います。昭和二十四年(西暦1949年)の7月に東京の現在三鷹市となっている地域で奇妙な事件が発生してしまいました。当時日本国有鉄道、略して国鉄が管理していた中央線の駅の一つである三鷹駅で誰も運転していないはずの列車が暴走してしまい、車体が線路から外れ、ひっくり返ってしまい周辺の建物に突っ込んでしまいました。破壊された建物の中には民家も含まれ、6名もの方々がこの列車の暴走、転覆に巻き込まれて亡くなられてしまいました。けが人も多数(20名)出てしまう結果となっています。この出来事を受けて日本の治安当局は何者かがわざと引き起こした事件として捜査し、その後国鉄の労働組合関係者を複数名(10人とか12人といった話があります)逮捕しました。逮捕されたほとんどの人たちは共産党員でした。事件の翌年に最初の裁判がおこなわれるのですが、被告とされた大半の人たちはこの事件に関与した確たる証拠が無いということで無罪と判断されます。しかし一人だけ無期懲役の有罪となりました。この人は自分が事件を起こしたという自供を一時的におこなっていました(無罪となった人たちは全員共産党員で、犯行を自供した人は労働組合の関係者ではありましたが共産党に所属していた人ではありませんでした)。その後の控訴審で犯行を自供した、ただ一人となった被告の人は一審の無期懲役という判決よりも重い死刑の判決となってしまいます。死刑判決が出た被告のかたは裁判のやり直しを求めていたのですが服役しているさなか、病死されてしまいました。死刑囚の汚名をかぶってこの世を去らなければならなかったわけです。
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病死した人物が本当にやったのかについて分かれる見解
死刑囚の汚名をかぶってこの世を去らなければならなかったという表現は、この人物が無実であるかのような印象を与えていると不満に感じる方もおられるのかもしれません。もちろん日本の公的な機関、裁判所では死刑判決が出ているわけです。ただ最高裁判所での上告の棄却、死刑確定に関しては、関わった裁判官の意見が真っ二つ、8人の裁判官が上告棄却し死刑確定支持、7人の裁判官が上告棄却に反対といった具合で分かれたそうですし、口頭弁論、被告側の弁明の機会が与えられなかったということが一部で問題視されました。また病死されたかたが明らかに犯人であれば再審の気運など強まるはずもありませんが、被告のかたの証言と実際の事件の状況でつじつまの合わないことが複数あるために、再審、裁判のやり直しが求められてきました。平成二十三年(2011年)にも再審請求がされています。亡くなられた被告のかたお一人で列車を暴走させるということは技術的に難しい、事件発生当時に他の場所で被告のかたはすごしていた(浴場で入浴とか、家で過ごされていたとか)といった情報など判決を疑問視する側にはそれなりの理由もあるようです。また、本当かどうか確認が困難なものの、列車が突っ込んで破壊された建物の一つに警察の派出所、交番があったそうですが、勤務する警官のかた(4人)はどなたも被害に遭われなかったとか、事件直後からこの出来事は共産党、労働組合関係者の仕業だと吹聴する人がいたなどという話がまことしやかにささやかれたそうです。そういった情報もあってこの出来事が共産党や労働組合側の活動を抑え込みたい側によって引き起こされたと疑う見方もあります。もちろん私は断定できる根拠など持ち合わせておりませんので、そういった指摘がある程度のことしか申し上げられませんが。
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事件発生の影響
三鷹でこの奇妙な出来事が発生したことにより、日本国有鉄道の労働組合はそれまでに比べて活動の勢いが弱まりました。当時は日本国有鉄道に勤務するかなりの人数にのぼる職員を人員整理、つまり雇うのをやめるという現場の職員にとっては大変厳しい措置が取られていた時期でした。国が国有鉄道にまわす予算を減らさざるを得なくなったことによる首切りなわけですが、国鉄に所属する万単位の人々が人員整理の対象となったため当然労働者側の反発も強いものとなっていたわけです。7月4日には約3万人の人員整理が告げられていましたし、7月13日には更に約6万人の方々の人員整理が告げられています(合計して約9万人)。しかしこの三鷹事件が発生した後、政府からは労働者団体や共産主義勢力による煽りが影響してこのような事件が発生したという表明も出てしまい世間からの労働組合に対する視線は厳しいものとなりました。本来国鉄の労働組合は人員整理に反発し大規模なストライキを予定していたそうなのですが、事件後ストライキ実施を断念したという事実もありますし、国有鉄道の労働組合内で活動方針に関し意見対立(共産党に批判的な勢力と共産党系や共産党系の勢力との協力も否定しない勢力の対立)が激化する結果にもなりました。労働組合側が一枚岩になって政府の人員整理に対し強く抵抗することも難しくなり、結果的には政府による国有鉄道職員のその後の人員整理が予定通り実施されていくこととなります。ストライキなど強硬な抵抗を見送った理由としては当時日本を支配していた占領軍の労働運動弾圧を恐れたからという見方もあるようです。
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今回は下山事件に続いて国鉄にまつわる解明がなされないままとされている事件の一つ、三鷹事件を取りあげました。私が所有している日本史の教科書にもこの「三鷹事件」という言葉は出てきて、頁の隅に無人の電車が暴走したと簡潔に説明されてはいます。この簡単な説明だけ読むと何で無人の電車が暴走するのかわけがわからず、すごく奇妙に感じますし、そのまま通り過ぎてしまうのもどうかなと感じ、もう少し詳しい話を確認してみたく今回のようなテーマの記事にしてみた次第です。何者かが仕掛けをおこない無人の列車が暴走するよう仕向けたことは間違いないところですが、労働組合側の過激思想を持った人物がこの事件を引き起こしたという想定をしてみても労働者側は事件後あまり得なことが無かったように見えます。得をしたのはむしろ強い抵抗もなく人員削減することが出来た当時の政府や共産主義勢力の日本国内での台頭を心配していたアメリカ主体の占領軍だったのかなという気もしました。いずれにせよ何らかの目的のためにこのような列車の暴走を引き起こすような真似を肯定できるはずもありません。一部の労働組合勢力や共産主義信奉者によるものなのか統治する側のどこかの機関が引き起こしたものなのかわかりませんが、当事者はお亡くなりになった方々や怪我をされた方々についてどう思ってこんな危険なことをしているのでしょう。巻き込まれた人々が本当に気の毒です。世の中の恐ろしい一面を見せつけられることとなった出来事でした。この出来事も未解決とされていますが、天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず 天罰からは逃れられませんよというたとえ)と言いますし、犯行に関与した者たちは実は何らかの痛い目に遭っていて、そのようなことも含めていつか全容が判明する日もやって来るのかもしれません。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
今回の記事ではfuku41さんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。
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